2011年2月26日土曜日

疲れたツレアイと外食

朝から「しんどい」(つらい)と言っていたが
月末の仕事があるのでツレアイは仕事に出る。

私も仕事を抱えていて同じく出る。

夕方に二人は統一地方選挙がらみの演説会に
参加を誘われていたのだ。
が危ぶみながら家を出たのだった。

案の定ツレアイは「行かれへん」と言ってきた。

年を重ねて老化が始まると
ちょっとした風邪でもこじらせると厄介だ。

一昨年のぼく
が同じ目に合っている。

ふたりで話し合って帰宅前に外食した。
帰宅後の家事を止めるためだ。


国道沿いのリンガーハットへ行く。
安易な選択だが
二人ともチャンポンや皿うどんは嫌いじゃない。

Yohは皿うどんセット(太麺皿うどん+餃子)。

ツレは普通の皿うどんセット。

う~太麺の皿うどんはNGだったぁ…
パリパリした歯触りととろ味のマッチングが崩れてる…
太い麺自体が不味かったんじゃないのだ。
取り合わせが好みじゃなかったんだ。

パリッとした皮とジューシーな具で
餃子が美味しかったので気落ちしないですんだ。

奈良ファミリーに立ち寄って野菜を買う
とツレがいうので寄る。

4Fで待つ間FONの電波がある場所に都合よく
ベンチがあり座ってAndroidでブラウザを使う。
え、まよさんのライブの日だよ。
間に合うかな~


帰り着いてPCに火を入れるも不調。焦る。

結局まだ使い慣れていないiPADに
急遽ニコ生アプリをダウンロードして
チャンネルをさがし、どうにか接続。
途中から入室。

兼六園が映っているじゃないか…

蓮蒸しというまよさんの声。


何度か画像が途切れる。
無線LANの調子が悪いのか?

まだ雪釣りのついた兼六園の松が頭に残った。

あの背景の空の青さ。
やっぱりもう、
春はそこまで来てる。

水曜日に会社へ向かう朝の路に花はなかったのに
その日の夕方村の道端に白梅が咲きそろっていた。

香気充ち薄闇に知る白き梅

激動の二十一世紀の一日を荘厳して白い梅の花
倒れた若者たちの傍へ往け。

2011年2月21日月曜日

人生はどこを切っても美しい 

先日、梅田で映画「シチリア・シチリア」という作品を見てきた。
ぼく好みの時間の流れ方の映像詩で心がざわついて、今もそれは消えていない。

「海の上のピアニスト」のジュゼッペ・トルナトーレ監督の作品で監督の父親の人生を通してシシリーの町と時代と人生を描いている。

ぼくは自分が画集を持っているイタリアの戦後リアリズムの画家グトゥーゾが登場人物になっているというそれだけの興味で見に出かけたのだった。
映画館で美大の同級生のAさんにばったり出会った。
やっぱり見に来たんか、という顔をしていたが、ほんとうは上に言ったように内容の知識なしで出かけたのだ。Aさんの顔つきの理由は上映が始まって直ぐに気づいた。
主人公は極貧の家庭の子で、左翼化していく南イタリアの貧農の先頭に立って行くのだ。
PCIの党員になって市会議員にもなるという人生行路だ。その子がジュゼッペ監督なのだ。

映画全体は佳く出来ていて時代の動きも正確で年代記的性格も十分に備えた作品と言える。
ぼくにはこの映画にイタリア共産党の奥の深さと固有の弱点がちゃんと表現されているのに感心した。
映画自体は政治的主張はまったくない。むしろ突き放したような描き方があってそれがこの映画の美しい叙事詩的色彩を支えていると見た。

イタリアに滞在した折にしったことだが、ジュゼッペというと愛称はピーノときまっている。知り合った青年の呼び名がピーノで本名はジュゼッペだったからだ。
たぶん生まれた日取りにそれぞれ聖人が居てその名前が関係するのだったはずだ。
そんなことを思い出しながら映画を見ていた。

同時代の映像詩。
監督の父親が走り抜けた人生の同じ時間を
このぼくも友人たちとともに走り抜けてきた。
ナポリまでは行ったが
シチリアには渡らなかった。
シチリアにのこるギリシャ人が建てた神殿を見に行きたかったのだが
そのときは時間が許さなかった。
BAARIという町で生き苦悩し闘っていたひとりの男。
その男を知ることを通じてぼくは自分の30歳のころへ旅をしたようだ。

シチリアの青い空を胸に抱いたまま寒い街へ出た。
空には星ひとつ見えない大阪の夜だった。

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2011年2月12日土曜日

読游会の特別例会(月例200回!記念)

一海知義先生の漢詩講座で読游会200回記念の特別例会への参加の申し込みをしてきた。

あの「漢詩道場」「続漢詩道場」の「現場」に立ち会えるのである。

興奮せずにはいられないのだ。

それなりに自分でも予習して話が少しでも理解出来るようにしたいものだ。

ゼミ形式みたいなものらしいから報告者が居て追手門高校の先生の濱中さんという方の様だ。

河上肇の陸放翁鑑賞の詩を順に読み解く会だから予習は可能だ。

濱中先生のHPのリンクをたどり次の詩が何かは分かるはず。

さて、頑張ってみるとしよう。