巻廿三 天平宝字五年(七六一)五月
丙午 使散位外從五位下物部山背。正六位下曰佐若麻呂。行視畿内陂池堰堤溝洫之所宜。
巻の廿三
天平宝字五年(761年)五月廿三日 丙午(ひのえうま)
散位外從五位下の物部山背(もののべのやましろ)、正六位下の曰佐若麻呂(おさのわかまろ)を使して
畿内の陂池(いけ)・堰堤(つつみ)・溝洫(うなで)の(それに)宜しき所を行視せしむ。
少し訓読の妥当性に不安があるが、意味は読み取れたように思う。
当時のトラフィックや農事のインフラの土木工事の適所を視察して選定することを二人が命じられ行くという記事だ。
記事の基になった史料は役所の発令の文書(その記録)である。まだこの日付の時点では二人は出動していないのである。
曰佐若麻呂は帰化人系の技術者かもしれない。すくなくとも二人の下に実務に詳しい技術職や事務職がいるのである。
それにしても、旧暦の五月末といえば今の暦で6・7月であるが適当な時季かどうか?
むしろ既設のものの点検と補修の要請を受けての発令ではないだろうかという気がする。
こういう記事の持つ意味の検討というのもひとつの研究のモチーフであるように感じた。
0 件のコメント:
コメントを投稿