2007年5月3日木曜日

どうして山里になんか棲むのだい?


                 
 山中問答      李白

 問余何意棲碧山

 笑而不答心自閑

 桃花流水杳然去

 別有天地非人間




 山中問答         李白

 余に問う何の意ありて碧山(へきざん)にか棲むと

 笑って答えず心自から閑なり

 桃花流水杳然として去ぬ

 別して天地の人間(じんかん)に非ざる有り


   問うものがいる、どうして草深い山中に棲むかと。

   無理もないかと答えずに笑っている、長閑な心で。

   桃の花びらが水に落ち何処へやら遠く流れていく。

   ここはそれ、世間様とはかけ離れているのさ。



 これは自分の愛唱詩だ。

 黛まどかさんから届いた「俳句でエール」には
 蓬もちの句が入っていた。

 嫁姑声の似て来し蓬餅
            渡部トヨ

  よめしゅうとめ こえのにてきし よもぎもち

                     季語/蓬餅
 田舎の嫁と姑は、農作業の共同作業で同じ経験を
 分かちあうから、いつしか女同士認め合うことになり
 次第に共通するしぐさも持つようになったりする。
 この句では、声まで似てきているのだ。
 働くものの伸びやかな声のさざめき。
 仕事上がりのお茶と蓬餅が和やかな場にある…
 田舎暮らしにも好いことはあるのだ。

室内でダイヤモンドダストを人工的につくりだす



東近江市にある西堀榮三郎記念探検の殿堂でダイヤモンドダストを人工的につくりだす実験をやっている。

この記事はLazyCameraというブログに出たもの。出かけて写真を撮ってきたのだそうで、きれいな写真。撮影は難しかったそう。

東近江市に記念館があるのは知らなかった。
南極越冬隊隊長だったから、小学生のころ憬れの人だった。
品質管理の理論と実践の草分けでもある。

過冷却の水にショックを与えると一瞬に氷になるのと同じ原理で
ダイヤモンドダストができるのに衝撃が必要なんだって、知らなかった。それに樹氷も同じらしいと…へぇ山中の衝撃ってなんだろう。
天狗のくしゃみだったりして(笑)

北海道では自然現象としてみることが出来るらしい。
これは北海道で撮られたもの。

これは信州松本で、マイナス15度以下になった証拠。
すこしわかりにくいが、上の方にに見えている。

ぼくは京都の北山山中で
川が流れている狭い渓谷であること、無風だったこと
湿度が一定で急激に気温が下がったこと、朝日が差し込んだ
という条件で2度ほど見ることが出来た。



西堀榮三郎
1903年京都府に生まれ。1928年京都大学理学部卒業後、京大講師、助教授を経て民間企業(東芝)に移り真空管を発明した天才技術者。統計的品質管理手法を日本の産業界に持ち込んだ人物として知られる。後のQCサークルである。今西錦司、桑原武夫ら京都グループ主要メンバーの一人。日本山岳協会会長も務め、日本初の8000m級登山である「マナスル登山」の際、ネパール政府との交渉役も務めた。昭和55年チョモランマ登山隊総隊長を努める。「雪山賛歌」の作詞者でもある。探検家のカリスマ的存在であった。京大の教授となった翌年の1957年2月15日から翌年2月24日にかけて行われた、第一次南極越冬隊の隊長を務めた。その後、原研理事などを務めたが1990年に死去。主な著書に『品質管理実践法』 『南極越冬記』 『西堀流新製品開発』 『品質管理心得帳』 『想像力』 『五分の虫にも一寸の魂』などがある。

2007年5月2日水曜日

茶摘み籠にならぬ茶摘ポケット

今日は八十八夜だそうだ。
新茶の季節。

最近、新聞を新聞受けへ取りに出るときポケットに一掴み分の茶の新芽と若葉をちぎって詰めてもどる。
それを手揉みにして暫らく置くと蒸れて黒ずみ、少し乾いてきたらティーパックに入れて湯を注ぐ

『生茶』…でもないか。
あまり香りはない。

でも「青汁」に慣れた舌には青臭さも感じない。
旨みがあって、かなりイケルと思っている。
今の季節だけの遊び。
葉酸、ビタミン、テアニン、少しはカフェインとカテキン。
ぼくなりに更けゆく春の味わい。

焙じると香ばしくなってお茶らしいが、いまはこちらが気にいってるのだ。

2007年4月30日月曜日

Mind the step


I’ve been taking all the daffodil photos - so I needed a break on the website. This is the inside of the main entrance gate to King’s college, on King’s parade. There is a small door within the larger one - hence “Mind the step”.

面白いですね。
興味深々になりますね、ぼくは。

ステップっていろんな意味になるから
あれこれ想像してしまう。

アリスや兎(懐中時計もったヤツね…)が
潜り抜けて行きそうな…ドア。

なぜドアにもう一つ小さなドアが要るのか?
the main entrance gate to King’s college, on King’s paradeっていうのも気になるところ。

辞書には

mind [watch] one's step

(1)足元に気をつける.

(2)言葉[行い]に気をつける.

と、ふたつ出ている。
ぼくは(2)でMind the step!と言われそう。

ケンブリッジは古くて奥深いのだな、行って見たくなった。

2007年4月27日金曜日

小さな日溜まり


これが青汁の原料で有名?なケールの、その花です。

これは咲いてしまっていますが、花芽は菜の花よりもコクがあり
茹でて三杯酢などで食べるととても美味しいのですよ。
関西風人の好きな「お好み焼き」にもキャベツの変わりに
ケールの葉や茎、花芽を刻んで入れるとお代わりしたくなります♪



今日は小休止のような一日。
会社のデスクの上で新聞からはみ出していたチラシに目が止まった。
         
あれ、これは… 阿修羅じゃないか、興福寺の。
見たことないでしょう? この角度の写真。
ぼくは、中学生の頃、このような角度も含めて、
じっくり見せて戴いた。

中学校には美術鑑賞クラブという鑑賞専門のクラブがあり
ぼくは部員だった。かなり高度な?鑑賞力のある先輩が多かった。
部誌に『四天王寺再建非再建論争を論ず』なんて書いている人もいたし。ぼくもボリンガーの「抽象と感情移入」などを読んで、分からぬままで議論に首をつっこむ真似などをしていた。

顧問の先生が足立という京都美術大学(現京都芸大)卒の方で
情熱的な先生だった。(今もお元気だ)
終いには先輩たちは脱乾漆法の高30センチほどの仏像を造り始めた。
       
部室には日本の古典書籍が揃っていた。初めて日本書紀や続日本紀を原文の漢文で「見た」のもこの部室だった。

先生の伝で法華寺や秋篠寺や当麻寺はじめ、たくさんの寺を回った。
住職たちはみな優しくしてくださり、部屋へ上げていただいて絵巻物を拝見できたり、本堂の中を「懐中電灯」で仏様のお顔をじっくり観察?させてもらえたり、今思えばのんびりした時代。
国宝の仏に触らせてくれたのだから…考えられないね。
         
そして大好きになった浄瑠璃寺の建物と仏たちの傍へ縁あって棲む事ができている。人生七曲しても生きていればお日様のあたる道にもでるもの。


22日まで、ボランティアしてました。春の不調を堪えながらがんばってました(^^;)
合併にともなう市長選挙と市会議員選挙。
ぼくらの地域は新市の周辺部になるから、予算がしっかり公平に使われるかは大問題。
だからみんなが分かっていても発言を怯えている同和予算の組み方などではっきりものを言ってきた議員に市会へ出てもらうため、思い切って応援を買って出た。

50人いた議員が26人に減る。35人立候補で9人落ちる。数十票から数票で当落が分かれるだろうという激戦だった。
村というものは保守的で、区長会という行政の代行事務もする半ばは公的な自治機関で特定候補を地域代表に推薦を決定するようなことをするのだ。(厳密に言えば公選法違反じゃないのかな)

だから住民になって十数年過ぎたぼくは、もう村人だから、
あえて他の候補を推して選挙の活動で働きかけるのは勇気がいるのだ。
         

それでも事実は雄弁で、何人かは地域の代表は君の推す候補がいい、票を入れるよと言ってくれた。
他の地域にも選挙カーの運転手で入ったが、個人的にはおじいさんやおばあさんが手を振ってくれたり、家の物陰から小さく手を振ってくれたり、次第に空気が変わっていくのを感じた。

政策をきちんと言う選挙をする候補だったからだ。コミュニティーバスの本数の増加(JR駅前行きだけでなく市役所、病院への路線を追加させる)と料金の引き下げ(旧町内は他町のより高い)をするなど。

全体としては投票日前は落ちるかもしれない、というほどの気持ちにさせられた。
他候補が「あそこは大丈夫、だからうちへ票を」と大宣伝を掛けていたからだ。いわゆる『大丈夫論』が広がったのだった。
最後はこれだけがんばったんだから、悪いはずがない…という精神主義になった。自分でも自分が可笑しくて笑った。

市長選挙では、合併の推進の中心だった前町長が市長に決まった。
だが住民投票条例を作って合併の是非を問えと集めた1万を越える捺印署名と同数の票を市民派市長候補が集めた。批判票は厳然とあることを示した。

開票が大幅に遅れ、市会候補の結果が確定したのは午前三時半。

ぼくは選挙事務所で待ちながらこっくりこっくり。我慢できない眠さだった(笑)PCでNHKのインターネット用速報をモニターしていたのに。待ちくたびれた耳に突然電話が鳴り響き、開票所から結果が届いて、目が覚めた。

ぼくが推したのは共産党の4候補。
町政で一番しっかりやっていたからだ。
今便りになるのは地方政治ではここしかないな、と結論しての選択だった。勇気も要ったけれど。

予想外の結果がでたのだった。
4人の候補者のうち一人は第二位の高位当選。
ぼくの地域の女性候補も十一番目という成績。ヨカッタ!!
後の二人もは19,22番目となった。
当落ぎりぎりはいなかったのだ。
町政時代何かと言うとぼくの推した候補(町会議員だった)に辛く当たっていた女性候補(前町会議員)は落選。(^^)

で、お定まりの「ばんざ~い」「ばんざ~い」
気持ちよかったぁ! 
議員さんにはその朝から仕事が待っていた…
疲れを取り、エンジン全開でいけるコンディションを作ってね。
先は長い、仕事も多い。身体に気をつけてね。
そう思い小さな身体の、女性議員になった彼女に感謝したぼくでした。

さあ、日常に戻ってがんばろう。
今日はこうして日溜まりのような一日をもらったのだから。

2007年4月25日水曜日

ちょっと違う角度から。 昨日のエントリを考える

 昨日は学力テストのことを関連記事として書いた。

 なぜ書く気になったのだろう…と振り返ると、
 いくつかのことがあるように思うのでした。

 40何年か前にも文部省(当時)が「全国一律の学テ」を
 企てました。そのときも「上から」でした。
 父兄や学校の現場からのものでも、受験産業の関与でもなく。

 背景にあったのは高度成長路線に必要な「直ぐ役立つ」労働力、
 人材を大量に作れという財界三団体のチームプレーでした。
 そのもう一つ背後にはケネディー・ライシャワー路線と呼ばれた
 アメリカの対日政策の変更がありました。

 アメリカの政府はアイゼンハワーが来日を中止しなければならない
 ほどの日本人の対米意識を親米的にする必要を感じ知日派
 ライシャワー博士を大使に任命していたのです。
 学生運動のない日本の大学、教授陣と学生を作り出すために。
 20年かかってそれは実現しています。

 60年代には安保全学連の元幹部まで含めアメリカ留学が
 急増しています。財界の「人作り政策」といわれた企画の
 小中高生徒への「学テ」はその一端でした。

 そのころから「文部省のお役人」の耳がアメリカや財界の声だけ
 聞こえる耳だったのは確かなようです。
 だから、またか…と思うのです。考えないお役人の企画は
 多分役には立たない。だからそれほどテスト自体は
 気にしないでもいいのかもしれない。問題はその心理的波紋の方。

 偏差値の統計学的意味やその限界も理解できない人までが
 偏差値が…という社会です。「学テ」が復活してくることで
 いっそう「競争原理という悪魔」が野放しになるでしょう。

 都市以外で地域社会が辺境部から崩壊してきている日本で
 それを日々生み出している魔法の言葉が「競争原理」「市場原理」
 教育と言うレアな人間性を育てる場所に
 ヘンな「原理主義」は要らないと思うんだけどな。
 
 苦労のともなう地域社会の再創出が鍵なのだと思うが
 誰もがそのことを気づくような場面がまだないのだ。
 痛ましい事態でも経験しなければ…震災後のボランティアみたいに。 

2007年4月24日火曜日

ありがとう








ありがとう。もう友達。いつも一緒だよ…

実はついこの間に亡くなった池田晶子さんという哲学者(対話的哲学ライターとぼくは名づけていますが)の「14歳からの哲学」を読み始めたばかり。

ちょっと頭が哲学風に「言葉まみれ」になりかけている。
それで、「ありがとう」という主題なんだけれども…

哲学的な「ありがとう論」も有り得る気がする(笑)。

だって、「ありがとう」と言ったり、思ったりするとき

「ありがとう」な自分や、「ありがとうの相手」、がいるのだから。

そして、そのときの自分や、そのときの相手が、
「なぜ」ありがとうって言える場面にいるのか、
問うことは無意味じゃないもの。

そう問い、答えが分かれば、「ありがとう」の中味が
気持ちだけじゃない…って分かったりするから。

それが「思う」から「考える」への飛躍、哲学なんだと
池田さんは言っている。
大人になるってことなんだ、それが。
ただ思うだけじゃなく、
考える(校=かんがえる)ことを
身につけることなんだ。

学校(学び、考える(=校)場所)へ行くのはそのためか。

「ありがとう」って、気持ちだよな。
だから、「ほんの気持ちです」といってお礼の品を渡すよ。

感謝する気持ちが、「ありがとう」なんか?
気持ちだな、まずもって「ありがとう」の気持ちだ。

そして気持ちだから、「ありがとう」という「思い」なんだ。
思う自分。…考える自分。どう違うのだ、同じなんか?

「ありがとう」は、気持ち。
でも「ありがとう」は言葉。

声にもなる言葉。
「アリガトウ」

「ありがとう」と言葉で言う前に
声に出して言う前に、
アリガトウと呟いている自分がいる。
思っている自分がいる。
でなけりゃ
それは、嘘言葉。
「アリガトウ」という嘘。

言葉はひと(他者)への架け橋。
他者や世界への窓。
ぼくは15歳でゆめみた。
「こころの窓」
「言葉でできた橋」。
                 


<人が人に壁になるのではなく、人は互いに
世界に向かって開かれている窓になってほしい>
甘い幼い詩人の魂に映った苦い諍い。

……

嘘を吐く世界で「ありがとう」も嘘に変わるなら
詩人は生きていけない。
自分のなかにも嘘が生えてくるから。

「アリガトウ」と言えなくなった分だけ
「ありがとう」は身体いっぱいに溢れて

感謝しながら泣いていることだってあるさ。

「ありがとう」「アリガトウ」が渡す
こころの架け橋が渡れなくて

立ちすくんで更けた夜もあった。

「世の中を憂(う)しと痩(や)さしと思えども」
鳥ではない人間の身では飛び立つこともかなわぬ願い。

……

知人に「有り難う御座います」と
鞄などにシールを貼り
持ち歩く人がいる。
「ありがとう」おじさんになっている。
溢れるほど「アリガトウ」が涌いてくるのだろうか?
紙の上にある「ありがとう」


ぼくは「ありがとう」が言えなかった。
一番大事な別れに
「アリガトウ」と声にならなかった。

大事な大事な人に分かれるのに
二度と顔を見ることができないのに
溢れるものにさえぎられて
「アリガトウ」が言えなかった。

いつまでもそのことを忘れられずにいる。
肝心のときに言葉はバラバラになって
地面に散らばってしまったと。

「すみません」とは言えるのに
「ありがとう」は気軽に言えない。
そんなことが多い、ぼくはそんなやつ。

ぼくは最後のそのときに
眼差しだけでいいから
世界に「ありがとう」と
そっと言葉で返したい。
              

自分にはいろいろあったけれど
自分が一部分でいた世界は
やっぱり美しい場所だったと
最後のことばに残しておきたい
滅多にいえないぼくだから

ありがとう
みんながいるから
世界は人生はすてきだった

と。

全国学力テストって生徒のためじゃないでしょ

文部省やその代行業者が「生徒のため」という時ほど眉唾はありませんよ(笑)

国家というのは「送りオオカミ」的お節介の結晶体で
一種のUFO(共同幻想)ですね。

なぜ「公教育という子育て」は「全国一律」でないといけないのかな。
地域格差が拡大していく社会で一律のテストでなにが分かるのか…。
結果が出ると、「うちは遅れている!→大変だからもっと勉強させよう」、といった、格差からくる過剰不安反応でいっそう教育が歪むだけ。

考える力のないお母さんや先生が生徒をきっと地獄まで連れて行くことのなるね。痛ましい結果が目に見えます。

家族、学校、地域社会が助け合える環境がない社会では、学力テストの資料的意味はない。
文科省は、自分たちのこれからの教育施策を正当化する数字や事実を集めたがっているのだ、と思います。

TVで「サンプリングより全数検査のほうが正確なのは統計学の常識」、と記者会見で大臣が言っていたが笑止千万。
考古学者の吉村教授がコメントしてたように、事実は全く逆である。

全数検査よりサンプリングによる抜き取り調査のほうが正確であるのが「統計学の常識」なのだ。あべこべじゃないか(爆笑)
文科省って学問の常識も持ち合わせない人が責任者らしい。
中学生でも知っている常識の無い人が何を言うか、と言っておきたい。

昔、推測統計学(推計学)の日本での草分けだった増山元三郎さん(2005年逝去)の一般向けの「推計学の話」を読んだ。(増山さんは学者馬鹿ではなかった。サリドマイド薬過では統計学者として資料批判で発言され、学者の社会的な責任を果たされた立派な方だった)

  推計学の話 増山元三郎 朝日新聞社 1949

これは絶版だろうが、名著だと思う。小学6年生にもよく分かる本だったが、後になって内容の高度さが分かってびっくりしたからだ。

『池に棲む魚の数の推計を二度網を投げて調べる方法』を、数十個の碁石で実験しながら学んだ。
いまでも森に住む動物の生息数の推定などに使われている。

この本にサンプルを何度かとって調べるほうが全数に当たって調べるよりなぜ良いかが書かれていた。
小中学生でも分かる論理だった。

この論理教えてあげようか、文科省の大臣に。

テストだ統計だという前に、
本当の学力が数字で測れるものかどうか。
量れるものは何か。
どう活用できるのか。
広く国民にわかる議論をして欲しいね。

「常識」をしっかり身に着けてからね。


     実用に関係して統計的思考を見せるコラムなら
     『くもりのち晴れ』がお勧めですね。
     この方の「入学試験とクリーンルーム」は
     科学的思考で試験制度をチクリと刺す一読の価値あるコラム。

-------------- 一部引用します --------------------------
……
入試センター試験が終わりました。試験問題が新聞に出ていましたが、どれもなかなか難しい。時間をかければともかく、これ全部を2日でやるのはまず無理。ある大学の先生に、受験生はできるのですかと聞くと、パターンで覚えているのですよ、との答え。まるで将棋のコンピュータプログラムと同じです。将棋のプログラムでは、序盤、中盤は膨大な過去の実戦パターンを参照して、局面に応じて指す手を選択し、終盤はコンピュータ得意の腕力で読み切るのです。近年、急速に力をつけ、プロをもおびやかす存在になっています。チェスはすでにコンピュータがプロの世界チャンピオンに勝つこともあります。

 こんな難しい試験に受かって入学してきたはずの学生の学力はどうか。ある先生は、平方根がわからない学生がいると、また別の先生は、マイナスがわからないのがいるといわれる。

 昨年、琉球大学での学生の追跡調査が論議を呼びました。入試センター試験の結果と入学後の学業成績には相関がないというのです[1]。同じような結果が拓殖大学などからも報告されています。どの大学も、大卒の学力が身につけられる学生を入学させようと、○×式試験以外に推薦、AO、小論文、面接などを組み合わせていろいろ苦心しています。卒業時成績に一番相関が高いのは大学1年目の成績という報告もあります。基礎が身についていなければ何年在学してもムダというのです。
……
   この方がまじめなのは、[1]のようにコラム末尾に引用した論文やデータを記して、論拠を出しています。大臣もぜひ見習いたまえ。

2007年4月23日月曜日

空から参らむ 、羽賜べ若王子…



八尾市の恩智川の菜の花色の夕景色

熊野へ参らむと思へども
徒歩(かち)より参れば道遠し
すぐれて山きびし
馬にて参れば苦行ならず
空より参らむ 羽賜(た)べ 若王子
             梁塵秘抄』




世界遺産熊野古道が注目を集めているが、
熊野巡礼の道は和歌山にだけあるのではない。

京都から摂津渡辺へ舟で下り上町台地を南下して
泉州を一路辿って和歌山市を海沿いに行く大辺路。
途中で山へ入る中辺路。
伊勢を経由する伊勢路も盛んだった。

熊野へ参るには
紀路と伊勢路のどれ近し どれ遠し
広大慈悲の道なれば
紀路も伊勢路も遠からず
               『梁塵秘抄』

実は有名ではないが、京より淀川を渡り、
枚方辺りから南下して
生駒山系の切り立った山際に沿う街道、
東高野街道も熊野巡礼の古道であった。
河内の遍路道と言えよう。

ぼくの職場のある辺りの近くを通っている街道で、
その西には並行して今の街道、外環状線が走っている。
古来の街道であり、古代には繁栄した地域である。
街道沿いには古墳が多く、千塚という地名もあり
考古学上有名な群集墳のひとつである。



この古墳(心合寺山古墳)は先日桜の写真を撮った場所で、池は実は
古墳の周濠だったのだ。
Google Earthでみるとこんなにハッキリした
前方後円墳の幾何学的形をしているのだ(復元)



1は小学校 2は養護学校です。季節ごとに
養護学校の行事があるとき、賑やかに拡声器から
先生方の声や音楽や歌声がわ~んと響いてくるぼくの職場。
たんぽぽのような生徒たちの学校です。
煩いときもあるけれど、この感じ嫌いじゃないな。



工場の隣の民家を借りて事務所にしていますが、
二階の窓から運動場が見えるのです。
先生も生徒もみんな懸命にやっている様子が伝わってきます。

1の小学校の上に見える筋は「恩智川」です。
ぼくは八尾の「恩知らず川」と名づけています。
いえ、川が恩知らずじゃないんです。八尾市民が恩知らず…
名前は恩智(おんじ)なのにこの川はみんなに汚されて、
数年前の国の調査で日本一ダイオキシン濃度が高い川
と公表されたのです。それで祖先からずっと
川の恵みで暮らしてきたのに「恩知らず」なわけです。

数年経つけれど川がきれいになってきている形跡はまだない…
我々が奈良の大宇陀や明日香村で野菜を栽培してもらっているのも
こういう背景があるのです。
八尾市民よもっと自覚を!と叫びたい。

でも河内人は根はいいひとたちなんです。
この現状がここ数十年の日本の農業や工業の縮図、結論なんですね。
八尾に限ったことじゃなく…


梁塵秘抄をひも解くと
中世の遊女たちの「空に澄み昇る声」が聞こえます
聞えるように思います
空から参らむ、と謳うことが出来た遊女の自由な発想はいまも新鮮
澄んだその声がどんなだったか、想像をかき立てて止まないのです


でも空から参ることが簡単にできて
Google Earthって、ほんとうに便利ですね。
次は何処へいこうかなぁ…

2007年4月18日水曜日

安倍首相という男にあきれた

以下は、あきれて書いた、感情的な文だから、口当たり耳障り、宜しく有りませぬ。悪口雑言嫌いな方は、読み飛ばしてくださいね。

安倍首相の伊藤長崎市長狙撃への感想を聞いてあきれた。
政治家としての感覚がなっていない、あんなコメントしか出てこない人なんだ。普段から非核三原則なんか重んじていないのがこういう時に出てくる。

広島と長崎の二都市は日本の都市だが、核兵器のない世界と平和へのシンボルとなっている都市でもある。
二つの都市の市長は核兵器の廃絶を訴える役目を果たしてきている。

その市長選挙のさなかに非道にも銃撃して候補者を倒す事件が起きたのだ。その政治的意味は重いし、何が起きているのか世界の耳目を集める。

そのときの首相の発言が「真相の究明」を待つだとは。これでは返って政治的背景を忖度されるではないか。我々はこういう暴挙を許さないとはっきり何故言えなかったのか。

核廃絶の先頭に立つ以外の点では伊藤氏はむしろ保守系の人であるはず、自民党にも知己は多いだろう。安倍氏との接点はしらないが。

銃撃を受け重態が伝えられている時点で、選挙戦の最中に現職市長だった候補が銃撃で重態というだけで、これは政治的事件でもある。

これは真相云々以前に政治と暴力と言う問題が突きつけられる事態の発生だった。そのことを回避するような態度は逆に極めて政治的な計算になっていないか。

二代に渡って長崎市長が銃撃を受けた。それがまず事実なのだ。
それ以上の「真相」とはなになのか。

伊藤氏は死んだ。非業の死と言うほかない死であった。
ご家族の胸中を思うと怒りが収まらない。

市役所の係りは、軽い係争問題であり市長は知らなかったでしょう、と言っている。そういう性質の問題なのにいきなり市長を標的にした?
暗黒勢力を甘く見てはいけない。これは単純な怨恨で処理されるような問題だろうか。そうではない気がする。政治的な背景がきっとある。
しかし、マスコミが何故か個人的トラブルという容疑者本人の言い分を先に流し始めたのもおかしな事だ。

ともかく安倍という男の人間的器量が透けて見えたコメントだった。
撃たれた人の家族はどう思っただろう。

二十年前ならこんな言葉は直ぐに失脚への道を意味した。
政界も様変わりしたのだ。小物ばっかりが自己顕示を競っていると、ぼくにはそう見える。大差ない二大政党の時代の弊害が露呈したか。

こんなことを見てしまうと、美しい国とは銃撃を即座に非難することも出来ない見せ掛けだけの国家なのだ、と思えてくる。
この日本、まだまだ人々のこころに自由と民主主義の火が燃えていることを、お忘れにならないほうがいいですよ、安倍首相。ほんとうの美しい国は人々の心の中で燃えている火のことなのだ。