2008年1月23日水曜日

チェーザレ。 駆け抜けていけ、時の疾風に吹かれながら…


← イサベラ・デステ

今日は新しい府条例に基づく食品等の自主回収報告義務についての説明会の案内が来ていたので、隣の藤井寺市まで出かけた。
大ホールに50人ばかり参加者が集った。
説明は府の若い女性の幹部がパワーポイントを使いこなして一人で画面を使って行った。(美人だな、と周りで言っていた)。
内容は良く解ったし質問をして余計腑に落ちた。勉強になったし、府の取り組みの姿勢に好感が持てた。陰で保険所や府の担当部局は苦労しているのだろうな。なにしろO-157以来ずーっと色々続いてるから。今は「吉兆」など目白押しにあるからね。ご苦労様と言いたい。

終わってから書店に回り、仕事関係の資料になるものをあさってから、コンピュータ関係の棚へ近寄ってふと右手を見るとコミックの棚で…

ん?「チェーザレ」……あのチェーザレ?
ボルジア家の悪名高きチェーザレがコミックに?

然り!なんとぉ~ホントだ。へ~面白そう!

買ってしまった4巻一度に。へへへ。楽しみぃ~

でも
惣領冬実…シラン、全く知らん。
でも絵はいけてるやんか。




チェーザレ 1―破壊の創造者 (1) (KCデラックス)チェーザレ 1―破壊の創造者 (1) (KCデラックス)

近代政治学の発端になったと言われるのが
誰でも知っているほど有名な本
「君主論」
韓非子と並んで有名な?マキァベッルリの書いた本
「君主論」
そのモデルと言われるのが枢機卿チェーザレ・ボルジア。

ぼくなどチェーザレ=毒殺と陰謀みたいなイメージだが
近代的な権力の創出や統一国家を意識的に目指した最初の政治家でもあった。だからこそ、マキァベッルリは彼をモデルに著述をしたと言われる。
手段は目的で正当化されるという意見ばかり一人歩きして、マキァベッルリと「君主論」は誤解されている。
本当は近代国家や主権を実践的に捉えようとした歴史的業績なのだ。
けっして悪人のバイブル。野心家のマニュアル。では決してない。


コミックの『チェーザレ』だが、読み始めると
魅惑的な情景の中にリアルに時代と人物が動き出した。

もうじきロレンツォ・メディチが出てくるのかとわくわく。

サボナローラも
ダビンチも
ラファエッロも出てくるし
ミケランジェロだって
出てくるかもしれない。
堪らんねこれは。

最近7,8年、コミックのコーナーなんて立ち止まることは無かった。
だのに、向こうからお呼びだったんだな。


昔、29歳の妻がコミック好きで、
何時も何か持っていた。

「ナンだ?その、枕みたいな厚さは!」
「これ?…ハイこれよ」
「……」
『花とゆめ』??
「けっこう面白ぇヨ!読んでみたら」
かくて、
嵌ったのですね。
女流コミックにも面白いのがあると知り。


萩尾望都の「ポーの一族」は
2.3年は読むと泣きました。
妻の本棚から借りて読んだら面白くて面白くて。

でもまもなく妻は永遠に居なくなり、
まるでメリーベル自身みたいに、
この宇宙のどこにも存在しなくなってしまったので。
でも、泣くと分っているのに読んで、
やっぱり泣くのでした。

ポーの一族 (1) (小学館文庫)ポーの一族 (1) (小学館文庫)


同じ作者の「11人いる」は逆に吼えました。
どうして女の作者にこんな良いSFコミックが書けるんだぁ!
と差別丸出しで吼えながら読み終えました。


ぼくは一度しか日本の外へ出ていないのですが
その行き先はイタリアでした。
人生でアッシージの聖堂を訪ねて感嘆できたことが
自分の無常の幸せかと思うYohには
(ルネッサンスという時代は1200年代から始まる感じですが、)
ハイルネッサンスといわれるチェーザレ・ボルジアの生きた時代は迷宮のような妖しい魅惑に満ちています。

コミックに入り込んで
イマジネーションを爆発的に発動しながら
堪能することにしましょう。
何度も読み返すかもしれない。
そんな気がしています。


そういえば、もしイサベラ・デステが出てくるなら
どんな女性に描かれているんだろう。

それを想像するだけでわくわくする。
実に見事な人物。そして美しい完璧さ。

塩野ななみ氏と違って
歴史上のドラマは
個人の力量や人徳や知力などの役割よりも
時代のうねりを生み出す社会的背景の動向を重視する
Yohはそういう人間ですが、
個人の性質や力量の効果の大きさも理解できます。

イサベラ・デステがいなかったら
イタリアの情勢はかなり違っただろう。
それほど彼女の知性と胆力と美貌が
歴史を彩った度合は大きい。
エステ家の動きのない時代史なんて書けない。

きっとコミックにもご登場だろう。
楽しみだな。

ポーの一族とマザーグース

ポーの一族の構成と伏線について

2008年1月21日月曜日

報告、ドキドキ・ワクワクの月曜日



月曜日。今日は『読む会』の日でした。
一応、(一応でしかないのが心許ないが)
予習と疑問点のメモを作って臨みました。

最近は月曜日が近づくと「どきどき」「わくわく」して落ち着かなくなります。
当日はもっとそうなります。

毎回が、「ふ~ん、学問ってそういうことなんか~」体験の、

連続連打。

だから1クール2時間で2回を一度にやるのですが、終わると完全にぐったり、
放心状態です。

日本書紀や続日本紀のテキストを読むのですが
読み3分解説7分といった感じです。
解説も本文の解説よりは関連事項や関係論文や学会裏話(面白い)など漫談的な進行で迷走かと思うくらい。

でもでも、笑っているうちに回らない頭が知らぬうちにクルクル回転しているのですね。終わると頭は爆発しそうに。

だいたいYohはもと美術系青年でそれも泥まみれコースでしたから、机に2時間座って講義を聴くなんてことが慣れていない。

最初は面食らうだけでした。
脈絡も無く並んでいるように見える続日本紀の記事を現代訳で読んでみても誰が正五位下に任じられたとか、日食があったとか、宴をしたとかが頭を通り過ぎるだけなのでした。

ところが…先生の漫談の向こうに読み方のヒントが見えてくるのです。

そのことが、ど~んと胸に応え、感動してしまいました。

歴史の資料として書紀や続紀を読むということはどういうことか、それを笑い話にしながら話してくださっているのです。

例えば郡というのは国―郡―里という制度の単位ですが古くは評と書いてコオリ(コフリ)と読んでいたがいつか郡に変わったらしいとされていた。それについては郡評論争という討論が一時あって、最後に京都大の岸教授が木簡の変遷から論証して大宝律令以後郡と表記されるようになったことが確定したという。

学会の裏話なども入っての経過説明を聞くだけで、歴史的事実の究明は忍耐と創意が要る手続き厳密な過程なのだと分かってくる。

目からうろこが何枚も何枚も落ちていくのでした。
そうだったのか、の連続。

嬉しかったのは予習して気がついた事柄を先生が解説で触れられ、自分の解釈が間違っていないことが分かったこと。

欽明天皇の即位前紀の天皇幼時の夢の条の性質が「説話」風の「語りもの」の形式に近いなと思っていたら、実際そういう解釈を先生も話された。

会社で言えば「総務」に当たるような「治部省」に出された秦氏の上申書のような文書に記されていた先祖の由緒語りを続紀の編者が採用して記事としたのだろう、と説明されていた。

書紀や続紀の内容がどこから得られた資料なのかを示唆されている訳だ。
これはどうも先生のライフワークの一部のようだ。
学位論文の中味に繋がっているらしい。
いつかじっくり聞いてみたい内容だ。

文字の話も面白く刺激的だった。

欽明天皇という呼び名は漢風諡号といって平安初期に淡海三船によって作られたらしい。日本書紀の記述には無かったもので、今漢風諡号も書いてあるのは後世に入れられたものだ。
アメクニオシハラキヒロニハというのが和風諡号だ。

これを元興寺の露盤銘にある記事ではアマクニ云々と記されているが、その字はマを末としてある。
ところがこれはアメ云々とあった元来の表記はメを米という字で記していたが、書かれた字がすこし崩して書かれていたので、書写するとき誤って末字と読んだらしい。それでメ(米)がマ(末)となってしまったと。

米と末は活字で見ると印象がかけ離れたものだが、行書体を崩して書く人の書体で見ると実に良く似ている。
このような例は他にもあると、別の例も示された。

また胸がドキドキしてきた。
じつはYohは古事記を愛読していた時期があり、そのときに同じような気づきをして、年来の疑問として持ち続けているのだ。

紀記の天皇系譜については歴史家は実在性の強い主な系譜に注意を集中するので、Yohが気づいた点については読んだことが無い。

専門家に聞くには論拠が弱い思いつきかと感じていたが、今日のこの話はそれと同じじゃないか!

Yohの気づいたのは系譜じゃなくて、系譜に紛れ込んでいるが実際は神話の断片じゃないかというものだが、
その論拠が漢字の表記の書写の間違い(似た字を取り違えた)からだと想定したのだった。

このドキドキはまだ続いている。
先生に聞いてみようか、どうか。

欽明紀の即位前紀の形式上の破綻も注意したいところと思っている。
こんなところにも二王朝並立とか内乱とか言われるこの時代の解らなさが顔をだしている気がするからだ。

即位のとき「年若干」だった、ということは、一体何歳だったのか。
先行する秦氏の条の「幼時」という表記と手白香皇后との譲り合いの「未ダ政治ヲ閑(なら)ハ」ないのは幼いからという件と併せて読めば、やはり手白香皇后が称制ないし即位していたと見たほうが良いように思える。

本当に知りたいことにたどり着くためには長い修練と洞察の年月が必要なのだろうな。

Yohにその時間が与えられるか、どうか。
そうだ。手段として、戦術として、「長生き」を自分の課題とするか、自信ないけど。

ま、がんばろう。
 
 

2008年1月17日木曜日

ひと、ひとに 会う。一期の華の薫るかな。

雖會師不學徒如向市人
雖習讀不復只如計隣財

 タトヒ師ニ會フト雖ヘドモ
 學バザレバ徒ニ市人ニ向クガ如シ
 タトヒ讀ムヲ習フト雖ヘドモ
 復マザレバ只隣財ヲ計フルガ如シ 
             實語教(編者未詳・江戸時代)


滅多に出会えない機会が与えられて師とするべき人に出会っても、その機会を学びの機会と出来るかどうかだ。
今の自分は多分そういう機会を得たのだと思う。そのことを忘れないようにしたい。

SNSの仲間に漢文エディターという便利なフリーツールの存在も教えていただいた。
一歩一歩と形が出来ていく。
早く対訳本の続日本紀を入手したいものだ。
古い版だが日本書紀のほうは岩波書店の日本古典文学大系を持っているので当面はそれを使っていこうと思う。吉川弘文館の六国史日本書紀もあるので差し当たりこれで十分と思う。続日本紀の読解の参考は平凡社の現代語訳(直木先生監訳)が手元にある。

でも年表とか地図とか、欲しくなって来そうだ。
目に付いたので立ち寄った八尾市内の書店で『奈良時代MAP』というのを買った。奈良市内の現在の地図をトレーシングペーパーに印刷してあり下に奈良時代の分かっている情報が透けて見えるように印刷されたページがある。
長屋王の屋敷跡。藤原の仲麻呂邸のほうが広いのには驚いた。倍は広いのだ。
一時の仲麻呂の権勢を示すものだろう。
身分の低い人の住所のほうが情報が多いのか、見ていると面白い。
絵師(画師)が結構居る。息長姓の絵師など。

宮都の研究はまだまだこれからの様子だ。
木簡の研究も終わったわけでは無いだろうし。

そういえば何かの検索のついでに木簡データベースというのに行き当たったことがあった気がする。もう一度当たってみよう。
なにしろ同時代の資料だからね。興味がある。

2008年1月13日日曜日

六十の手習いで続紀天平十年に挑戦中

自分が住居に選んだ土地に昔短期間であっても
都が置かれたことの理由を以前から知りたかった。
朝日カルチャーセンターの広告に惹かれて申し込んで
一ヶ月余り出たが年末で全講座が閉鎖になった。
近鉄奈良駅周辺では成り立たないらしい。
西大寺駅周辺では便利がいいので可能だろうが
近鉄がカルチャー講座を開いている。
と言うことで撤退となった。

それはいいのだが、
二階に上がって梯子が無くなった感じになるじゃないか。

そう思う人たちが講師に要望して自主講座として続くことに。
ありがたや。

でも、観測が甘かった。内容が充実し、かなり努力しないと
ついていけないかも… (汗)

講座は『日本書紀と続日本紀を読む会』と名前がついた。
読むのだから簡単だよ、と思っていたら、
白文(返り点や句読点を付けていない漢文)を読むんだ。
と、思い返せば高校以来、白文など見てもいないよ。

日本書紀は欽明紀から、続紀は天平十年元旦から、と決まった。
で、1月7日に行って来たんです。
初日なので講師の水野柳太郎先生の漫談風の独演でしたが
話されている内容は、済んでみるとかなり濃い内容です。

終わってへとへとです。
昼の休憩時に先生が何故かYohに
「こんな話でいいですか」と問われたので、困って
「私は…素養がありませんので…」と誤魔化し。(汗+汗)

吉川弘文館刊の黒板勝美編「六国史」が種本らしい。
それに小学館の原文と読み下しと現代訳のついたの。

現代訳は参考程度に考えること
当然でしょうね、訳者の私見が入るからね。

漢文は上古の訓読に拘らず普通の漢文式に読んでよい
当時の読み方に拘っても返って意味が分からなくなることも多い。
こう言われて、なるほどと腑に落ちた。自分はそういう逆の和臭の強い読み方に傾いていたので読めなかった面があるな。

文字通り六十の手習い。
がんばれば一年でかなり読みこなせるようになる、との先生の励ましを真に受けてがんばろう。

少し進めば続紀は「藤原広継の乱」のところだし、
面白い話も聞けるだろう。
欽明紀の方も継体・安閑・宣化の王朝並立説などを廻る話がでるだろう。

まずは読めなくては話にならない。
毎週一度はかなりキツイ課題だ。予習も復習も要りそうだ。
気合を入れてがんばらなくては。
でも、仕事上の課題が多すぎる年明け。どうなることか。
やるしかないな。


先生のお勧めは白文を紙に手書きで写すことだそう。
そうすれば漢文に馴染み区切りやリズムが感じられるようになると。
さっそくやっているのだけれど、字の下手さに我ながらあきれ果て、
意欲低下。いやいや、続けなければだめだ。

探すと国立国会図書館の近代デジタルライブラリーに六国史が印影版で入っている。
早速JPEG2000のプラグインを入れてブラウズする。
汚い版で活字が潰れていたりして読めない字がある。
でも電子テキストでは外字になって表示できない字も
印影では見えるので併用するのが便利。


半日かけて欽明紀全文と天平十年聖武紀全文を
テキストで入手。
MS wordで縦書きの横置き用紙A4で白文にして印字。

書き写しながら読んでいる。現代訳と対照して
自己採点は60点かな。まあまあの出だしとしょう。

1時間半講義で30分質疑か読み方指南。

次回が楽しみになってきた。

年内に先生に「よくできました」と
桜の判子もらえますように。
がんばるぞ。

伝説の綯い混ざる 『コマンダンテ チェ・ゲバラ』

アルゼンチン生まれのチェ・ゲバラはキューバ革命に参加し司令官(コマンダンテ)と呼ばれるようになった。彼はボリビアで部隊を率いてゲリラ活動中CIA に指揮された政府軍に捕らわれ裁判の機会も与えられず撃ち殺された。ボリビアの「虐げられた民衆の利益のために」闘った彼だが、実は十分な支持を得られなかったためゲリラの基本、「民衆に匿われ守られながら彼らとともに闘う」原則が守れなかった。そのため追い詰められた結果の捕縛と銃殺という悲劇になった。
Youtubeで見つけたひとつの動画はこの事件をバックにチリの(これもピノチェット将軍のクーデターで虐殺されてしまったミュージシャン)ビクトル・ハラ作の歌が流れるもの。最後の シーンに民衆が立ち上がっていく姿を映像にしているが、これは願望が伝説を生み出していく一例だ。
         
伝説化された映像の中でチェ・ゲバラは不死鳥になり永遠化される。

 しかし、それから20年以上たった現在。動画は未来を予見していたことが分かる。

 孤立して敗北した英雄は時間を経て民衆の中に帰ってくる。
 民衆自身が立ち上がり世界を変えようとする時、回想の中に帰ってくるのだ。


         
 あれほど農民から孤立してしまったゲバラだったが
 いまや先住民も含めて国民的な広がりで運動が起こってきた。

 いまや先住民は沈黙の隷従者ではない。
 帽子を冠った先住民たちが国の政治を動かしている。
 モラレス大統領は南米初の先住民出身の大統領なのである。


 彼の後ろにはゲバラの顔が浮かんでいる。
 彼を支持する人々の中にはチェ・ゲバラの像を掲げる者もいるからだ。

         

 見たまえ、デモ隊の先頭にゲバラがいる。
 彼の顔が幕に描かれている。
 彼は彼が身をささげた人々の中へ帰ってきたのだ。


 揺れ動く中南米。
 マスコミは希望的観測でベネズエラやボリビアの政権は
 ポピュリズムの失敗として終わるだろうと論じている。
 果たしてそうか。

 南米諸国民が国境を越えて見せているかって無い団結の姿を
 軽く見るようでは 政治的感覚は鈍いと言わなくてはなるまい。

 未来は常に明るいとは言えない。
 しかし明るい未来は常に民衆の参加で作られる。
 それを信じるか信じたくないかの違いなのだ。

 
 『コマンダンテ チェ・ゲバーラ』の歌の一節を口ずさんでいた
 亡き友の若々しい声が耳の底によみがえってくる、老いたぼくの耳に。

 ビクトル・ハラの詩と文章をスペイン語辞書を片手に
 とつこつと読んでいた横顔も浮かんでくる、しろい項も。

 なんだか今年あたりは
 フィデル・カストロがその生涯を閉じる予感がする。

 だがモラレスやチャベスたちは生きていく、民衆とともに。
 多くの間違いや失敗をしながら。
 そのツケを自ら支払いながら、ひとは生きる、民衆も。

 「時代は心を変える」と友が歌っていた、キューバの歌を。
 希望を持てる心へと変えるのだと。時よ進め、時よ移れ。

 時間だけは長く経った。
 ぼくはまだいる、ここに。
 そして
 希望は、まだここに、 ある。確かに ある。

 《ぼくはゲバラ崇拝者ではない。
 ただ中南米の人々にとって過去ではないことに注意したいのだ。》
 
 

2008年1月12日土曜日

思い出のキラパジュンのシルエットに再会…

Quilapayún

El pueblo unido jamás será vencido





la muralla





Mi patria





Plegaria a un labrador





Contraste





Inti-Illimani & Quilapayún

Ventolera





yaravi y huayno






Cantata de Santa María (parte III)





Victor Jara
Manifesto





Victor Jara
TE RECUERDO AMANDA





Victor Jara
Comandante Che Guevara





Inti Illimani
El Aparecido (Che Guevara promocional)





Silvio Rodriguez
Playa Giron

2008年1月3日木曜日

初夢の代わりに…


 カーボン・チャンスの時代。
 金儲けのチャンスではなく、
 新しい経済社会、新しい科学技術系、
 人類史的統合の時代を拓くチャンスの時代。

 日本を除くアジアと言われ始めている今。
 孤立しないでアジアの不可欠の構成部分であり続ける
 そういう日本であってほしい。

 戦前や戦時ではなく戦後史を生きてきた自分の
 身の回りからアジアを眺められないか…振り返ってみたい。
 今年はそういう探索も課題にしよう。

 小学校でも、中学校でも、高校でも
 大阪育ちのYohの周囲にはいつも外国籍の友達がいた。
 ほとんどが韓国籍・朝鮮籍の在日コリアンたち。
 中学校の同級生には明治初期の長崎への来日からという
 滞在暦をもつ中国人の家庭の子がいた。

 高校でも同級に中国人、朝鮮人がいた。
 みんな日本語で生活していたから
 外国人と意識することはまれだったし、
 どこかでそれをよしとする空気があった。

 そして知り合ったりして一応どちらからも
 友人と思っている外国人はそのあとにもいる。

 ベトナム人のグエン君とナン君。
 バングラデシュ出身のカーン君。
 フィリピン出身のペピート君とジェーシィさん。

 アジアではないがカナダ人のニール君や
 最近知り合ったフランス在住のチリ人画家。

 案外多いですね。知らない間に増えている友人たち。
 ベトナムやバングラデシュの友人は留学生出身の在日外国人だから
 日本語は達者でナン君などは日本の詩をすらすら読んで
 Yohの書いた詩を的確に批評してくれたこともあった。

 カナダ人やチリ人となると言葉の壁があるので
 どちらも怪しい日本語と怪しい英語での会話になるが。
 でもなんとか気心が通じる。
 大工のニール君とは日本建築の話題で、
 チリ人の画家とは彼の作品の話題で、共有できるものがある。

 思うのだけれど、彼らといるとき
 ぼくも相手も同じものを媒介にして向き合っている。
 「いま」と「ここ」と「何か」をシェアしている。
 
 そのシェアできる関係こそが大事なぼくの財産だし
 中身が変わっても変わらないで居れる関係かどうかだ。

 僕が例えばベトナムへ旅に出るとしても
 彼らに便宜を図ってもらおうとは思わない。
 いまでは企業や国家にしっかりしたポストをもつが
 かつての友情はそれとは無関係だから。
 旅の終わりに電話してお茶など一緒に飲めたらいいなとは思う。

 遠くなった日々は美しいもの、
 その美をそのままにそっと置きたいものだ。
 きっとナン君は今もベトナムの五言絶句みたいな
 彼らしいやさしい気持ちの詩を書いているだろう。
 変わるはずはない。それでいいのだ。

 彼らとは 
 ベトナム戦争がなかったら知り合う機会は無かったろう。

 こう見てみると僕も
 民際交流 (民と民の直接交流による友好を
 ある老エスペランティストはこう名づけた)を重ねてきている。

 国益や利権に関わらない民際交流でアジアをひとつに結ぶ。
 EUのような一体化は直ぐには無理だから、
 経済や文化での交流と互恵(互恵という言葉のほうが好きだ
 win-win関係などという言葉よりも)の「恵み」が紡ぐ信頼関係の
 長い織物を織り続けて、アジアが長期の繁栄の時代に入っていく。
 そういう夢の揺り籠を揺する時代がきている。

 僕はもうその先頭を走れる能力はないが
 何かできないか。そう思って考えながら歩いてみたい。
 一箇所でいい、今年はどこかアジアの街角に佇んでみたいです。

 フエかそれともネグロス島の田舎町か。
 サンダカン。あるいは中国のどこかの下町に。
 
 
 

2008年1月1日火曜日

2008年元旦

新年の恒例である甲田医院での朝会に出てきました。
いつもはこういう恒例行事は苦手なので行きません。
失礼に当たっても行かないのが自分流なのですが、
今年は先生のほうからぜひ聞いてくれとのことで
出かけました。
少食健康法の新しい考え方、実行の仕方を
試みてみてほしいというお話でした。

自然免疫を生かした治療が注目される医学的新分野になり
元旦の日経新聞でも記事が出ています。
抗体医薬が新しいベンチャービジネスになると。

人間の体がもっているパワーを引き出す方が
化学的薬剤より効果的だとわかってきたことと
それを実行できるほど分子生物学的レベルが上がってきたことで
流れがかわりつつある。

断食という伝統的な知恵がもつパワーの秘密が
分子生物学的手法で解き明かされる時期が見え始めた。

そんな話でした。
食べかたで変わる人生というYohの多年にわたるテーマも
具体的な糸口が見え始めるのでしょうか。
楽しみな感じで年が明けたなと思いました。


帰り道にちょっと凧揚げが見たくなって
平城宮址へ寄り道しました。
案の定何組かのパパと子供たちがいて…
パパは奮闘してました。
一年に一度だろうから、ま、直ぐには上がらない(笑)
でも、みんなそのうちに上がり始め
子供たちの嬉しそうな顔。
笑顔をおすそ分けしてもらってパチリパチリと
写真に撮りました。

年始挨拶に出た帰り、平城宮址に寄る。凧揚げしている親子。




今年は「日本再定義が始まる」というYohの「予言」ですが…
かなり怪しい予言ですね。
(自分で茶化してどうだといわれそうですが。)

でも、一応続きで書いていきますが、

日本国家は既に再定義されているという事は
どういうことか。
それは数年来の「日本の社会のきしみ」の大きな部分を
説明する事実です。

日本国を定義すると言えば普通は
まず憲法というのが順序でしょう。

でも、まだ日本国憲法は再定義(改憲)されていませんよね。

では何が、日本国の再定義だったのか?
国民投票もしていないのに?

憶えていませんか?
新聞は国民に解りやすく報道してこなかったが、

『安保再定義』という言葉が
一時マスコミにも流れていたことを。

建前は日本は主権国家で、外国との条約は
その主権国家が主権を放棄せず
他律的に制限もされずに結ぶもの、
安保条約もそういうものとされています。

でも『安保再定義』の中身は…

一国行動主義(一国覇権主義ともいう)のアメリカの行う
戦略行動を能動的に支え一翼を担い戦うもの。
安倍前首相が「血の同盟」と言ったのは正確な表現でした。

「世界共同の」テロ対策への協力とかいった表現、
言葉のあやで隠されていますが、
今までとは違った覚悟が求められる内容が

安保再定義でした。
小泉・安倍政権はその路線上をするすると滑って
もう一歩で再定義の完成にこぎつけることに
成功するはずでした。

つまり「安保の実質的な新体制」安保再定義。
それに見合う憲法改変=国内体制の再定義。
だったわけです。

震源は安保、傾いたのは主権国家の背骨(憲法)。

民営化路線にしても、郵政民営化にしても
教育基本法改悪にしても
福祉や税の改悪にしても
全部がこの再定義に関わっている。

全貌はいまはまだ見えないが、
歴史はきっと明るみに出すだろう。
小泉とブッシュの闇協定を。

佐藤栄作総理時代の核密約が暴露されたように
歴史は決して暗黒ではない。

このように「闇で」再定義され、今もされつつある
日本国家の再定義に対して

もうひとつの再定義が必然的に起こってくるだろう。

それは国民による再定義だね。

日本再定義。日本人として
もう一度考え直してみよう。
これでいいのか?
わたしたちは何者なのか?
どうしたいのか?

国民の面倒を見る気のなくなった、
多国籍企業化した大企業や
合衆国の財界や政府にはやさしい国家、
誰のものなのかと問いたくなる国家を

いちど自分から遠ざけ相対化し、
疑問符を付けて
考え直してみる。

これが日本再定義。(日本再定義ではなく)

イタリア人はイタリア国家を軸に物を考えない傾向が強い。
地方の自立性が強いし、非政府的組織が元気だし
スローフード・スローライフ運動を生み出すような
カルチャーの奥深さがある。
金で計れない豊かさがあるように思う。
いまの日本人はイタリアに学ぶといいのかもしれない。

強い国家と国家主義に自分のアイデンティティを求めるより
一人ひとりの知性や情緒を生かしあい
人間関係と暮らしの再建から
日本社会を本当に自由な社会として再建する
全国民的コラボレーションがいまこそ必要じゃないか。

それをYohは日本再定義と言うわけです。

日本国憲法は国民生活を仕切る基本法としては
世界有数の優れた憲法と思う。

悲しいかな、半世紀の自民党政権はそれを台無しにすることばかり
してきたと思う。

深刻化する格差社会も
国際経済のグローバル化などが原因だというのは皮相で、
国民生活を優先に経済運営を出来ないという
官僚や政治家の暗愚の証明でしかない。

家庭経済、個人消費を、最終需要を大事にしない経済運営に未来はない。

国民は気づき始めているし、
行動も始まっている。

労働組合の組織率、構成員数が増加に転じたという。

社会的反撃が始まった。
それが成功するかどうかは未知だが。

これは企業拡大に伴う
従業員数の増大に比例しての増加ではない。
つまり自分の生活と生存とを賭けた
闘いの数字と読まねばならない。

だが、成功するならやる、しないならやらない、
という怯惰は
この数字を生み出さなかったはずだ。

絶望はかならず希望に接続する。

もしそれが誠実であるならば、
忍耐強く学ぶ知性にめぐまれるならば。

日本再定義には「元年」はない。
ひとりひとりが自分の日本に気づき
定義をし直していくのだから。

貴方の日本、二十一世紀の日本、
自分の理想の、あるべき姿と一体の日本の姿
見えていますか。

Yohの青春時代は
『三丁目の夕日』の時代
あのころの自分を発掘しながら
Yoh的再定義をしていくつもりです。
あのころも
三井三池炭鉱の合理化と閉山で
大阪の街には炭鉱離職者の家族が溢れ
釜ヶ崎の日雇い労働者の騒動がありました。

Yohの若い友人がこの正月の炊き出しボランティアで
釜ヶ崎に詰めています。
今まで社会的関心など弱かった友人ですが
自分で考えがあって行くのだと参加していきました。
ちょっとした感慨と感動があります。

しなやかで
つよい心
やさしくて
ひとにひらかれたこころ
水に似て
自由で純粋なこころ
にほんのことばに
たっぷりと盛られる
あたたかなこころ
そんなこころで再定義する日本に
戦争の立つ場所はない。

あけましておめでとうございます


 
           庭の山茶花が咲いています

 新(あらた)しき年の始(はじめ)の初春の
 今日降る雪の いや重け吉事(よごと)       大伴家持

 日本海側はゆきだそうですね。
 あたらしい年を清め予祝するように降りしきる雪のように
 吉事が重なっていって欲しい。

 年の初めにひとが願うことは古代人も現代人もちがいはないですね。

 我が家では「寝正月」になりそうですが、溜まった未読本を
 ゆっくり読んでみたいと、わくわくしております。

 皆さまにも希望に満ちた一年でありますように。



 昨年の正月は「今年の予言」というのを考えて初出勤時に
 同僚に公開しました。

 「今年は電子マネー元年になる」
 どうやらそれは予見どおりになったようです。

 さて今年はどういう「予言」を発表するかな?と
 考えているところです。
 大体見当は定まっているのですが。

 キーワードは『再定義』なんです。

 はっきり云うと「日本再定義」となりましょうか。

 日本国の再定義、というのじゃなく。
 日本再定義、というのがミソです。

 日本国の再定義は実はもうされているのです。

 日本国の再定義とは何でしょう。
 つまり
 「日本国家の再定義」って何でしょう。

 それが何かが分かれば
 それに対する
 もうひとつの「再定義」が何かも判然としてくるのでは…