2007年4月18日水曜日

安倍首相という男にあきれた

以下は、あきれて書いた、感情的な文だから、口当たり耳障り、宜しく有りませぬ。悪口雑言嫌いな方は、読み飛ばしてくださいね。

安倍首相の伊藤長崎市長狙撃への感想を聞いてあきれた。
政治家としての感覚がなっていない、あんなコメントしか出てこない人なんだ。普段から非核三原則なんか重んじていないのがこういう時に出てくる。

広島と長崎の二都市は日本の都市だが、核兵器のない世界と平和へのシンボルとなっている都市でもある。
二つの都市の市長は核兵器の廃絶を訴える役目を果たしてきている。

その市長選挙のさなかに非道にも銃撃して候補者を倒す事件が起きたのだ。その政治的意味は重いし、何が起きているのか世界の耳目を集める。

そのときの首相の発言が「真相の究明」を待つだとは。これでは返って政治的背景を忖度されるではないか。我々はこういう暴挙を許さないとはっきり何故言えなかったのか。

核廃絶の先頭に立つ以外の点では伊藤氏はむしろ保守系の人であるはず、自民党にも知己は多いだろう。安倍氏との接点はしらないが。

銃撃を受け重態が伝えられている時点で、選挙戦の最中に現職市長だった候補が銃撃で重態というだけで、これは政治的事件でもある。

これは真相云々以前に政治と暴力と言う問題が突きつけられる事態の発生だった。そのことを回避するような態度は逆に極めて政治的な計算になっていないか。

二代に渡って長崎市長が銃撃を受けた。それがまず事実なのだ。
それ以上の「真相」とはなになのか。

伊藤氏は死んだ。非業の死と言うほかない死であった。
ご家族の胸中を思うと怒りが収まらない。

市役所の係りは、軽い係争問題であり市長は知らなかったでしょう、と言っている。そういう性質の問題なのにいきなり市長を標的にした?
暗黒勢力を甘く見てはいけない。これは単純な怨恨で処理されるような問題だろうか。そうではない気がする。政治的な背景がきっとある。
しかし、マスコミが何故か個人的トラブルという容疑者本人の言い分を先に流し始めたのもおかしな事だ。

ともかく安倍という男の人間的器量が透けて見えたコメントだった。
撃たれた人の家族はどう思っただろう。

二十年前ならこんな言葉は直ぐに失脚への道を意味した。
政界も様変わりしたのだ。小物ばっかりが自己顕示を競っていると、ぼくにはそう見える。大差ない二大政党の時代の弊害が露呈したか。

こんなことを見てしまうと、美しい国とは銃撃を即座に非難することも出来ない見せ掛けだけの国家なのだ、と思えてくる。
この日本、まだまだ人々のこころに自由と民主主義の火が燃えていることを、お忘れにならないほうがいいですよ、安倍首相。ほんとうの美しい国は人々の心の中で燃えている火のことなのだ。

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