2013年10月8日火曜日

村社置酒


村社置酒

探歴鳴蝉暮鳥音
追踪白兎雪花林
星霜老去山河在
耳順座中霑酔深




2013年10月6日日曜日

賽社に過ぎる

街にも村にも秋の風情が見られ郷愁を掻き立てられます。
旅愁を題に漢詩を一首作りました。

賽社(さいしゃ)は秋の実りの収穫を感謝する祭。秋祭り。賽は「報いる」の意味。<賽社に過ぎる>秋祭りに立ち寄ること。客愁(かくしゅう)は旅の愁い。
家山(かざん)は故郷の山。
<意訳>

旅人の想いは遠く故郷へとつながって行きます。

秋の村祭りが賑やかに響いて村人たちは皆笑顔です。

楓の木にもう赤く色づいた葉を見つけました。

空には秋の叢雲がいっぱいでもう帰心一途になってしまいます。





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2013年10月1日火曜日

平家公達流亡之図に題す



 平家公達流亡之図に題す

孤鞍 遠く望む 半輪の秋

風笛 商声 散じ未だ休まず

異境の紅顔 残鬢の客

故情 忘じ難きを 那邊にか流る


  秋の夜 半月の懸かる天を仰ぐ一騎

  強風が高い音を起て吹きつのる

  異郷を落ちいく若者の鬢はほつれて

  昔の恩情は忘れがたいものの、
  何処へと流れていくこの身なのか



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2013年9月26日木曜日

漢詩 : 懐旧有感



人生有漏未離縁  ○○●●●○○
空讀遺篇不可眠  ○●○○●●○
一夜寒蛩弦月下  ○●○○○●●
孤山早暁在吟邊  ○○●●●○○


人生有漏なるも 未だ縁を離れず
空しく遺篇を讀んで 眠るべからず
一夜 寒蛩 弦月の下
孤山 早暁 吟邊に在り

【自注】

 旧友を思う詩をもうひとつ。

 最近死去した一人の詩人を想って作詩しました。
 孤独に耐え抜いたという意味で剛毅なひとでした。
 三冊余の詩集を残しました。
 その詩集を開いて読みながら思いは過去へ。

 ベトナム戦争など激動する世界を見つめながら
 まっすぐに生きて行きたいという願い、その志を記した詩の数々。

 世に広くは知られる詩人ではなかった。
 けれども私にはずっと忘れずにいたい人と作品であり続けるでしょう。

:人生有漏: 仏教のいう有漏とは存在の有限性、不完全性、無常性でしょう。
:蛩: こおろぎ、 寒
蛩で晩秋から冬の蟋蟀を表します。
:絃: いと、 楽器の弦。 月如絃は月がきわめて細くなっている情景。

さて出来栄えはどうだろう。平仄や二四不同ニ六対などはOKか。
前半二句で人の状況後半二句で自然光景をという構図にはなっているが。


漢詩人の友人の助言を得て手直ししたものです。

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2013年9月25日水曜日

俳句と漢詩 : 夕暮れの灯の下で秋を思う

渺渺として美人は 客夢に残す  星は移り落托して 燈を挑ぐるも寒し  旧盟未だ尽きずして 江山杳かなり  懐に氷心を抱きて 長く一歎す

こんにちは。晴れた一日になりそうです。

俳句と漢詩を同じモチーフで作り並べるという試みをして見ました。
漢詩の平仄は合っているはずですが他は自信ないのです。
俳句は新涼という季語を使いました。

新涼には、新しい、新鮮なというニュアンスがありますが、体に感じる涼気に気付くときの感じがこめられた言葉だ思います。

 新涼や胸は古傷有りと云ふ

自分では日常に埋没して日を送っていても、
季節の変わり目のひんやりした肌触りに秋を感じるとき
様々な人生行路の出来事を思い返したりします。

胸に古傷、ではなく胸が「古傷有り」と云うのです。
皆さんはそうでないかもしれませんが、
一つや二つ秋風に沁みて思い出される傷がありませんか?

漢詩もそういう情景を作ってみたのです。

渺渺(びょうびょう)と云うのは広々としておぼろなこと。
客夢は異郷にあって見る夢、旅人の夢。カクムとも読む。
残すはザンスと読む。ノコスではない。
星移は星霜に同じ。年月のたつこと。
落托は落ちぶれること。
挑燈は灯をかかげること。
旧盟は古い誓い、約束のこと。男女の契りの言葉でもある。
江山はここでは故郷の山河のイメージとして置きました。
杳(よう)ははるかに。
氷心は真心、清い心、澄みきった心。

 晩燈愁思

 渺渺美人客夢に残す
 星移落托、挑燈寒し
 旧盟未だ尽きず、江山杳かなり
 懐抱氷心、長一歎


2013年9月19日木曜日

俳句 : 台風

 


夜半中台風を聴き茶を啜る

台風の丘は一軒夜を怖る

道に被り出水は夜の田へ向かう

夜の声出水の村のまっ二つ

こゑ止まぬ夜更けの野分缶詰で

野分去り妻が顔拭く白タオル

台風の過ぎしタオルのあたたかや






2013年9月17日火曜日

漢詩 : 送別詩




一別衰翁思  一別 衰翁思う
白雲送客悲  白雲 送客の悲しきを
晴風吹露菊  晴風 露菊を吹けば
落雁水霄涯  雁は落つ 水霄の涯


霄=「しょう」空のこと



あっさり別れたこの別れ 老い衰えてのもの思い

白い雲へ客を送り ただ悲しむだけなのだ

晴れた日で 風は菊の露を溢して吹き

雁は落ちていく 遠い空と水の涯まで


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2013年9月16日月曜日

漢詩 : 暈月愁思



風催帰燕過人閒

水映紅霞是往還

故侶故郷不息憶

秋声暈月対愁顔


風は帰燕を催(うなが)し 人閒に過(よぎ)る

水は紅霞を映し 是(ここ)に往還

故侶、 故郷   憶えば息まず

秋声、 暈月   愁顔に対す


燕に帰るをうながして
風は世間に吹き通る
夕焼け空の川に映え
ここに往還 あるばかり
ひとぞ 故郷ぞ 憶わるれ
尽きぬ思いの愁い顔
虫鳴く声に
月の暈

2013年9月13日金曜日

俳句 : 夜長の時期になって



 詩を賦すや誰に夜長の酒熱き

 きみいづこ花野のはづれ丘のうへ

 葛のはなこぼれて静か吾はあり

 数うれば蛾は三匹の夜学の燈



漢詩 :  観月偶感 


今回は頭から作っていった起承転結の順で。難しかった。
それで意を尽くした終わり方ではなかった。それが反省点。


 蝋涙香烟形影思

 多年宿志在天涯

 如何閉戸悲塵世

 詩骨無端孤月窺 


 



2013年9月8日日曜日

魚玄機 送別其のニ






送別 其二 魚玄機

水 柔 逐 器 知 難 定 

雲 出 無 心 肯 再 帰 

惆 悵 春 風 楚 江 暮
 
鴛 鴦 一 双 失 群 飛 



水は柔かに器を逐うも 定め難きを知る

雲は出づるも心無く  再帰肯なう

惆悵たるかな春風   楚江の暮

鴛鴦は一双たるも   群を失して飛ぶ

2013年9月7日土曜日

漢詩 : 有朋遠来寓居

俳句や短歌ができない。頭が止まってしまっている。

何故に漢詩ならできるのだろう?

出来ばえはともかく作れる。

たぶん詩語集と平仄記号付きの絶句用の型紙があるからだ。

入門書の指示通りにやっているからできるのだろう。


平水韻 上平四支の韻


 題  有朋遠来寓居  朋あり遠きより寓居に来る


 夕陽籬影従陶詩   夕陽 籬影、陶詩を従え

 帰鳥啼猿落葉時   帰鳥 啼猿 落葉の時

 朋友吟来柴桑宅   朋友 吟じ来る 柴桑の宅

 欣欣温酒共囲棋   欣欣 酒を温め 共に棋を囲む






 夕陽に透けて籬(まがき)のシルエットができ 陶淵明の詩を思わせる

 ねぐらへ帰る鳥、林で親を呼ぶ猿の声、落葉が続いている時刻

 懐かしい友が 詩を吟じながら 田舎の宅に来てくれた

 わくわくした嬉しさに酒の燗を調えたらさあ向き合って碁盤を囲む。


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漢詩 : 秋夜偶成

懲りない、という姿勢で何度でも拙い作に耐えて漢詩作詩に挑戦しています。 

             七言絶句 平起式 韻は平水韻 十一尤

  秋夜偶成

  桂花香閣訪無由

  破壁月明暮雨収

  往事迢迢人已去

  孤燈多感不堪秋


2013年8月26日月曜日

2013年8月21日水曜日

俳句 : 薄闇に居る



迎え火を焚かず我あり薄闇に

俳句 : 夏の終わり




振り返るほど美しき夏の悔い


蜩は夜明けを待たじ夏逝きぬ 


蜩=かなかな

月下美人



 月下美人今宵顕になりし無知

   げっかびじん こよい あらわになりし むち



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2013年8月19日月曜日

俳句 : 盆過ぎて




 迎え火を焚かず我あり薄闇に


  むかえびをたかずわれありうすやみに


 なごり坂だらだらだらり盆の闇


  まごりざかだらだらだらりぼんのやみ


 盆過ぎの身のおとろへて庭潦


  ぼんすぎてみのおとろえてにわたずみ


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2013年8月16日金曜日

俳句 : ペルセウス座流星群の夜



 我が裡の胸走り火や星流る

 流れいく星に後れて吐息かな

 流れたる星に声あり夜の川

「胸走り火」は造語ではありません。

「胸走り」と「走り火」が合わさってできた近世の言葉だと思います。
辞書にもあります。





 星流るゝ見合うて失せし君の顔

 号泣のその余は知らじ天の川


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2013年8月13日火曜日

俳句 : 夏日から




 我を余所に蟻は列なす黙々と


 夏の夜の鏡に光る眼に見入る


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俳句 : 芋の句





客僧の食い残したる芋の端


芋は秋の季語ですが、俳句では里芋を指すことばです。


ここでは客僧は旅の僧でも他の寺に身を寄せる僧でもなく、
法事や法話に招かれた招待された僧侶を指しています。

接待する側はそれなりに気をつかっていろいろと出すのですが、
田舎のことゆえ不調法でもあり、また量の多さも度外れだったりで。

余す気の無い僧の方も持て余して詫びて箸を置くわけです。


そんな情景を詠んでみたつもりです。

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俳句 : 失ったもの




 大蓮を大蓮と云う今日炎天下

  おばつじを おおはすという きょうび えんてんか


 路上にゐる汗に濡れたる黒頭

  ろじょうにいる あせにぬれたる くろあたま



 河内では今日(こんにち)を「きょうび」と云う。


 東大阪市大蓮。昔は「おばつじ」と云った。いまは「おおはす」
 漢字表記は変わらないが、呼び変えたのだ。


 「おばつじ」は大蓮の正確な読み方から出ている。
 元来は「おおはちす」と呼んだのであろう。
 「おおはちす」が「おおはつし」さらに「おはつじ」と発音が変わっていった。
 河内にはこういう音変化が多い。

 矢作(やはぎ)が「やわぎ」さらに「やうぎ」「ようぎ」
 今の「八尾木(やおぎ)地元は今もヨーギと呼ぶ」である。

 八尾市の八尾は物部氏の一族である矢作(やはぎ)氏から来ている。
 あ、これは自説ですが(笑)別の説もあります。


 このオバツジは当麻寺の伝承に寄り添う言い伝えがあります。
 当麻寺に伝わる当麻曼荼羅を織り上げた中将姫の伝説です。

 「当麻曼荼羅」 

 その中将姫はこの「大蓮」の池の蓮が立派なのを知って通ってきて採り、
 ついにあの曼荼羅を織り上げる祈願を果たしたという。


 その話を教えてくれた友の所在を私は失ったままです。

 夏の暑い日にこの思い出が蘇るのも不思議です。

 名前が「おおはす」と変えられても私の思い出は変わりません。


 汗だらけの黒い頭で私と一緒に西瓜に食らい付いた遠い日々の友の顔も失いません。




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2013年8月11日日曜日

2013年8月9日金曜日

俳句 : 熱帯夜





 その後の寂しさ知るや遠花火

 熱帯夜死んで一万三千百余日

 紙の蝶を額寄せ折りき賜りし

  額=ぬか







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2013年8月6日火曜日

習作の七言絶句: 旅愁

杜牧の作品を下敷きにして詩語表を繰って作ってみた。






杜牧では春だが私は暫く旅をしていないので旅愁をイメージしたいと秋にした。

いくつも気になる点があるが、一区切りつけて一里塚にしておく。







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2013年8月5日月曜日

漢詩の作詩法の学習 

 



  山居偶成

   小橋一路白雲峰
 
  風竹青蓮午睡濃
 
   数里鶯声深樹下
 
  雨来山門已鳴鐘
 


詩語表を使って半ば「自動的」に手順を追って漢詩をつくる練習を始めてみる。

平起式と仄起式のパターン表に詩語表から自分で判断して選択した詩語を並べていく。

一三五不論、二四不同、二六対、下三連と孤平・孤仄の禁などを意識する。


さて誰かに添削してもらわないと自分では誤りに気がづきにくい。

どうしたものか。


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2013年8月2日金曜日

俳句 : 神々の夏





    夏座敷女の童神あるや
    なつざしき めのこの わらしがみ あるや

    市の夜のまさかは皆付喪神
    いちのよの まさかは みんな つくもがみ

    花火見えたちまゝ消ゆる泪かな
    はなびみえ たちまちきゆる なみだかな

    花火とは闇に撒く虹幼な妻

    はなびとは やみにまくにじ おさなづま







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2013年8月1日木曜日

俳句 : 毎年同じ頃に夏ばてしている

去年の同じ頃暑気に負けて挫けていたら俳句を一日で十句創ってご覧という助言を戴き作った。

ここに再掲して今年の励みとする。二三箇所の手直しをした。気が付いたことは去年より一日の長を得ているからだと思いたい。







2012年7月26日      

 ①、死にかけの蛙ごときに夏の雷

 ②、食紅や指透き通る蛙の手

 ➂、放散する気体孕めり夏の月

 ④、南風に向き胡蝶の羽化の雨催ひ
     南風(はえ)

 ⑤、暑気疲れ 空白の町に雲が湧く

 ⑥、昧爽の 柿の花踏み帰る路次
   (あかつきの)

 ⑦、酒一斗 李白帰せば天の川
     李白も<李白に似た>酒豪も好きだ

 ⑧、この妻のことばが涼し 熱帯夜

 ⑨、日に透けしかまきり避けて葉をゐざる
              (よけて)

 ⑩、夏草や野猫のくさめ二度三度

俳句 : 夏の雑詠






 羅や紅をひく娘のにいと笑む

 古日傘出し眺めゐて又仕舞ふ

 身仕舞に団扇とゞめて目を瞑る

 夕顔とやゝ寛解ぎし妻と居る

 虹見ゆと教えし君の小鼻かな

 暁の虹君と旅寝の日は果てゝ



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2013年7月30日火曜日

俳句 : 夏休





 団扇手に子らは蛙の目借り時

 寝覚めたであせも肌して食卓へ

 ダイオード硬き声なる夏の宵

遠い時代の夏休みである。
団扇、扇風機、氷柱が涼を呼んでいた夏である。
あせもの子がいた夏、鉱石ラジオを組み立てた夏。

田舎へ往って思いっきり
遊び呆けることが出来た子供らがいた日本の夏。
懐かしい記憶の中のさびしい日本である。
しずかなしずかな記憶の中の日本の夏である。




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