2006.11.06 23:22
キムチ鍋の季節がやってきた。鍋物は好きな人も多い。なにより昔から鍋物は「鍋を囲む」という言い方に現れているように、団欒のイメージだからだ。一人で夕餉に鍋物をこしらえても、立ち昇る湯気の向こうに、人はそこにいない親しい人を、面影に見ている…そんな風に思える。
秋冬の夕餉の定番。キムチ鍋は辛いけれど美味いし体はぽかぽかするし、一時流行にまでなり、いまでは日本の鍋物の一つとして定着している。
在日コリアンの多い大阪、しかも鶴橋に近い土地で育ったぼくには深い感慨がある。貧困と差別にまみれながらも元気に育っていった幼い友らは、近づくとキムチの匂いがしたのだ。
それがまた差別の種でもあったから、キムチ鍋が日本人のポピュラーな鍋料理の地位をもつ日など想像を絶することであった。
今日本人の消費する漬け物でキムチが一番多いと言う事実はぼくを驚かせる。多くの人も「え、そうなの」と思うに違いない。キムチがここまで日本人の味覚に馴染むようになったのはなぜだろうか。
高校生の頃、自宅へ仲良しだった在日の友人からもらったキムチを持って帰り、夕食に食べると「もう、匂いきついよ」と家族に言われ、翌朝冷蔵庫を開けると消えている。暫くしてまた貰う。美味しかった、と言ったからだ。(実際、キムチの古漬けは家庭の味が染みた絶品)冷蔵庫の品に匂いが移るから駄目、と入れて貰えなかった。関西人はもともと納豆でもくさいからと食べない人が多い。
それなのに、漬け物消費のトップがキムチとは。
ぼくは日本人の肉消費がキムチ普及の原動力と思う。
もともと騎馬民族系統の文化がある朝鮮半島だ。焼き肉にキムチが合うのは自然だ。焼き肉の味を覚えるとき一緒にキムチの味にも馴染んでいったのだろう。すぐき等の漬け物をもち熟れ寿司ももつ国民がキムチを美味いと感じるのは自然だ。こうしてキムチは今では大量消費されているし、体に良いという知識もあいまって人気は衰えない。
突然巻き起こったかのような韓流ブームも、根っこはキムチ・焼き肉・韓国料理に接して親しんだ基盤が出来ていたから、というのは穿ちすぎであろうか。
韓流ブームは去るかも知れない。でも韓国文化への関心は消えることはないだろう、というのがぼくの観測だ。
同じ釜のメシを喰った仲というレベルでの珍説ではあるが。
いまの若い世代が感性のレベルでぼくらをとっくに越えて進んでいるのを感じるとき鼓舞され感情が高ぶってくる。
仕事場のある八尾市にキムチ屋さんがあって、夏場は水キムチ(ムルキムチという)が並ぶ日がある。日保ちがしないので毎日は置いていない。あれば買ってきて水キムチ味の韓国風冷麺を作り楽しむ。
暑気払いには最高の涼しい味だ。そんなときは、食べながら幼い友を想い出す。オモニの手作りキムチを運んでくれた友は今どうしているかと。
--今夜も宵から寝言、Zzzz…
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