2008年5月28日水曜日

予告編見たが 良さそうだね

<いいもの観たい>

「西の魔女が死んだ」





「ぐるりのこと」


上映場所
http://www.gururinokoto.jp/theaters/


どちらも「トラウマ」や「こころの深層」のことが背景にあって生きるってことを真面目に切なく考えさせてくれるものだろうと予想している。

とくに「ぐるりのこと」は身につまされる予感がある。

美術を学んで、でも美術家ではない生き方を選んで…
夫婦に降りかかるありふれただが深刻な葛藤…
心の闇、それを見守るほかない夫…

自分の人生に重ねてみるだろうなと、思っている。少しためらったがやっぱり見に行こう。

同時に見れるのは上映日程から21日だけ。
もしだめなら「ぐるりのこと」を選ぼうかなとおもう。

 

これから読みたい2冊の本 自分用覚え



かはたれ―散在ガ池の河童猫 (福音館創作童話シリーズ) (単行本)

朽木 祥 (著), 山内 ふじ江 

価格: ¥ 1,575 (税込)
内容(「MARC」データベースより)
河童のこどもがやってきた。小さな猫に姿を変えて…。かはたれ、それは魔法の解ける時間。今まで見えなかったものが見えてくる。心の問題を抱える少女・麻と、河童のこども・八寸との、ユーモアと感動に満ちたファンタジー。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
朽木 祥
1957年、広島市に生まれる。被爆二世。上智大学大学院博士前期課程修了。
2002年より児童文学の創作を始める

山内 ふじ江
1946年、栃木県に生まれる。東京芸術大学油絵科卒業


ユウキ (福音館創作童話シリーズ) (単行本)
伊藤 遊 (著), 上出 慎也

価格: ¥ 1,365 (税込)

内容(「MARC」データベースより)
転校生の名前は、いつも「ユウキ」。祐基、悠樹、勇毅…、思い出と痛みを残して去っていった転校生たち。そして今、ケイタの目の前に、長い髪をしたひとりの女の子が現われた…。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
伊藤 遊
1959年生まれ。京都市出身。立命館大学文学部史学科卒業。96年、はじめての長編「なるかみ」が、児童文学ファンタジー大賞・佳作を受賞、97年には「鬼の橋」で同大賞を受賞。これまでの刊行作品に、『鬼の橋』(98年、福音館書店/産経児童出版文化賞・推薦)、『えんの松原』(2001年、同/産経児童出版文化賞および日本児童文学者協会新人賞)がある。札幌市在住

上出 慎也
1963年生まれ。石川県出身。金沢美術工芸大学美術学科卒業、同大学院美術工芸研究科修了。高校時代、8ミリ映画制作(クレイアニメ)に没頭。その後油絵を始め、画家・鴨居玲に傾倒する。大学院修了後、都市計画関連の会社で、都市景観やまちづくり業務に十二年間従事した。現在、フリーのイラストレーター、画家として、絵本・イラストレーション制作を中心に活動。石川県在住

2008年5月27日火曜日

大阪人もあまり知らないが河内は


『悪名』シリーズは今でもビデオで見られます…


 大阪人でもあまり知らないが
河内は古代日本の先進地域だった。

 五世紀の「河内政権」説はさておいて、
推古朝以降の時代からそれは著しいものがあった。

 今では「かわち」というだけで、映画『悪名』での
勝新太郎と田宮二郎の「悪口と喧嘩」のイメージが
後をひいてか、「がらのわるさ」が強調されている。
 
 実際、近世以降の河内は木綿栽培をバネにして
活発な商品化経済が起こった。
その土地の元気と活力が独特の土地柄、気風を生んだのも確か。
 
 その一面は「八尾の朝吉」という(実在のモデルもあった)
河内のやんちゃな男衆のイメージの基となった。
それは小説家今東光氏の筆の冴えがあったからだ。
だが、一面が誇張されたのも事実。

  どんよりと変化のない農村ではなく
目端の利く、利にさとく、機転の利く
商い感覚をもった農村人、
河内の男達はみな「頼もしい」「頭の切れが良い」
近代的なセンスを持った大阪人の源流のひとつなのだ。

 それはとおく万葉時代、それより古くからの
この土地の先進的気風につながっている。

 聖武天皇の時代には天皇が国政の難局を乗り切る方策として
東大寺造営をもって国家鎮護を祈るという一大プロジェクトが興された。

 仏教の裾野の広がり無しに、古代日本のこの時期を解釈できない。
大仏造営に協力した僧行基(渡来人の子孫で、菩薩といわれた)と
巨大な信者集団が果たした役割は大きかった。

 プロジェクトのリソースは河内からも出ている。
河内や和泉に広がる渡来人系、在地豪族系の仏教寺院や
その文化、生産力(技術者)の物心両面の協力なしには
大仏は完成しなかった。

 「悪名」がでたついでになるが、古代史の断片。
「悪僧」の代表は戦前は、(今もか)
弓削道鏡という人物。河内で現在の八尾市の人。

 称徳女帝を色仕掛けで籠絡し、国政を曲げ、帝位を窺った悪人-
ということになっている。
だが、称徳女帝の病を癒やした天分に充ちたヒーラーであった。
だから彼女は彼を熱愛する。そのために確かにもう少しで
古代国家の王権は僧侶が簒奪することになりかけただろう。

 これは「皇親による継承」という古代天皇制の逸脱となる。
それで、クーデター的に道鏡は失脚していくのだった。

 だが熱愛の二人が、河内の道鏡の郷で行宮(あんぐう)を
営んだころの段階でとどまって、我慢していれば、
どういう展開になったか。

 河内は1960年代までは見通し遙かに水田や畑の続く平野だった。

 だが遙か古代の河内は、寺院が建ち、
川には美しい大陸風の丹塗りの赤い橋が架けられ、
采女風の装束で豪族の娘たちが渡っていく風景がみられたのだ。

  しなてるや 片足羽(カタシハ)川の さ丹(ニ)塗りの
  大橋の上ゆ  紅(クレナヰ)の 赤裳(モ)裾引き
  山藍もち 摺れる衣(キヌ)着て ただひとり
  い渡らす児は 若草の 夫(ツマ)かあるらむ
   橿(カシ)の実のひとりか寝(ヌ)らむ 問はまくの 欲しき
  我妹(ワギモ)が 家の知らなく

              万葉集 巻9-1742 高橋虫麻呂歌

  反歌
  大橋の頭(つめ)に家あらばま悲しく独りゆく子に宿貸さましを
 
               同   巻9-1743 高橋虫麻呂歌
 
 纐纈(コウケチ)染めという古代染色技法があった。
 それは河内の在の渡来系の技術で、
 纐纈(こうけつ)姓の方がいまでもいるのは、
 一族の専門職をその姓としたからだ。

 いま高安の里の高みからながめると、大阪城を取り巻く高層ビル群が
近代的群像となって、霞んで見えている。

 古代の人々は逆に、難波津に船泊りするとき、
遠くに寺院の塔や大屋根が夕陽に輝いているのを見た。

 生駒山の下に広がる河内の風景に、古代都市的風貌を感じて、
もうすぐ都に入れると胸を躍らせたに違いない。

2006.11.18 記

米寿の祝いって…、実は本人主役の踊りの会



 25日は大阪市内のさる老舗の料亭で母の米寿祝い。

 何度目の復活劇なのか。
 「お産以外寝込んだことがない」という女の健康さの喩えを地で行く母だったが

 最初は大腸がんで手術。はじめは家から出かけなくなるほどの打撃だったようだ。
 が、気を取り直すと積極的に行動に出始め、以前通りの人づきあい、習い事。

 二度目は大腿部骨折で骨頭壊死で人工の関節に。
 が、またも目標を人に言わずにリハビリに邁進。
 一年後に踊りの会で復活を披露した。

 三度目は家族ももうだめかと覚悟したほどの病気。悪性リンパ腫。
 しかし、タイプが治療実績の上がりやすいタイプだったから薬などがよく効き、
 医師の手際の良いチームワークで「事務的」なくらいスムースに退院。

 以来ぼちぼちと稽古しているのは気付いてはいたが。
 「やる」というのを「やめとけ」とは言えないよね。
 転ばないでくれ、と祈るような気持ちだったが、
 畏るべし88歳というほかない。やってのけたよ。

 MICHIKOさん(86歳)といい母といい、年寄りが元気だ。

無心ということ

無心とは「心無き」こと

無心にあそぶ子どもたちという表現が、
無心の意味をよく表している。

心無い仕業ともいう。「酷い」仕打ちのことだろう。

『心』が無いとは、では一体どういうことか?

人としての資質を、世間知を、他者への思慮を、備えている。
「分け知り」顔というときの、「分別」をもつこと。
「情を通じ」というときの、「なさけ」「男女の機微」「人情」を知ること。
それが「有心(うしん)」心あり、だろう。

「こころありげな」風情とは靡いてくれそうな予感ということであろうか。

どれもこれも、実はあまり、ぼくには縁がない。

やはり、ぼくは心無いヤツ、{非情}なんだろうか。

無心は、けれど自由と言うことだ。
西行法師はよく「こころなき身」と歌っている。

法師、出家は脱世間だから、
世間知を捨て、恋情を捨て、父子の恩愛を捨てて、旅立つ者。

出世間こそ「こころなき身」、その心情は、こころでないこころ。
そこに自由な感情の生成という逆説的な情感があふれ出る。

「いのちなりけり」と日々を実感して生きる喜びの歌が生じる。

それは「仏心(ぶっしん)」ほとけごころの歌といってよいはずだ。

「いのちの喜び」の歌をさがして、旅し歩き続けた西行に「学ねび」て、
ぼくも歌心もって、生きてゆこう、あとすこしの道のりを…



ところで…
お金をちょうだい、と言うのを
「無心する」と言ったんじゃなかったか?
あれは何故、「無心」なんだ?
 
檀家に無心する、無心な僧侶?(笑)
 
                        2006.11.10 記

 

2008年5月24日土曜日

資本主義の限界を越える道を探究する政治家              

5月18日 サンデープロジェクト   



其の一 読み継がれるわけ<「蟹工船」小林多喜二>


其の二


其の三



サンデープロジェクトがこういう取り上げ方をするのは異例だ。
どういう風の吹きまわしか?
でも見そびれたのでYoutubeで見るということができるのは便利なんだが…
放送権は侵害していることになるのだろうな。

秩父市(旧荒川村)にお住まいの田中美智子さんは元国会議員。
革新共同で衆議院で活動されていたが今86才。
元気にブログ「自然と猫と私」を日々綴っておられるが、
この番組の感想を書いた記事があった。引用させてもらおうっと。
ご自分で撮影の花の写真がいい。
デジカメも使いこなせるとは恐るべし86歳。

<<  昨日の10チャンネル、志位さんが主役で出演した。時代が変わったと感じた。田原総一郎氏が、「資本主義はもう限界にきていますか?」なんて質問するんだから。志位さん、ながながと主演したねえ。わかりやすく、傑作だった。いよいよ共産党の出番だ。思わず拍手!資本主義は競争と利潤追究主義だから、その点では、もう限界。このままでは、貧富の格差は広がるばかりだし、国力もダメになる。経済大国、世界2位、とんでもない。いつの間にか、順位はさがる一方だ。  ラテン中南米の貧困撲滅の政治の流れ、急激な変化には目を見張る。27カ国加入のEUの大きな成果にもおどろくねえ。CO2の抑制は模範的だし、森が増えたなんて聞くと、すごいなあ。見習うべきだ。日本政府は自国の森や山や自然を切り崩して、高速道路やダムにして平気、生活道路はほったらかし、田圃はコメ作っちゃあいけないんだとさ。食糧の自給率は39%に落ちているのに、反省さえない。世界的に食糧がたりなくなっているから、輸入できなければ、どうなる。国民は、貯金のないひとが30%にもなっている。貧困層がどんどん増えて、餓死者が出始めている。 >>

Naseer Shamma - Hilal-alsaba

 ウードという楽器です。イラク人のミュージシャンですが今はエジプトを中心に演奏活動をしているウードの名手だそうです。カイロにいる友人のブログで知りました。なかなかいいものですね、ウードの響きは体に響いてくる感じで。






中村中のコレクション Youtubeから

 中村中というシンガーソングライターのCDは聞くけれど
映像では紅白以来で少し嬉しい見つけものだった。
貼り付けて何度か視聴したい。これは自分用だね。



  友達の詩


  冗談なんかじゃないからネ


  わたしを嘲笑ってよ


  愚痴


  強がり 歌:戸田恵子 feat. 中村中


  ホワイト・クリスマス


  中村中 in 一青窈SPライブ!!

2008年5月22日木曜日

未曾有の災害に声もないが



阪神大震災のとき徒歩で夜通し歩いて豊中から兵庫区の妹夫婦の家まで
辿った道々の光景がよみがえり胸が苦しい。

中国の子供が死ぬ前に書き残した
「お父さんお母さん
すみません。」 というメモが出てきたと聞いて
涙が出て止まらなかった。

できることは少ないが募金などでできるだけのことをしたい。

習いに通い始めたばかりの中国語教室も先生が救援活動に行ったのか
休止になった。この不幸の中で日中の人間的なつながりが作られ
信頼と友情が育まれることを願う。


          

日中双方の「愛国主義」や「ナショナリズム」を抑えて冷静な相互理解を深めることはアジアが共同体を作っていく重要な一歩になる。
災害は後に大変な負担を残す。だから日本の国民は進んで手を差し出して機会を作っていくのがいいと思うのだ。

2008年5月11日日曜日

シンクロニシティーを味わう

kawaraここ暫く何故か精神医学者ユンクのいう「シンクロニシティー」を体験しているみたいな感じがある。

それはどうも勘だけれども旧友たちと比較的頻繁に会うことが増えたことと関連がありそうだ。

この一事からしてもユンクのいうそれが客観的実在性ではなく何か別のもの

人間の行動に影響する心理構造的な背景を示唆している気がする。

比曾寺遺跡に行き当たったのも一種のデジャビュであろう。

今日たまたま葛城山へ登ろうという誘いの電話が入ったが、残念ながら体調が低下中であるのと

月曜日が歴史書講読のサークルの日で外したくない日なので遠慮した。

その電話の時も「あれ」という感じが来た。だって今日読んでいた本の中で

葛城という地域とそこにまつわる歴史的事情を考えていたからだ。

「同期したじゃないか、また」と思えて頭の中に 「!」が立った。

旧友との交流は平板な現在の時間を立体的な流れに戻すこと。

その独特の時間経験がいつもと違う心理状態を現出させていくらしいこと。


たまたま奈良という地域を軸に三人で会ったりすることの影響も微妙に

空間・時間の経験的枠組みを揺らがせていることもありそうだ。


シンクロニシティーの面白さは多分にユンクの名づけの巧さによるし

それに加えて人間にはそういう経験が意外と多発するからだろう。


SNSでの話題として結構もりあがった話題だった記憶もある。

たくさんの人が「そう言えばそんな経験あるよ」と感じるのだ。


でも自分が多く経験してみて、そう不思議なものではないと 思うようになった。

もう少し続いてくれると おもしろい発見があるかもしれないと期待している。


それにしてもちょっと気温の変動が大きいと風邪をひく。もっと体に注意を払うようにしなくては。


    これはZoundryで書きアップロードしたものだ。

    メニューが英語だがまあ使いやすい方だ。出来はいいと思う。





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