モラルやルールは大事にしなければ墓穴を掘る。
ミート・ホープの件もYohには他人事ではなく
いつも意識にあることだ。
保健所に検査時に誉められるぐらいでないといけない。
そうやってバランスのとれた状態を維持することが
責任がもてる経営ということだろう。
インターネットという新しい場で、
間違わないように自戒して前進しなければ、と
思う。
でもモラルやルール以前に、いつの間にか失くしがちな
ある種の感性と知性を保ち続ける意識的な努力はいるなぁ、と
しきりに思うこのごろだ。
先ほどTVで取り上げていて、思わず引き込まれて
最後まで見たのだが、大阪湾に向かい合う淡路島の
東南隅にくっ付いている小島、 成ヶ島の自然。
![](http://www.kokoroplanet.jp/albumimages/4284027/1157/404673.jpg)
瀬戸内のガラパゴスと言うのだそうだ。知らなかった…
多様な貝類。隼の営巣地。ハマボウ(汽水性の樹木)…豊かな生態系がある。
![](http://www.kokoroplanet.jp/albumimages/4284027/1157/345359.jpg)
![](http://www.kokoroplanet.jp/albumimages/4284027/1157/827707.jpg)
それに大阪湾で唯一海亀(アカウミガメ)が産卵にやって来る島。
ところが、とんでもないことになっている。
流れ寄るヤシの実ならぬゴミが島を蔽い尽くさんばかり。
ボランティアが定期的に綺麗になるまで清掃しているのだ。
その方が、ここは生き物のサンクチュアリだ、
来るたびに発見があってうれしい。子孫にこれを手渡す、と
笑顔で仰っているのがまぶしかった。
流れ着くゴルフボールのネームからどのゴルフ場のものか
特定が出来るので、加古川や淀川、大和川をへて
川からゴミがやってくることは明らかだった。
ぼくの家のある地域は木津川が域内を流れている。
ぼくらの不注意に川に落としたモノが成ヶ島へ流れ着き
海亀のお母さんを殺すかもしれないわけだね。
暮しの連鎖はいのちの連鎖のほんの一部にすぎないのに。
ぼくらの「普通の国」の「普通の暮し」がいのちの連鎖を断ち切る。
無自覚なままでいたら、そうなる。
成ヶ島は潮の寄せ場で、砂が堆積し
遠浅になって歩いていけたりする
そういう環境条件の島で、無人島だ。
サンクチュアリとしてだけではなく……
… これは、Yohの従来からの説なんだけど
水の力で島が大きくなったり消えたりする不思議を
大阪湾の周辺の人々は沢山見てきた。
それに因む名前がいくつもあるようだ。その1つが「成る」「成り」。
大阪には東成、西成という地名があるが
古い時代は東生、西生とも書いた。
日生と書いてもぼくは保健屋さんとは思わない。
ある場所では「ひなせ」と読むのだ。
「なす」は成す、生すの意味。
以前は無かったのにいつの間にか島になった。
そういう場所が「成る」「生(な)る」島なのだ。
成ヶ島の傍には「生石」(おいし)という地もある。
これも成る(生<ナ>る)と関係がある地名かもしれない。
成るという言葉や名前は、
自然の力で化成した土地。生成する力の現われ、
造化の神の降臨する聖地という意味だ。
そこへぼくらの廃棄物(一番多いのは空のペットボトル)が
押し寄せている。
大昔、天皇は即位したあとでこの大阪湾の水の力を祭り
治政の平安を祈った。
八十島(やそしま)の祭りという。
元は大阪城のある地に近い渡辺にあった神社、
今は浪速区にある、坐摩(いかすり)神社が必ず参加する
ことから見て、これは浪速の水辺の祭りだ。
いわゆる河内王朝論にかかわる学説だが、
水辺の王権の祭りはもともとは
短時節で潮流が島を造り出す神秘への賛嘆と
畏怖が生み出した国土を鎮める神祭りだろう。
そこには水の力、水の霊力への怖れと信仰が現れている。
ぼくらは祖先たちのその気持ちをもう解りえないのか?
もし川が自分の身体を流れ通り抜けるとしても
あなたはゴミになるモノを川に捨てますか?
そういう問いをモラルやルールの前に自分の中に
もっていたいものだ。
そうすればミート・ホープなど現われようもないのだが。