2009年8月15日土曜日

サルナシ




サルナシのことを気にかけてからずいぶんな歳月になる。芹生(せりょう)という山里に暮していたときサルナシという実を知ったのだが、それが中国原産でニュージーランドで改良されたおなじみのキウィと同じ種のものだといったことではない。なぜこれをサルナシというのか?という疑問なのだ。それは説経節(平凡社東洋文庫)の中でサルナシのことを解説してあって「アイヌ語でサルナシをクチという」と書かれたあったことが発端だった。その真偽は確かめられずにいた。そのころはインターネットで検索エンジンであたるなんてできなかった。だから次のような疑問は疑問のまま残った。
「サルナシのことを別にコクワとも言う。シラクチヅルとも言う。このシラクチヅルはシラクチ+ヅルで、ヅルはヤマブドウをエビヅルと言うように弦性のもの(カヅラ)のことだ。そうするとシラクチ=サルナシということだろう。猿梨がシラクチなら、そしてアイヌ語でもクチが同じものを指すのなら、シラ=猿(サル)なのか?」というものであった

ここでマシラ=猿という辞書の知識が対照される。普通はマシ+ラと語源的分解がなされている。実際マシという用例もあるので、疑われたことはないようだ。だが、マ+シラがマシラになり、後に民間語源説(フォルクエティモロギー)でマシ+ラに再分解されたことも考えられる。シラが猿(サル)ではという疑念はタヅ対ツルの関係に似たものを想像させる。タヅとツルは同源の言葉が異なる変化を被ったあと再び同一の言語環境に並存する運命をたどったのではないか。そしてそれよりは弱い並存としてサル対シラが考えられないか?というのが自分の考えなのだった。

最近サルナシで検索を掛けたらサルナシはアイヌ語でマタタビのことを言うとでてきて、あれ、と思った。

サルナシもマタタビ科であれば、いつぞやのクチ=サルナシ説と平行するとも思える。
アイヌ文化のなかでサルナシをクチというのかサルナシというのか、ホントのことを知りたい。

ただそれとは独立に今昔物語にある「所謂岩見重太郎の狒狒退治譚の原型」である備中中山神社にかかわる説話で猿神の名がシロウゴロウ(だったと思ういま手元に原文がないが、シロウの部分は確かだと思う)という。ゴロウは色々に書かれるのだが御霊をゴリョウと読んだことからきている。これは豊富な実例がある。シロウの部分だが、自分はシラゴリョウないしシラゴロウが後半にひかれてシラからシロウに変化したのではと感じる。

もうひとつ例を挙げると猿の架けた橋という伝説があるが、その伝説の人物は名をやはりシラコと言ったとある。いま出典を思い出せないが。昔話集成のようなのに出ていたのだが。その人物は百済の国からきたことになっている。つまり異人である。ここでは猿と異人とは二つながらに一つの意味を担っている。シロないしシラという神秘なものと猿というもう身近なものの同一性を。
動物の種としての猿を完全にシラと一体に見る事ができるか、疑問だが、シラヤマとかオシラサマとかも関連するかもしれないと思う。マシではなくシラが山中の霊獣=神霊を呼ぶ語であったかと思ったりしているのだ。
キウィの仲間が語りかける原初の列島文化の化石…。