2006年12月17日日曜日

クリスマスの宵にキリストを思いますか?

2006年12月17日(日)
ジョット筆「小鳥に語りかける聖フランチェスコ」

ぼくはキリスト教徒ではない。クリスマスはだからぼくにとって祝祭の日ではない。
今夕から神戸のルミナリエというライトアップとイルミネーションの行事が本番入りし、21日まで続き、それからすぐクリスマス・イブへと繋がっていく。耳にもうずいぶんとクリスマスソングが寄せてきている。街はなにか特別の雰囲気になっている。クリスマス商戦たけなわなのだ。


でも、クリスマスは心かき乱す想い出に充ちた時期でもある。何かが終わり何かが始まるとか、一夜で何かが変わるという期待と不安が訪れる時機のように思う。なにがそう思わせるのだろう。



ぼくの祖父母は教会に属する人であった。祖母の傍らにはいつも小さな小さな振仮名の打たれたテキスト、黒い本、新約聖書が置かれてあったし、眼鏡をかけて声をだして読んでいる姿がぼくの記憶に浮かんでくる祖母像になっているほど二人は真面目なクリスチャンであった。

だが、太平洋戦争の最終局で大阪を襲った空襲で祖父の店と同時に、彼らの心の支えであった教会も燃え上がり崩れ落ちた。だから戦後他の教会へ所属したがその教会も燃えてしまっていた。日曜学校といったものにぼくが縁がなかったのはそのせいだろう。


だが、イエスという存在が救い手、守り手として、人間の最後のところを支えてくれる力をもつ方というイメージは、何故かぼくにも手渡されている。

だから自分で聖書を読み始めたのは中学生になったころだった。
信仰心が芽生えたわけでもなかったようだが、

やさしい眼差しをもつ一人のひとを、ぼくは知ったと、そう思ったのだった。 

以来クリスマスはイエスを思う日になった。


1976年イタリアへ旅したとき、中部イタリアの中世都市アッシージを訪ねた。
聖フランチェスコ(サン・フランシスコ)の開いた修道会と教会がある町だ。
世界でもこれほど美しい景観をもつ教会は少ないだろう。
バチカンも負けている…そう感じたほど美しかった。


フランチェスコは小鳥にまで説教することが出来たと言われていて、初期ルネッサンスの偉大な画家ジョットの描いた絵が残っていた。

絵を見ていて霊感に打たれたように気付いた。イエスというひとは私たち東洋人も持ち合わせている自然との融和をもったひとでなかったかと。フランチェスコが清貧と孤独をもってイエスに近づこうとしてその願いを果たしたのは、東洋人の私たちにも分る選択のように思えたからだ。

 本当のことはぼくには分らない。が、最後にイエスがつぶやいたのは「我が身を委ねん」であった。創造主、天地と生けとし生けるものの父に同化しようという意思を口にしてイエスは死んだ。そこから逆にイエスの生誕の意義を問い返すことも出来るのではないか。


ぼくにとってはクリスマスは、このような問いとともに居る時間になっている。

クリスマス・イブはしかし、幼い人たちに混じって彼らの笑顔に日常に疲れた気持ちを紛らわす機会でもある。 さて今年は、どうなることか、計画では義理の姪の子供たちと過ごせる事になっているが…

何かがおこることも多いのが、ぼくのクリスマスなのだ。

2006年12月5日火曜日

 『雪そして独りの時間』 

2006/12/05



    『雪そして独りの時間』

             --老残抄のつもりで


  融けてしまったチーズの中に
  ぼくの 過ぎ去った恋がある

  拭き残しのある ガラス窓に
  ぼくの失った 想い出が 輝いている

  ぐつぐつ煮える ポトフの中で
  ぼくの指先が 湯気のむこう 揺らめいて

    - その指先で ぼくは 君の乳房にふれていた…
      夢見た地平線 君の白い腕が
      目覚めた ぼくの前に 長く延びていた -

  融けてしまったチーズの匂いが
  ぼくの落とした 卵形の時間

  枯れ草から 飛び出す 子雀の
  一打ちの羽音に
  去った恋  哀しみ そして 勇気が舞い上がる

  天からゆっくりと 雪が降り
  地上が せり上がっていく
  冬のま昼

  ぼくは 想い出をたどるように
  まどろむ 猫の背を 撫でている


                 2006/12/05