昨日は学力テストのことを関連記事として書いた。
なぜ書く気になったのだろう…と振り返ると、
いくつかのことがあるように思うのでした。
40何年か前にも文部省(当時)が「全国一律の学テ」を
企てました。そのときも「上から」でした。
父兄や学校の現場からのものでも、受験産業の関与でもなく。
背景にあったのは高度成長路線に必要な「直ぐ役立つ」労働力、
人材を大量に作れという財界三団体のチームプレーでした。
そのもう一つ背後にはケネディー・ライシャワー路線と呼ばれた
アメリカの対日政策の変更がありました。
アメリカの政府はアイゼンハワーが来日を中止しなければならない
ほどの日本人の対米意識を親米的にする必要を感じ知日派
ライシャワー博士を大使に任命していたのです。
学生運動のない日本の大学、教授陣と学生を作り出すために。
20年かかってそれは実現しています。
60年代には安保全学連の元幹部まで含めアメリカ留学が
急増しています。財界の「人作り政策」といわれた企画の
小中高生徒への「学テ」はその一端でした。
そのころから「文部省のお役人」の耳がアメリカや財界の声だけ
聞こえる耳だったのは確かなようです。
だから、またか…と思うのです。考えないお役人の企画は
多分役には立たない。だからそれほどテスト自体は
気にしないでもいいのかもしれない。問題はその心理的波紋の方。
偏差値の統計学的意味やその限界も理解できない人までが
偏差値が…という社会です。「学テ」が復活してくることで
いっそう「競争原理という悪魔」が野放しになるでしょう。
都市以外で地域社会が辺境部から崩壊してきている日本で
それを日々生み出している魔法の言葉が「競争原理」「市場原理」
教育と言うレアな人間性を育てる場所に
ヘンな「原理主義」は要らないと思うんだけどな。
苦労のともなう地域社会の再創出が鍵なのだと思うが
誰もがそのことを気づくような場面がまだないのだ。
痛ましい事態でも経験しなければ…震災後のボランティアみたいに。
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