2007年5月5日土曜日

ちょっとシンクロ…万葉ロマン

連休は何処へも行かず。 行きたい所が多すぎて、先に気疲れしてしまった (^^;)会期の長いのは返って行こうと思っているころに忙しくなったりするものな。ぜひとも行こうと思っているのは大阪中之島東洋陶磁美術館で「安宅コレクション」
それに天王寺のギメ東洋美術館浮世絵名品展、北斎の二幅一対の竜虎図が里帰りで揃って見られる…
個展や企画展の案内も…でもなぁ、身も心もちょっと重い…
あれやこれやが…いっぱい。そして街の人込みが…
「連休明けの平日の午前中の開館後三時間」を
ねらって行くことにするかな…。

ぼくにとっては名品の前に立てることは常に試練、面接試験。
そして何時も落第、追試、再試験…。
人込みで押し流されながらでは、合格には行き着けませんな。

ちょっと嬉しいこともすこし。

昨日、村から下りていって南加茂台団地の一軒だけの書店に買い物のついでに立ち寄ったら、隅の棚で「おいでおいで」しているような本があった。目の隅にひっかかりがあったのだ。

「--万葉集に詠まれた--南山城の古代景観」乾幸次

あれれ、こんな店に(失礼)硬い本があるなぁ…
奥付でみるに地元の井出町の方で、立命館史学の流れのようだ。
藤岡謙二郎先生などの弟子筋にあたるのだな。

藤岡氏の著書は接したことがある。
「聖徳太子の旁示石」という論文が面白かった。脚で書くタイプの方だ。
宮本常一先生タイプだが、史料批判も確りしたアカデミシャンでもあった。

その弟子だからとの期待は、違わず、良い本だ…嬉し。
ぼくの座右の一冊に加わるだろう。

この本は地元の古代の問題集みたいなものだもの。読み応えあり。
地名や古道が大好きなものだから、目次に心躍る項目が並んでる。



妻を亡くして打ちのめされていた日々、
夜更けに眠れずに紐解いていたのは万葉集だった。

作家の五木寛之さんが言うように、悲哀しいときは悲哀しい歌や文に触れるのが良い、というのは真実だった。
断腸の想いの最中にも悲しい歌や恋の歌は、
ぼくを支えてくれ揺さぶり励まし続けてくれた。

そんな万葉集の中で、毎夜ぼくが開いた挽歌があった。
絶唱がぼくを貫いて行く度に、納得も諦観もまだなくても、
ある確かさが戻ってくるのを、ぼくは感じていた。
「相楽山」(さがらかのやま)に若妻を葬った男の歌。
死せし妻をかなしびて高橋朝臣が作る歌1首併せて短歌。



白栲の袖差し交へて靡びき寝し 
我が黒髪の真白髪になりなむ極み 
新らた世に共にあらむと 玉の緒の絶えじい妹と結びてし、ことは果たさず、思へりし心は遂げず、 白栲の袂を別れ にきびにし家ゆも出でて、みどり子の泣くをも置きて 朝霧のおほになりつつ
山代の相楽山の山の際(ま)に行きすぎぬれば 言はむすべ、せむすべ知らに、我妹子とさ寝し妻屋に朝(あした)には 出で立ち偲ひ夕には入りゐ嘆かひ 脇ばさむ子の泣くごとに、男じもの、負ひみ抱きみ 朝鳥の哭(ね)のみを泣きつ、恋ふれども験(しるし)を無みと、言問はぬものにはあれど 我妹子が入りにし山をよすかとぞ思ふ


白たえの袖さし交え寝た わが妻
黒髪が白髪になるまで いつまでも
初々しい気持ちでいようと誓い合った わが妻
神の結びたもうた縁をふりきって
愛しい妻は誓いをはたさず白たえの袖口をふりほどいて
和やかに暮らしていた家を去って 泣くみどり子も置いて
朝霧のなかへ おぼろげになって 山背(やましろ)の 相楽山(さがらかやま)の山際(やまのま)へ 隠れてしまった
何と言って よいやら
何をしてよいやら すべも知らず
わが妻と 睦み寝た妻屋にいて 朝には 門に立って偲び
夕べには 部屋に籠もって嘆き 脇に抱えた 子の泣くごとに
男なれど 背に負い抱き 朝鳥が とどみ啼くように
ちぢに哭きつつ 妻を恋い焦がれるも かい(効)もなく
ものも言ってくれない 山ではあるが
わが妻の霊が 隠れ籠もった山を
せめてもの 形見として 懐かしがるばかり
わが妻なる やましろの相楽山(さがらかやま)よ
ああ こもり隠れし わが妻よ


「朝影に我が身はなりぬ、玉かぎるほのかに見えて去にし子ゆゑに」

 朝の地面に長く延びる影のように私はやせ細ってしまった、
 澄んだ玉飾りが光るよう瞬く間に逝ってしまったきみだったから

乾先生は地元の史料を使って調べていき、
「相楽山」が小さな丘のような山で、場所はここと、
ほぼ特定できた様子だ。そうなのか。
古街道に沿う小さな小山があの若妻の墓所だったんだ。

長い時間が過ぎ去り
この歌の歌われた木津川のほとりを、
今では悲しみを忘れたぼくが、
奈良コープへの買出しの行き帰りに通っているのだ…

千年の時を超えて歌が残ったので、
その悲哀しい歌がぼくを支えてくれた。、
はるかに遠い時間を隔て、高橋朝臣の嘆きは、
今も激しく響いているが、
今はそれを「哀れ」と思うぼくがいる。
万物は流転し心も移ろう、芸術は永遠を湛えていても。


昨夜、万葉集の中の挽歌で一番身近なものはやはり…
相聞で一番好きなのは…
と、別のところでチャットしていたので、

なんというシンクロだ、と不思議感を満喫。

家持くんがぼくを呼んでいるのかな、
濁り酒注いでくれたら、行くけど (^^;)~♪

  団地のロータリの真ん中に花壇。
  ひとつの音符みたいにポピー咲いてました。




          

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