2007年4月25日水曜日

ちょっと違う角度から。 昨日のエントリを考える

 昨日は学力テストのことを関連記事として書いた。

 なぜ書く気になったのだろう…と振り返ると、
 いくつかのことがあるように思うのでした。

 40何年か前にも文部省(当時)が「全国一律の学テ」を
 企てました。そのときも「上から」でした。
 父兄や学校の現場からのものでも、受験産業の関与でもなく。

 背景にあったのは高度成長路線に必要な「直ぐ役立つ」労働力、
 人材を大量に作れという財界三団体のチームプレーでした。
 そのもう一つ背後にはケネディー・ライシャワー路線と呼ばれた
 アメリカの対日政策の変更がありました。

 アメリカの政府はアイゼンハワーが来日を中止しなければならない
 ほどの日本人の対米意識を親米的にする必要を感じ知日派
 ライシャワー博士を大使に任命していたのです。
 学生運動のない日本の大学、教授陣と学生を作り出すために。
 20年かかってそれは実現しています。

 60年代には安保全学連の元幹部まで含めアメリカ留学が
 急増しています。財界の「人作り政策」といわれた企画の
 小中高生徒への「学テ」はその一端でした。

 そのころから「文部省のお役人」の耳がアメリカや財界の声だけ
 聞こえる耳だったのは確かなようです。
 だから、またか…と思うのです。考えないお役人の企画は
 多分役には立たない。だからそれほどテスト自体は
 気にしないでもいいのかもしれない。問題はその心理的波紋の方。

 偏差値の統計学的意味やその限界も理解できない人までが
 偏差値が…という社会です。「学テ」が復活してくることで
 いっそう「競争原理という悪魔」が野放しになるでしょう。

 都市以外で地域社会が辺境部から崩壊してきている日本で
 それを日々生み出している魔法の言葉が「競争原理」「市場原理」
 教育と言うレアな人間性を育てる場所に
 ヘンな「原理主義」は要らないと思うんだけどな。
 
 苦労のともなう地域社会の再創出が鍵なのだと思うが
 誰もがそのことを気づくような場面がまだないのだ。
 痛ましい事態でも経験しなければ…震災後のボランティアみたいに。 

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