文部省やその代行業者が「生徒のため」という時ほど眉唾はありませんよ(笑)
国家というのは「送りオオカミ」的お節介の結晶体で
一種のUFO(共同幻想)ですね。
なぜ「公教育という子育て」は「全国一律」でないといけないのかな。
地域格差が拡大していく社会で一律のテストでなにが分かるのか…。
結果が出ると、「うちは遅れている!→大変だからもっと勉強させよう」、といった、格差からくる過剰不安反応でいっそう教育が歪むだけ。
考える力のないお母さんや先生が生徒をきっと地獄まで連れて行くことのなるね。痛ましい結果が目に見えます。
家族、学校、地域社会が助け合える環境がない社会では、学力テストの資料的意味はない。
文科省は、自分たちのこれからの教育施策を正当化する数字や事実を集めたがっているのだ、と思います。
TVで「サンプリングより全数検査のほうが正確なのは統計学の常識」、と記者会見で大臣が言っていたが笑止千万。
考古学者の吉村教授がコメントしてたように、事実は全く逆である。
全数検査よりサンプリングによる抜き取り調査のほうが正確であるのが「統計学の常識」なのだ。あべこべじゃないか(爆笑)
文科省って学問の常識も持ち合わせない人が責任者らしい。
中学生でも知っている常識の無い人が何を言うか、と言っておきたい。
昔、推測統計学(推計学)の日本での草分けだった増山元三郎さん(2005年逝去)の一般向けの「推計学の話」を読んだ。(増山さんは学者馬鹿ではなかった。サリドマイド薬過では統計学者として資料批判で発言され、学者の社会的な責任を果たされた立派な方だった)
推計学の話 増山元三郎 朝日新聞社 1949
これは絶版だろうが、名著だと思う。小学6年生にもよく分かる本だったが、後になって内容の高度さが分かってびっくりしたからだ。
『池に棲む魚の数の推計を二度網を投げて調べる方法』を、数十個の碁石で実験しながら学んだ。
いまでも森に住む動物の生息数の推定などに使われている。
この本にサンプルを何度かとって調べるほうが全数に当たって調べるよりなぜ良いかが書かれていた。
小中学生でも分かる論理だった。
この論理教えてあげようか、文科省の大臣に。
テストだ統計だという前に、
本当の学力が数字で測れるものかどうか。
量れるものは何か。
どう活用できるのか。
広く国民にわかる議論をして欲しいね。
「常識」をしっかり身に着けてからね。
実用に関係して統計的思考を見せるコラムなら
『くもりのち晴れ』がお勧めですね。
この方の「入学試験とクリーンルーム」は
科学的思考で試験制度をチクリと刺す一読の価値あるコラム。
-------------- 一部引用します --------------------------
……
入試センター試験が終わりました。試験問題が新聞に出ていましたが、どれもなかなか難しい。時間をかければともかく、これ全部を2日でやるのはまず無理。ある大学の先生に、受験生はできるのですかと聞くと、パターンで覚えているのですよ、との答え。まるで将棋のコンピュータプログラムと同じです。将棋のプログラムでは、序盤、中盤は膨大な過去の実戦パターンを参照して、局面に応じて指す手を選択し、終盤はコンピュータ得意の腕力で読み切るのです。近年、急速に力をつけ、プロをもおびやかす存在になっています。チェスはすでにコンピュータがプロの世界チャンピオンに勝つこともあります。
こんな難しい試験に受かって入学してきたはずの学生の学力はどうか。ある先生は、平方根がわからない学生がいると、また別の先生は、マイナスがわからないのがいるといわれる。
昨年、琉球大学での学生の追跡調査が論議を呼びました。入試センター試験の結果と入学後の学業成績には相関がないというのです[1]。同じような結果が拓殖大学などからも報告されています。どの大学も、大卒の学力が身につけられる学生を入学させようと、○×式試験以外に推薦、AO、小論文、面接などを組み合わせていろいろ苦心しています。卒業時成績に一番相関が高いのは大学1年目の成績という報告もあります。基礎が身についていなければ何年在学してもムダというのです。
……
この方がまじめなのは、[1]のようにコラム末尾に引用した論文やデータを記して、論拠を出しています。大臣もぜひ見習いたまえ。
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