2007年3月31日土曜日

PICASAでスライド、YouTubeで公開、ブログに貼り付け

            



これはSlide.comのほうです。


 

Soba nudle

お蕎麦の記憶 2004年 大宰府の蕎麦屋さんで食べたときのスナップ

いいお蕎麦を食べたくなった。
Posted by Picasa

2007年3月29日木曜日

とうとうこの里にも桜の便りが

2007.03.29













 この里にも桜の花という春の便りがとどきました。― 嬉 ―
 
 咲いた桜のスライドショウ(2,3枚だけど…)

           


  それに昨日は見えなかったのに、村中で春の気配がたっている。

  鴬は嬉しそうに唄っているし、草は突然立ち上がったみたいに

  ローゼットからぴんと立った葉に変わっている。

  タンポポやスミレも身を真っ直ぐに空に向かって伸ばしている。

  灰色がかったさびしそうな空の色もなんだか薄れてきたみたいだ。

春の宵は柔らかですね

2007.03.29 13:21



 千金の価値というが、
 本当につくづく頷ける歳(年齢)になった。

 ぼくは与謝蕪村の春の句に好きなものが多い。

 一番ぴったり来る蕪村の解説(研究)は

  


 与謝蕪村の小さな世界

  著者の他の本

  蕪村の細やかな季節感に触れると
  成熟した江戸時代の町人文化の凄味さえ感じる。

 それに比べられたら困るけれど、

         

 所用で妻が実家へ去んだ夕べ、

 手持ち無沙汰で台所で手酌で呑む厨酒も

 春の宵に似合う気がします。

 

朝霧の中をでかけた

2007.03.28 23:20








朝7時、辺りは深い霧に包まれて濡れていた。

自分だけが浮遊して白い空間を流されている気分。

鴬がさかんに鳴いて、まるで桃源郷への細路を辿る

樵のような陶然とした心地だ。




今朝は母の通院の日。マイカー出勤の車の群れに遭遇。

遅刻しそうであせり、桃源郷の気分もどこへやら。


                

    「これ何?」

    「前に作ったんよ、帯の古きれやったかな…」
    「桜のころやからな…」

           

    「これもかいな… イソギンチャク見たいやけど…(笑)」

    「…」「決め込み人形習う前にな、習うていたんや」

    母は多くの趣味をチョットだけ齧るのだ。

    深入りしない。ただ踊りだけは続いている。
    よほど好きなんだろうな。
    八十過ぎて藤娘やったんだったものな…(汗)

    その昔からの元気さが戻ってきたようでうれしい。
    検査値もみな正常値だ。範囲内に収まった。
    脚が腫れ気味だが腎臓は正常に機能してる。
    クレアチニンが普通値だ。有り難いことだ。
    (頭髪も少し伸びて本人はとっても嬉しいのだ)

           

    母を残して八尾へ走った。
    朝の霧の光景を思い出して、帰宅の路は
    久しぶりに生駒山を越えることにしようときめた。
    道から桜やエニシダやゆきやなぎが見られるだろう。
    お目当ては、辛夷と白木蓮だ。

           

     


    思い通りいっぱい花が見られた。
    母のこと、花咲く山道。光は輝かなくても
    偏在するものだ。今日は身の内が感謝と言う光に
    充たされた一日だった。






























































 
    ありがとう、ありがとう。
    そう黙語しながら走り続けた。


       

花の写真をスライドに。  Slideというサイト。




        








2007年3月28日水曜日

MySpaceのミュージックVIDEOを貼り付けてみる


tamurapan:「お前ぶただな〜送らぬ手紙〜」PV





何もかも一人でやっているらしい、
田村さんという
シンガーソングライターのこれから出るアルバムの
収録されている歌だそうです。
ちょっと 気に入りました。
MySpaceでの最初の私のFriendになりました。
ありがとう。

HP:http://www12.plala.or.jp/vitality/tamurapan/

回転木馬



最良の半分…か

2007.03.28 01:13

 出あったのは、最初は1963年か… 途方もない時間だな。
 
 いまではそこはもう、霞んで青みがかった空気の中に沈んでいる。

          

 同じ学校に学ぶことになった同学年。

 同じ大阪から来ていたこと。

 それだけのことだった。まさか十数年後に、共に暮らすとは。

 ……

 それが今では、…なんだろう?

 背中みたいなものだ。 良く見えないのに、リアルに存在して

 普段は意識などしないが、痒かったりすると、俄然意識する。

 まぁそんな存在。

 それを世間では、ベターハーフ、最良の半分、 なんて云う。



 背中のない腹、 なんて無いから、 まことに真理。

 皴のより始めた腹にしてみれば、

 なぁ、背中よ、背の君よ。長旅もあと少し。

 今しばらくは、我慢しあって行こうよ。

 前方の穴だか出口だか解らぬものに行き着くまでは

 お互い倒れぬよう支えあうより仕方あるまい。



 なぁ背の君よ。人生と言う惨劇への
 
 怖れも哀しみも もう

 やっと尽きてしまったようだね。


 

2007年3月27日火曜日

韓流ブームの基盤-珍説を一つ

2006.11.06 23:22
キムチ鍋の季節がやってきた。鍋物は好きな人も多い。なにより昔から鍋物は「鍋を囲む」という言い方に現れているように、団欒のイメージだからだ。一人で夕餉に鍋物をこしらえても、立ち昇る湯気の向こうに、人はそこにいない親しい人を、面影に見ている…そんな風に思える。
 秋冬の夕餉の定番。キムチ鍋は辛いけれど美味いし体はぽかぽかするし、一時流行にまでなり、いまでは日本の鍋物の一つとして定着している。


在日コリアンの多い大阪、しかも鶴橋に近い土地で育ったぼくには深い感慨がある。貧困と差別にまみれながらも元気に育っていった幼い友らは、近づくとキムチの匂いがしたのだ。
 それがまた差別の種でもあったから、キムチ鍋が日本人のポピュラーな鍋料理の地位をもつ日など想像を絶することであった。

今日本人の消費する漬け物でキムチが一番多いと言う事実はぼくを驚かせる。多くの人も「え、そうなの」と思うに違いない。キムチがここまで日本人の味覚に馴染むようになったのはなぜだろうか。

高校生の頃、自宅へ仲良しだった在日の友人からもらったキムチを持って帰り、夕食に食べると「もう、匂いきついよ」と家族に言われ、翌朝冷蔵庫を開けると消えている。暫くしてまた貰う。美味しかった、と言ったからだ。(実際、キムチの古漬けは家庭の味が染みた絶品)冷蔵庫の品に匂いが移るから駄目、と入れて貰えなかった。関西人はもともと納豆でもくさいからと食べない人が多い。
それなのに、漬け物消費のトップがキムチとは。

ぼくは日本人の肉消費がキムチ普及の原動力と思う。
もともと騎馬民族系統の文化がある朝鮮半島だ。焼き肉にキムチが合うのは自然だ。焼き肉の味を覚えるとき一緒にキムチの味にも馴染んでいったのだろう。すぐき等の漬け物をもち熟れ寿司ももつ国民がキムチを美味いと感じるのは自然だ。こうしてキムチは今では大量消費されているし、体に良いという知識もあいまって人気は衰えない。

突然巻き起こったかのような韓流ブームも、根っこはキムチ・焼き肉・韓国料理に接して親しんだ基盤が出来ていたから、というのは穿ちすぎであろうか。

韓流ブームは去るかも知れない。でも韓国文化への関心は消えることはないだろう、というのがぼくの観測だ。
同じ釜のメシを喰った仲というレベルでの珍説ではあるが。

いまの若い世代が感性のレベルでぼくらをとっくに越えて進んでいるのを感じるとき鼓舞され感情が高ぶってくる。

仕事場のある八尾市にキムチ屋さんがあって、夏場は水キムチ(ムルキムチという)が並ぶ日がある。日保ちがしないので毎日は置いていない。あれば買ってきて水キムチ味の韓国風冷麺を作り楽しむ。
暑気払いには最高の涼しい味だ。そんなときは、食べながら幼い友を想い出す。オモニの手作りキムチを運んでくれた友は今どうしているかと。


--今夜も宵から寝言、Zzzz…

ふと思った3年B組

2006.11.06 15:34
夢たがえに…













  ほとけはつねに ゐませども
  うつつならぬぞ あわれなる

  ひとのおとせぬ あけがたに
  ほのかに いめ(夢)に みえたまふ

                 梁塵秘抄

 

なんだか唐突に、思った。
SNSって誰かが何か言うと
必ず誰かが返してくれる。

この感じ、どこかで体験したような。
デジャビュかな。

あ、金パチ先生…。3年B組。
ドラマの好き嫌いはべつにして、
感じ似ていないかな。
自分の小学生時代、4,5年生のころも、そうだったな。

いじめが無かった訳じゃないけれど、
みんな率直にものが言えて。

こんなこと不意に思いつくのも、

夜明けに見た、ひとり悩んでる重苦しい夢のせいかな。

明日の夢はいい夢見せておくれ。

晩秋は草の実が熟れて

2006.11.06 12:38














晩秋はさまざまに草の実が熟れて面白い。
大半は名も知らぬ草たち。
 (でも食べられるのは知っていたり…)

この写真は、知らない草の実で、
緑色からだんだんこんな透明感のある白に変わってくる。

蔓性の草で、絡まっていたのを払ったとき
実に気付いて採っておいた。
葉はかれてどんな形だったか忘れてしまった。

スグリににた透明感が好きだ。

これからどう変化するのだろう。
縮んで茶色く変色していくのか。
このままで乾燥して縮むのかな。

図鑑がどこかへ紛れてしまったのが、
こんな時はもどかしいな。
いったい何という名の草なんだろう。

暫く小さなガラス瓶に容れて様子見がてら
透明な実の肌艶を楽しませてもらおう

人間五十年…

2006.11.05 21:08








『人間五十年、下天の内をくらぶれば夢幻のごとくなり』
信長が好んだ一節。
下天は、仏教の宇宙観で、天界の1つ。
その1日が人間界のちょうど50年にあたる。
人の一生の50年も、下天の1日でしかない。

夢幻というほかない…


とても有名な歌で信長を映像化する時に、
信長が舞いながら歌うシーンがよくある。

多くの人は信長が舞い歌ったのは

「謡曲」で( 猿楽 )なんだと思っていますが、

実は幸若(こうわか)といいます。

彼が舞い歌っていたのは幸若だったはずです。

幸若舞は猿楽舞とほぼ同時期の流れですが、
少し古いようです。
その前は曲舞(くせまい)とよばれておりました。

白拍子、声聞師の歌の流れです。

その曲舞が幸若舞になったのは
若狭であったようで、

若狭方面で盛んでしたから、
織田家のルーツと重なります。

案外そういう背景で
信長は幸若を、そしてこの「下天の内を比ぶれば」の歌を、
愛好したのかもしれませんね。

織田家のルーツ

幸若舞とは

今晩のおかず

2006.11.04 19:47

今夜はカレーにした。
老人所帯なので野菜主体のおかずが多い。
写真は止めておこう、たかがカレーされどカレーなのだ。

初めの晩は黒酢も入れたが普通のダシで味付けした煮野菜のスープ風。
具はこんにゃく、厚揚げ、ゴボウ、白ネギ、など。

二日目はそれにキムチを入れてキムチ鍋風。炒めたタマネギやニンニクの芽など入れて。

それで三日目にカレールーでカレーに変わることに。キムチの辛さがベースでかなり辛いカレーになった。

ああ、なんて貧しい食生活って?いいえ、これでも十分美味しく食べている。野菜の旨味がたっぷり染み出たカレーは野菜大好きなぼくに「予想外」の満足を与えてくれた。

それにお昼は自宅の柿の実をたくさん食べて過ごしたので、ご飯とカレーがちょうど良かったのだ。

明日は何か魚を買ってこようかな。

TVで水谷修先生のインタビュー見ました

2006.11.04 10:53

NHKのETV特集の再放送で「夜回り先生」の水谷修さんのインタビューをまたみました。

見るたびに自分の中の何かが壊れ涙がにじんでくる。
その何かはきっと自分の中に澱のように溜まって固まっている
邪悪なあれこれだろう。
いらないものなのに取って置いている我欲なんだろう。

辛い苦しい道を歩いている人が画面の向うで
子供に癒やされ救われてもいると自分を語る。
自分を、申し訳ない自分が悪かった、と考える先生の思考は、
真っ当な思考だと感じてしまう。
なら他の大人のひとり、ぼくはどうなんだ。

子供の声には、特別の力がある。
幾日も幾年もたっても耳の底から蘇り
身体を揺さぶり心を開かせる力がある。

そんなこどものいのちの輝きを今ほど食い物にしている時代はない。

先生はいま体調を崩して子供達のメールや電話にも出られない状況だそうだ。心配でならない。

ぼくに出来ることは少ない。でも祈ることは毎日出来る。それがなんの効果もないとしても、彼の歩いていく道が消えてしまわないようにと祈る気持ちがそれをさせる。

日本という国は昔から最近まで幼い子らの歓声が聞こえてくる村や町の暮らしが日々変わらない風景だった。ぼくら大人はいまそれを壊してしまっている。おとなの都合を押しつけて。

なぜ子どもたちはリストカットするの、水谷先生は言う「大人がわるい」攻撃的な社会になってる。職場で「なにやってんだ」と攻撃的関係に囲まれ、家でそれを「妻に向ける」それが子どもに向けられるんです。と。おとながわるい。

ちまたに響く子供の声を聞きながら家路をとることの出来た戦後暫くの日本の社会、まだまともだったのかも知れない。

うないらが すさみに鳴らす 草笛の声に驚く 夏の昼伏し 西行法師



憲法をなぜ変えるのだろう。
なぜ教育基本法を変えるのだろう。
読んでみてもなにも足らないものがない。
実行しなかっただけじゃないのだろうか?
また何かあると国旗と国歌が充満する
軍靴が行進し旗が振られる国に
戻るのだろうか?
普通の国=美しい日本にこどもの声が
歓声が響いているのだろうか?

たくさんのコガラが飛び去って

2006.11.03 15:32

家の屋根の辺りに何かいる…

雀くらいの大きさの小鳥が七八羽群がり飛んだ
首のあたりが白い、
黒っぽいネクタイ模様もあると思う

見ているとあちこち
木々の実をついばんで
いたずらっ子みたいに
パーっといっせいにいなくなった

飛び去ったあとの
屋根の上の空が
なんか心残りの色して
残像になる…

いなくなった子供たち
震災でなくなった子ら
自殺に追い詰められた子ら

小鳥の群れのように
消えてもどこか
いつまでもいる

たとえばコーヒーの
香りの中に
たとえばテーブルを転がる
鉛筆の音の側
きみらは いると
ぼくは気づく

庭の草の陰に、ひょこっと

2006.11.03 14:05

これ、なんという茸かな。

ニガクリタケ? なら毒菌子。
椎茸に似た色で暈の裏もよく似てる。
でも軸が違うし全体に裂け易いので違う。

噛んでみるが苦みはない。
案外食べられるかも知れない…
少しだから汁の実くらいなら使えるか。

ま、下痢はいやだし、いま手元にキノコ図鑑ないしなぁ。

こんな記事書くと都会の人は
だから田舎はイイ、羨ましいなんて言うひとが出てくる。
でも都会はキノコの宝庫なんだ。みんな知らないだけ。
蝉のように鳴くわけでも鳩のように糞するのでもないから
気付きにくいだけ。

公園を散歩するときや道沿いの樹木、植え込みの陰など、
気をつけて見よう。
他家のガレージの横とか。案外に生えてくる。
学校やお寺、教会の敷地なども候補地だね。
達人はあっという間に見つける。
東京はかなり多種の生息地だと思う。
都会というジャングルでリラクゼーションとして
菌ハンティングをしよう。
アミガサタケなど珍種を見つけよう。
美味ですぞ。
ほぼ年間楽しめるゲームですね。

地震?今朝の話?

2006.11.03 13:34
早朝にグラッときたらしい。
震度3だとTVにテロップがでたらしい。
北大阪が震源地との情報も流れたらしい。

 みっつも「らしい」が続くのは、ぼくが白河夜船で気がつかなかったから。
横で寝ていた連れあいは目を覚ましTVも電源入れてみていた。

ぼくが地震で目を覚ますのは震度4くらいから…と笑われている。
そんなわけない。昨夜は疲れていたし寝たのが2時前だったからだよ。

googleを使って日本の活断層をチェックしてみたら、あるわあるわ。
日本は活断層の密集地。このあたりも東西南北どっちに行っても活断層まで遠くない。

いまさら心配なんかしても無意味。出来る対策をして後は覚悟を決めて生きる…だけだね。

ZZZZZZZ、ぐらぐら、どしんっ、むぎゅっ、シーン。
という最期を遂げる自分を想像する。
で、せめてというので、日頃から2階で寝ている。

のんきなぼくの唯一地震対策…

晩秋を残して雲は行った

2006.11.02 23:20

街なかを風が渉る
昼の月は影が薄くて
遠くに霞んで
ビルの間を人間が
凝集して動いている
空だけが静か

こんな日は
はたはたはた
はたはたはたと 
こころが靡く音がする

埃っぽい風が渉る
先はもう見えない
スクランブル交差点で
すれ違う顔の どれひとつ
ほほえんでいはしない

思い出せない何かを探して
見あげる空
そこだけが深い青さだ
立ち止まってみていると
なぜか湧き上がって
切なく想い出が群れる

肩先を暖めている
傾き始めた陽射し

雲はここを発って
入り乱れながら
どこへゆくのだ
ぼくを残して

窓から見えるもの、窓に訪れるもの

2006.11.01 20:17

画家の藍みつるさんがSNSのページに
カーテンにとまったカマキリの写真と
お帰り願った顛末が書いてあります。
ふむふむ~と読ませてもらいました。

ぼくも先日カマキリを撮りました。
庭に何匹もいてじっとしています。日向ぼっこです。

自然は生き物で充満、いのちが溢れています。

女性は苦手な人が多いから
カマキリが部屋にいるのは困るのでしょうね…

夏場だけですが、
ぼくは昼間は窓を開け放っておきます。

オニヤンマ、
アゲハ蝶、
ヤモリ、
モリアオガエル

の出入りは許します。

一度窓からマムシさんが入って来てびっくり。

お帰り願うのに大騒ぎしましたが。

ブンブンやクワガタなら良いのですが
ミツバチを追ってスズメバチまで来ると
さすがにぞっとしますね。

窓ガラスに3センチくらいの
モリアオガエルが
じっと止まっているのは
とてもとても美しい光景です。

本を読んでいる耳の傍をくすぐるように
アゲハチョウが舞い過ぎてゆくのは

真昼の夢みたいです。

努力しなければ、<すれば、じゃありません(^^)> 
都会でも同じような感じにできるのですよ。

彫刻家の友人は
庭を一切の手入れを止めてしまい
草木の生えるに任せ
野鳥や虫の来るに任せています。

鳥の落とした種が背の高い樹に育ったそうです。

植えないで、
無為に徹して、
樹を得た人 ですね。

希望という衣を着た絶望的子供たち

2006.11.01 00:14

希望という名のあなたをもとめて…

希望とはなんだろう。
希望とは人をどこへ導くものなのか。

自殺者が続出するいまの子供たちの姿に心痛むが、
そこからぼくはあらぬことを考えてしまう。

一人一人の子供達は、いつの間にか
「自分一人の目標」という名の、
奇妙な希望を持たされているのではないか。

自分の成功、自分の願いの成就することを、
希望と呼んでいいとしても、
そしてその目標が仮に、
「人類に役立つ発明」などであったとしても、
その希望は他者に依存しない孤立した希望ではないか?

人と人は相互に依存し合うもの。それが救いでさえあるほどに。

人は人に出会い、場を共にし、
時には傷つけあうほどに、
縺れあい、関わり合い、
共に過ごす時間を生きる。

希望の本当の姿はそういう場にあるものではないか。

本当の希望は他者を前提にし、他者に依存するものでないか?

希望が他者へ、人から人へ、向かって
広がり伸びるもの、であれば、
いまの大人も子供も、
過剰で孤立した個としての希望によって
浮き上がってはいまいか?

まわりに誰もいないときも成り立つ夢は
本当の夢といえるのか?

手に触れるすべてが黄金になる腕を手に入れた
ミダス王のように、
愛娘まで黄金に変わるまで気付かない、
個的希望の膨らみ。

自然からの離反で始まった人間の自立は、
最後にはお互いからの離反へ
自分からの離反へと行き着く。

果てしない人生の途上で出会うのは
たぶんどれもこれも
自分に似たまがい物の対象、
決して他者という豊かさではない。

時間を埋めているのは
「目標は達成された」という確認だけ。

手に入るものは皆、金で買えるものか、
人との比較で価値の決まるものしかない世界。

希望という名の絶望
と、ぼくはそれに名をつける。

希望という色を身にまとっていても
それは絶望と呼ぶ方がふさわしい
そんな本性のものだから。

子供達を追い詰めている本当の不幸は
絶望を未来と取り違える錯誤にあるし

実態は今の社会の落ち込んでいる
人間の共同性の欠如、連帯性の稀薄、
コラボレーションの解体にある。

「可愛かったら得するよ、ママがいってた…」

こどもという自然に近い存在を
このように利得至上主義に押しやって
反自然の存在に変えてしまう、

こんな社会はどうにかして
変えなければならないと思う。

人が人といることの豊かさが

すべての価値の源泉なのだから。

お茶の実は小さな瘤みたいだ

2006.10.30 22:03
お茶の実がついている。
形は不揃いで瘤みたいな感じだ。

マタタビの実に似た感じだがそれほど不揃いではない。

あれは蠱えいといって虫が入って瘤に成るのでひどく不揃いだ。

北山時雨に濡れて、
芹生の里のマタタビは実り、葉を白く変えただろうか。
ハシバミも実っただろうか。
その傍にあった継子(ママコ)の手
--ハナイカダは今も立っているだろうか。

妻を亡くして自分を見失い、
逃亡者のように、
山里にひとり行き着いた。

森の中に逃れた男は
名前さえ樹々の暗がりに隠した。
三年の間、山は黙って男を包んでくれた。

地の果ての寂しさが、人を癒やす。
ヤマネやテンやフクロウが
訪ねてくるだけの
言葉のない時の流れ

森を抜けるせせらぎの呟きを
叶えられない約束として聞く
明け暮れ
だがいつのまにか
水と風と闇が

いのちを返してくれたのだった…

京北の山里の暮らしを
漠然と想い出させてくれた、
ひとつふたつの木の実。

晩秋の森の薄暗がりに見つけた
お茶の花とその実。

ポケットにそっと実を滑らせて持って帰る。
食べられるものではないのだけれど。
弾けて種が覗くまで
テーブルの上に置いて
楽しみとしよう。

お茶の花は寂しげ

2006.10.30 22:00
新聞受けへ降りていくとき、
道ばたにお茶の花が咲いていた。

大好きだが、
お茶の花は寂しげな花と感じる。

清潔で柔らかな白い花弁。
寄り添って支え合っているような黄色の花芯。

お茶の木の葉は固くて、濃い緑だから、
いっそう花の白さと可憐さが目につく。

手入れの途絶えた森の端にひっそりと咲くお茶の花。

どこかで自分の人生に添えられた
コメントを読むように
お茶の花をのぞき込んでいる、
ぼくがいる。

ここいらの柿は嫁泣かせやった…と聞いた

2006.10.29 23:21









この村の柿は特徴のない柿で、
縦長でもないし平べったくもない。

ところが、とんでもない特徴がひとつある。

これが嫁泣かせといわれる理由になった。

じつは日本の柿はもともと皆渋柿だったのだ。

その中から甘柿が変異種で出現した。
神様の贈り物みたいに。

そんな事情で甘柿は接ぎ木で増やすのだそうだ。
苗木を買ってきたときすでに接ぎ木された苗だそう。

ところがである。
渋柿が渋いのは当たり前。
種が十分に成熟するまでにもがれたら、
子孫を残すのに不都合だからだ。

だから渋い実にまずなってから、
後で甘くなる。

熟れた柿の実…
(真っ赤な夕日に似た、しかし昏い赤色。、
シャーベットにすると最高の甘さ)
でもすぐじゅくじゅくになって傷みやすい。

出荷するには向かない。
それで堅いけれど甘い、
ヘンな品種が、求められたわけだ。

今の甘柿とは、近世の経済に合わせた商品の柿。
商品化品種の登場を意味している。はず。

自給自足の暮らしでは、熟れたのから食べ、
渋いのは置いておき、熟れさせて食べる。

余るほどなら渋のまま剥いて干し柿にする。
それが自然な暮らしの形なのだ。

この地の柿は自生種の柿で、
特徴はバラバラに熟す性質があること。
出荷し始めたとき、問題が発生した。
全部渋柿か、
全部甘柿かならば
出荷には好都合なのだが、
混ざっているのだ。

甘柿に渋柿がまざっている。

しかもこの甘柿は、当時としてはとても甘く、上品な味。
人気も高い。値も高く売れる。

そして、
さぁ、嫁が泣かされる番だ。

----ぼくも今では、
どれが甘柿で、どれがまだ渋柿か、
9割以上、当てられる。

9割じゃ駄目。完璧じゃなければ…
と舅、姑が言う。
出荷の篭にひとつでも渋が入っていたら、
信用なくす!

土地で育った舅や夫は簡単に見分け、
ン十年の姑はよそから来てもベテランになってる。

嫁は泣く。柿のせいで泣く。

写真はかつて若い嫁達を泣かせた、
その柿なんです。
黒い点々状に糖分が詰まった、
美味しい柿。

ぼくは今日初物として5つも食べたのでした。

柿の木に柿実る、何の不思議なけれど…

2006.10.29 21:09
柿が今年も熟れ始めた。食べ時のものもある。
柿はビタミンCが豊富な果物なのに、
この頃は若い人はあまり食べないのか、
売れ行きは伸びていないそうだ。

柿の葉を6月頃に採集して、80度くらいの温度で蒸すと、酵素が活動を止める、蒸し器から降ろして、風を当てながら十分縒りをかける感じで揉み込む、そうしてお茶に作りあげる。

これが柿の葉茶である。

ビタミンCとカテキンのたっぷり入った健康茶で、
これを毎日お茶代わりに飲めば風邪を引かないし、
アレルギーにも強くなる。
昔から柿が実る頃医者は休業というそうだ。

ぼくは電子レンジとオーブントースターを併用する方法で、
即席「製茶」で柿の葉茶を作ってすぐ飲む。
まあ、8月頃までだけれど。

住んでいるところが京都のお茶の産地なので、
近所には道ばたに雑木としてお茶が自生しているので、
採集してきては自家焙煎ならぬ自家製茶。

その日の分をその日の朝作ることが出来る。

番茶と割り切れば今だって葉を採れる。

栽培の茶の木ではないので「完全無農薬」の茶。

西式健康法では、
この柿の葉の茶を毎日飲用する。

最近たっぷりの水を摂ることをやかましく言うようになったが、
昔から水と柿の葉茶(ビタミンC)の常用を教えていたのだから、
西勝造はすごい。

ぼくらの青年時代は、

運動中は水分を摂ってはならん、

と言われていた。

が、西は人間の体の本質を見抜いていたので、

毎日1升(約2㍑)飲むべし、
飲める体質になれ

と指導していた。

ぼくもそれに学んでいるわけ。

水のことと並んで、
排泄便通のこと、
皮膚の鍛錬。

みな現代医学が今やっと解明し始めているのだから
西の直感と洞察と仮説はたいしたものだと感心する。

ぼくは西勝造の追従者ではないが、
学ぶところの多い偉人だと思う。

庭にカマキリがいっぱい居て…

2006.10.29 14:28

毎年今頃になると庭にカマキリたちが姿を見せる。

産卵の前の何かの儀式?

背戸の板のうえとか、日当たりの良いところを選び、じっとしている。

今日は南側の縁側の網戸に二匹がじっとしている。

カマキリってカメレオンのように周囲の色に合わせて体色が変わるようだ。

アップで見るとやっぱり精悍な顔をしている。こっちに気付いて小さな警戒の目を向けているな。








かまきりの顔のアップ

でもこうして集まってきて、交尾して、無事産卵がスタンバイすると、
オスは食べられてしまうんだよねぇ。オスは哀れ。

新聞受けは坂の下

2006.10.26 13:48朝刊を取りに下へ降りる。30mくらいかな。
考えてみると不便と言えば常時も不便を感じてるわけだ。

でも、此処は標高200mほどの丘の上。周りは三方を杉や檜や椚木の林で囲まれて、google earthで見るとまるで山中の一軒家みたいにみえるところだから、仕方がない。

郵便屋さんはバイクだから一気に急坂を上がってきてくれるが、宅配さんはヒトによっては上がってきてくれない。怖いと言って。
無理もない。今年は一度滑って脱輪したもの。

女性の配達人は軽い荷物は手でもって上がってくる。重いときは上がってきて「取りに降りて」と言う。で、とことこ降りて取りに行く。

郵便局が集配を止めた。遠くからの配達になりサービスの行く末が心配だ。車でコンビニまで何キロも走るなんて年寄り達には無理。バスも来なくなる予定。小泉流政治は切り捨て政治だと、田舎暮らしからはそう見える。

そんなこんなで、毎日は不便。
でもそれも季節のある暮らしと一体のものなのだ。
そこにささやかな喜びもある。

今朝は傍らの茂みに白い色が散らばっているのに気付く。
あ、お茶の花。
茶の実もはじけそうに枝になっている。

足下に三つ葉がある。摘んで帰って汁に散らして香りを楽しんだ。

気持ちに余裕をもって暮らせば不便が不便でないようにもなる。

またムササビの季節?

2006.10.25 09:59






2階の寝室の壁あたりから、ごそごそと動く音がする。

どうやら何者かが入り込んだらしい。
天井裏の動きが伝って壁から聞こえるのだな。

たぶんムササビ。
あ、今ぎゃっと言うようなにゃっと言うような声がしたぞ。
TVや電話のコードなんか囓らないでくれよ。

ハクビシンかもしれない、この間軒下をそれらしいのがスーと通っていったから。イタチにしては大きいなと思い首のところが白かったように感じたから。

此処は人里だけど獣たちもいっしょに暮らしている感じだ。
害獣も人から見ての話で害を感じなければ隣獣とでも言って良いものたちだ。

昨年秋から春にかけ猿の集団に相当荒らされた。
屋根の上でまるで運動会やってるみたいな毎日。

この村は最後は空砲をうつ装置まで設置したが、あまり効果なし。
今年も柿が実り始めたし、数日前にとうとう出現した。

でもね、かわいい小猿と母猿なのだ。

芭蕉翁ではないが、小蓑を欲しそうな小猿に哀れを感じる。

被害がないならそっとしておいてあげたい気持ち。

少し悩ましい季節が始まった。

マイクロファイナンスと平和賞

2006.10.24 22:03
私は経済にとても疎いのですが、

貧困に喘ぐ諸国の発展にどんな仕組みが必要なんだろう?

と、いつも思っていましたので、
アメリカの研究者(女性)の書いた、(かなり分厚かった)

グラミン銀行の研究レポートを読んだことがあります。

あまり理解出来なかったのですが、

そのルールや実績には強い印象を与えられ、すこし興奮した記憶があります。

日本の頼母子講や信用金庫に似ているところもあります。

とりわけ、

地域で生きがんばる女性達への信頼と

国の未来への強い希望が胸を打ちました。

このような方法がどれだけ貧困克服に実際に役立っているのか、

天災や戦争やグローバル化が成果を一呑みにして台無しにしないか…

確信はありませんが、希望ではあります。

世界に広がり始めたグラミン銀行型や他のタイプのマイクロファイナンスが、

私たちのような名も無い市民の無数の預金にリンク出来れば、

素敵なことが起こるのじゃないかな。

経済音痴としてはそんなことを考えたりもします。

現実のグローバル資本主義の厳しさを知らないだけかもしれませんが…

カザニエ ( casanier? ) が好き

カザニエ、(あるいはカザニエーか?)という,フランス語らしき単語が純正の仏語かどうかは、知らない。確か堀田善衛氏の本で出会った言葉のように思うが、心に掛かって忘れられない言葉。
家居(カザニエ)。
自分がぼんやりと感じていたものを言い当てたことばだった。

 「ひきこもり」ということが言われ始めるずっと前のことだった。
 いまでは閉じこもる若者は「ヒキコモリ」と書くのかも知れないが。
 本当は引き籠もるとは、そうネガティブとは限らない行為、
 ではないかとも思うのだが。

 カザニエとは「家居」とか「隠居」と訳せるのだろうが、
 これらの日本語には特有の癖がありもうひとつ腑に落ちない。
 給料で暮らすのが普通の社会では、暇人、失業者、道楽など、
 ロクデナシのイメージに繋がっているようだ。

 括弧つきにして、家居(カザニエ)と書くと、
 なにか新しいライフスタイルみたいに見える。

 都会でも田舎でも、家居(カザニエ)の好さは、
 自分のペースで暮らすという事に尽きよう。

 だれにも気兼ねなく家で静かに暮らすことを、
 家居(カザニエ)とぼくは一人でそう決めて使っている。

 そういう目で眺めると、カザニエであるひとは、
 まわりにもいるものだ。 
 うらやむべき暮らしをしているかに見えるひとたち。

 世間から距離をとって、その限りでは「ひきこもり」して、
 自分の暮らしをもう一度自分の手に取り戻した人たちだ。

 問題はその「隠居暮らし」が、言葉どおりで、
 自己完結した遊興や趣味三昧で終わるのかどうかだ。

 確かに、趣味悠々…も悪くはない。
 でも、それは自分の世界ではないように思う。

 自分は世界の一部分であることから逃れようがない、
 ……静かに暮らしたいし、それを願うが、
 世界に餓えで苦しむ子供がいても
 我が暮らしのみ見つめて 充実した人生と、
 納得できるほどぼくの視野は狭くないみたいだ…

 でも、何が出来るというのか。
 そう思いながらも、 時だけが過ぎる日々であるのだけれど。

 一人居して静かであることは、
 自分を越えることにも顔を向けるためには、
 必要な条件であるのだ。

 家居(カザニエ)でおれる時を願うのは、
 自分にそれが要るからだ。
 …自分らしい自分を、いつも維持したいのだ。

 モンテーニュのように自分を種に人間を省察するより
 ネットで繋がり、自立した思考を確保しながら
 人間一般でない、生身の人類の一人、であることを実感したい。
 そう思う。

 気力や静謐は田園の暮らしで養いながら、
 参加者であり、俯瞰的観察者でもありたい。

 森陰の一軒家からネットに向けて綴るこの日記も
 その世界に開いた窓のつもりで続けている。
ミラノ 『三つの都市』より
2006.11.26 00:35

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


        ミラノ


 石と霧のあいだで、ぼくは

 休暇を楽しむ。大聖堂の

 広場に来てほっとする。星の

 かわりに

 夜ごと、ことばに灯がともる。


 生きることほど、

 人生の疲れを癒してくれるものは、ない。



           訳:須賀敦子 
           『ウンベルト・サバ詩集』みすず書房 



 ウンベルト・サバの詩集をベッドサイドに置き、気が向くと読んでいる。
 というより、サバの詩の日本語訳を通して今は亡き須賀敦子さんの文章を読んでいる、
 たぶんそうだ。

 『コルシア書店の仲間たち』という一冊が、ぼくに稀有な文体に出会う
 幸運を授けてくれたのだった。

 あまりに短い作家人生だった。
 普通の生活者である眼差しがそのまま深い人生への
 啓示的洞察になっているような文章。
 いや。もっと普通にフツーなひとの文章なのに、
 読んでいるうちになんだか大変静かで不動の場所へ導かれていく、
 そんな文体だった。

 いっぺんで好きになった。
 こんなことは過去一度だけしかない。
 その一度も文章に対してではなかった。
 そのひとも詩人で、あっという間に生涯を終えたが。

 本をゆっくり読む。落ち着いて、物として本を手でしっかり持って、
 読む。お茶を飲んだり、鼻を掻いたりしながら、
 生きている実感を触りながら本を読む、
 それが喜びなんだと、思い出させてくれたひと。須賀敦子さん。

 大作家には数えられないであろうひと。

 でも、この詩人が言うように、
 人生そのものほどに生きる疲れを癒してくれるものは、ほかにない。

 須賀敦子さんはそのようなことばで、本を書いたのだ。


 
 
 
ウンベルト・サバ詩集


ウンベルト・サバ詩集

 
  Amazaoの書評: ウンベルト・サバはイタリアを代表する詩人であるが、その名前や作品は広く一般には知られていない気がする。

 サバの生まれはイタリア東北部のトリエステという港町。昔の繁栄やオーストリア支配下の頃の栄華は既になく、本文の中のトリエステの街は、何処となく寂しい感じがぬぐえない。サバの詩もそれに添うように何処となく寂しさを感じさせるが、決して陰鬱ではなく、愛する人を謳ったもの、トリエステの街並みを謳ったものとさまざま。強風の吹くトリエステの街を、そこに暮らす人々を、サバの心象が言葉となって、美しく時にせつなく、たんたんと謳われてゆく。
 須賀敦子さんの訳もまた、この作品のよさを一層引き立たせている。
 拾い読みをしたり、何度も読み返したくなる詩集です。

2007年3月20日火曜日

Thai の PhiPhiだったかな。 見ていると癒されていきます…
デフォールトのサイズで (width="425" height="350")



平城宮址は公園状態になっていて、しかも発掘は続行中。
いまは大極殿を再現工事中。
Gnomonが通常利用のサイズ (width="255" height="210")0.6倍



遺跡の中で生活する…ローマ市民や奈良市民の自然さ。
若い人たちの肩の力を抜いた自然な練習風景…
画像が荒いときは小さくする(width="170" height="140")0.4倍

   もうじきに花が咲きます。
   わさび(山葵)です。裏の林の中にあります。
  

   刻んで葉わさびの醤油漬けにすると、ご飯がすすみますよ。
   辛味をどう引き立てるかが工夫のしどころらしい。
   でも、あまり上手にできないんですね。
  
   花は十字花植物(のハズ)だから、形がすっきりした白い花。
   王冠を捧げるように咲くので、ぼくはとても美しいと思っています。


   昔、京都の北山の渓流沿いに山深く分け入って
   ちょっとした陽だまりに光を受けてま白く山葵が咲いていた
   その白さに涙が出たことがありました。
   山奥で育った素朴な少女の風情がありますね。