2007年6月25日月曜日

成ヶ島(なるがしま)の海亀よ、生成(なる)の島で生みたまえ…

どんなところで商いをするにせよ

モラルやルールは大事にしなければ墓穴を掘る。

ミート・ホープの件もYohには他人事ではなく
いつも意識にあることだ。

保健所に検査時に誉められるぐらいでないといけない。
そうやってバランスのとれた状態を維持することが
責任がもてる経営ということだろう。

インターネットという新しい場で、
間違わないように自戒して前進しなければ、と
思う。

でもモラルやルール以前に、いつの間にか失くしがちな
ある種の感性と知性を保ち続ける意識的な努力はいるなぁ、と
しきりに思うこのごろだ。



先ほどTVで取り上げていて、思わず引き込まれて
最後まで見たのだが、大阪湾に向かい合う淡路島の
東南隅にくっ付いている小島、 成ヶ島の自然。

           

瀬戸内のガラパゴスと言うのだそうだ。知らなかった…
多様な貝類。隼の営巣地。ハマボウ(汽水性の樹木)…豊かな生態系がある。
       
 

それに大阪湾で唯一海亀(アカウミガメ)が産卵にやって来る島。

ところが、とんでもないことになっている。
流れ寄るヤシの実ならぬゴミが島を蔽い尽くさんばかり。

ボランティアが定期的に綺麗になるまで清掃しているのだ。
その方が、ここは生き物のサンクチュアリだ、
来るたびに発見があってうれしい。子孫にこれを手渡す、と
笑顔で仰っているのがまぶしかった。

流れ着くゴルフボールのネームからどのゴルフ場のものか
特定が出来るので、加古川や淀川、大和川をへて
川からゴミがやってくることは明らかだった。

ぼくの家のある地域は木津川が域内を流れている。
ぼくらの不注意に川に落としたモノが成ヶ島へ流れ着き
海亀のお母さんを殺すかもしれないわけだね。

暮しの連鎖はいのちの連鎖のほんの一部にすぎないのに。
ぼくらの「普通の国」の「普通の暮し」がいのちの連鎖を断ち切る。
無自覚なままでいたら、そうなる。

成ヶ島は潮の寄せ場で、砂が堆積し
遠浅になって歩いていけたりする
そういう環境条件の島で、無人島だ。

サンクチュアリとしてだけではなく……

 … これは、Yohの従来からの説なんだけど

水の力で島が大きくなったり消えたりする不思議を
大阪湾の周辺の人々は沢山見てきた。
それに因む名前がいくつもあるようだ。その1つが「成る」「成り」。

大阪には東成、西成という地名があるが
古い時代は東生、西生とも書いた。

日生と書いてもぼくは保健屋さんとは思わない。
ある場所では「ひなせ」と読むのだ。

「なす」は成す、生すの意味。
以前は無かったのにいつの間にか島になった。
そういう場所が「成る」「生(な)る」島なのだ。

成ヶ島の傍には「生石」(おいし)という地もある。
これも成る(生<ナ>る)と関係がある地名かもしれない。

成るという言葉や名前は、
自然の力で化成した土地。生成する力の現われ、
造化の神の降臨する聖地という意味だ。

そこへぼくらの廃棄物(一番多いのは空のペットボトル)が
押し寄せている。

大昔、天皇は即位したあとでこの大阪湾の水の力を祭り
治政の平安を祈った。
八十島(やそしま)の祭りという。
元は大阪城のある地に近い渡辺にあった神社、
今は浪速区にある、坐摩(いかすり)神社が必ず参加する
ことから見て、これは浪速の水辺の祭りだ。

いわゆる河内王朝論にかかわる学説だが、
水辺の王権の祭りはもともとは
短時節で潮流が島を造り出す神秘への賛嘆と
畏怖が生み出した国土を鎮める神祭りだろう。

そこには水の力、水の霊力への怖れと信仰が現れている。
ぼくらは祖先たちのその気持ちをもう解りえないのか?

もし川が自分の身体を流れ通り抜けるとしても
あなたはゴミになるモノを川に捨てますか?

そういう問いをモラルやルールの前に自分の中に
もっていたいものだ。

そうすればミート・ホープなど現われようもないのだが。