大道直如髪 大道 直きこと髪の如く
春日佳氣多 春日 佳気多し
五陵貴公子 五陵の貴公子
雙雙嗚玉珂 双双 玉珂を鳴らす
洛陽道は都洛陽の大通り。真っ直ぐ長い髪のように伸びている。
春日(なぜか私の得たテキストでは春来とある)は佳気多し、とは
春の日のうららかであること、うきうきさせるものが多いこと。
ただ天気がいいというのではない。佳人を「よきひと」と読むのにおなじ。
五陵は場所。有閑の貴族子弟や遊侠の徒が集まる繁華な場所。
双双は擬音語。玉製の馬具『玉珂』が触れ合って立てる華麗な音である。
大道|直|如髪
春日|佳気|多
五陵|貴公|子 (貴|公子か…?)
双双|鳴|玉珂
詩経のなかに「綢直如髮」という表現がある。
絹糸と道ではずいぶん違うようにも思えるが、大道(ひろびろとした道)が長い髪をほどくように真っ直ぐ伸びているのだ。
大道は地、春日は天(時)、貴公子は人、そしてさんさんと鳴る玉の馬具は繁栄を象徴している。 どこか「祝祭性」の感じが漂う詩だ。
日常を切り取るかに見えて実は…多分に「越境」している。
こう解してよいのだろうと思う。
安史の乱が起こる前の太平楽然とした洛陽の風俗を抽象的に
ただ双双と鳴る玉珂に焦点を結んで切り取って見せた詩である。
その子二十櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな 与謝野晶子
「みだれ髪」 この歌でも具体的な対象は櫛と髪。
二十という時春という時が輝きと色と重さをもっている。
春と青春をともに掬い上げて残すところのない詩歌ふたつ。
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