2007年3月29日木曜日

朝霧の中をでかけた

2007.03.28 23:20








朝7時、辺りは深い霧に包まれて濡れていた。

自分だけが浮遊して白い空間を流されている気分。

鴬がさかんに鳴いて、まるで桃源郷への細路を辿る

樵のような陶然とした心地だ。




今朝は母の通院の日。マイカー出勤の車の群れに遭遇。

遅刻しそうであせり、桃源郷の気分もどこへやら。


                

    「これ何?」

    「前に作ったんよ、帯の古きれやったかな…」
    「桜のころやからな…」

           

    「これもかいな… イソギンチャク見たいやけど…(笑)」

    「…」「決め込み人形習う前にな、習うていたんや」

    母は多くの趣味をチョットだけ齧るのだ。

    深入りしない。ただ踊りだけは続いている。
    よほど好きなんだろうな。
    八十過ぎて藤娘やったんだったものな…(汗)

    その昔からの元気さが戻ってきたようでうれしい。
    検査値もみな正常値だ。範囲内に収まった。
    脚が腫れ気味だが腎臓は正常に機能してる。
    クレアチニンが普通値だ。有り難いことだ。
    (頭髪も少し伸びて本人はとっても嬉しいのだ)

           

    母を残して八尾へ走った。
    朝の霧の光景を思い出して、帰宅の路は
    久しぶりに生駒山を越えることにしようときめた。
    道から桜やエニシダやゆきやなぎが見られるだろう。
    お目当ては、辛夷と白木蓮だ。

           

     


    思い通りいっぱい花が見られた。
    母のこと、花咲く山道。光は輝かなくても
    偏在するものだ。今日は身の内が感謝と言う光に
    充たされた一日だった。






























































 
    ありがとう、ありがとう。
    そう黙語しながら走り続けた。


       

花の写真をスライドに。  Slideというサイト。




        








2007年3月28日水曜日

MySpaceのミュージックVIDEOを貼り付けてみる


tamurapan:「お前ぶただな〜送らぬ手紙〜」PV





何もかも一人でやっているらしい、
田村さんという
シンガーソングライターのこれから出るアルバムの
収録されている歌だそうです。
ちょっと 気に入りました。
MySpaceでの最初の私のFriendになりました。
ありがとう。

HP:http://www12.plala.or.jp/vitality/tamurapan/

回転木馬



最良の半分…か

2007.03.28 01:13

 出あったのは、最初は1963年か… 途方もない時間だな。
 
 いまではそこはもう、霞んで青みがかった空気の中に沈んでいる。

          

 同じ学校に学ぶことになった同学年。

 同じ大阪から来ていたこと。

 それだけのことだった。まさか十数年後に、共に暮らすとは。

 ……

 それが今では、…なんだろう?

 背中みたいなものだ。 良く見えないのに、リアルに存在して

 普段は意識などしないが、痒かったりすると、俄然意識する。

 まぁそんな存在。

 それを世間では、ベターハーフ、最良の半分、 なんて云う。



 背中のない腹、 なんて無いから、 まことに真理。

 皴のより始めた腹にしてみれば、

 なぁ、背中よ、背の君よ。長旅もあと少し。

 今しばらくは、我慢しあって行こうよ。

 前方の穴だか出口だか解らぬものに行き着くまでは

 お互い倒れぬよう支えあうより仕方あるまい。



 なぁ背の君よ。人生と言う惨劇への
 
 怖れも哀しみも もう

 やっと尽きてしまったようだね。


 

2007年3月27日火曜日

韓流ブームの基盤-珍説を一つ

2006.11.06 23:22
キムチ鍋の季節がやってきた。鍋物は好きな人も多い。なにより昔から鍋物は「鍋を囲む」という言い方に現れているように、団欒のイメージだからだ。一人で夕餉に鍋物をこしらえても、立ち昇る湯気の向こうに、人はそこにいない親しい人を、面影に見ている…そんな風に思える。
 秋冬の夕餉の定番。キムチ鍋は辛いけれど美味いし体はぽかぽかするし、一時流行にまでなり、いまでは日本の鍋物の一つとして定着している。


在日コリアンの多い大阪、しかも鶴橋に近い土地で育ったぼくには深い感慨がある。貧困と差別にまみれながらも元気に育っていった幼い友らは、近づくとキムチの匂いがしたのだ。
 それがまた差別の種でもあったから、キムチ鍋が日本人のポピュラーな鍋料理の地位をもつ日など想像を絶することであった。

今日本人の消費する漬け物でキムチが一番多いと言う事実はぼくを驚かせる。多くの人も「え、そうなの」と思うに違いない。キムチがここまで日本人の味覚に馴染むようになったのはなぜだろうか。

高校生の頃、自宅へ仲良しだった在日の友人からもらったキムチを持って帰り、夕食に食べると「もう、匂いきついよ」と家族に言われ、翌朝冷蔵庫を開けると消えている。暫くしてまた貰う。美味しかった、と言ったからだ。(実際、キムチの古漬けは家庭の味が染みた絶品)冷蔵庫の品に匂いが移るから駄目、と入れて貰えなかった。関西人はもともと納豆でもくさいからと食べない人が多い。
それなのに、漬け物消費のトップがキムチとは。

ぼくは日本人の肉消費がキムチ普及の原動力と思う。
もともと騎馬民族系統の文化がある朝鮮半島だ。焼き肉にキムチが合うのは自然だ。焼き肉の味を覚えるとき一緒にキムチの味にも馴染んでいったのだろう。すぐき等の漬け物をもち熟れ寿司ももつ国民がキムチを美味いと感じるのは自然だ。こうしてキムチは今では大量消費されているし、体に良いという知識もあいまって人気は衰えない。

突然巻き起こったかのような韓流ブームも、根っこはキムチ・焼き肉・韓国料理に接して親しんだ基盤が出来ていたから、というのは穿ちすぎであろうか。

韓流ブームは去るかも知れない。でも韓国文化への関心は消えることはないだろう、というのがぼくの観測だ。
同じ釜のメシを喰った仲というレベルでの珍説ではあるが。

いまの若い世代が感性のレベルでぼくらをとっくに越えて進んでいるのを感じるとき鼓舞され感情が高ぶってくる。

仕事場のある八尾市にキムチ屋さんがあって、夏場は水キムチ(ムルキムチという)が並ぶ日がある。日保ちがしないので毎日は置いていない。あれば買ってきて水キムチ味の韓国風冷麺を作り楽しむ。
暑気払いには最高の涼しい味だ。そんなときは、食べながら幼い友を想い出す。オモニの手作りキムチを運んでくれた友は今どうしているかと。


--今夜も宵から寝言、Zzzz…

ふと思った3年B組

2006.11.06 15:34
夢たがえに…













  ほとけはつねに ゐませども
  うつつならぬぞ あわれなる

  ひとのおとせぬ あけがたに
  ほのかに いめ(夢)に みえたまふ

                 梁塵秘抄

 

なんだか唐突に、思った。
SNSって誰かが何か言うと
必ず誰かが返してくれる。

この感じ、どこかで体験したような。
デジャビュかな。

あ、金パチ先生…。3年B組。
ドラマの好き嫌いはべつにして、
感じ似ていないかな。
自分の小学生時代、4,5年生のころも、そうだったな。

いじめが無かった訳じゃないけれど、
みんな率直にものが言えて。

こんなこと不意に思いつくのも、

夜明けに見た、ひとり悩んでる重苦しい夢のせいかな。

明日の夢はいい夢見せておくれ。

晩秋は草の実が熟れて

2006.11.06 12:38














晩秋はさまざまに草の実が熟れて面白い。
大半は名も知らぬ草たち。
 (でも食べられるのは知っていたり…)

この写真は、知らない草の実で、
緑色からだんだんこんな透明感のある白に変わってくる。

蔓性の草で、絡まっていたのを払ったとき
実に気付いて採っておいた。
葉はかれてどんな形だったか忘れてしまった。

スグリににた透明感が好きだ。

これからどう変化するのだろう。
縮んで茶色く変色していくのか。
このままで乾燥して縮むのかな。

図鑑がどこかへ紛れてしまったのが、
こんな時はもどかしいな。
いったい何という名の草なんだろう。

暫く小さなガラス瓶に容れて様子見がてら
透明な実の肌艶を楽しませてもらおう

人間五十年…

2006.11.05 21:08








『人間五十年、下天の内をくらぶれば夢幻のごとくなり』
信長が好んだ一節。
下天は、仏教の宇宙観で、天界の1つ。
その1日が人間界のちょうど50年にあたる。
人の一生の50年も、下天の1日でしかない。

夢幻というほかない…


とても有名な歌で信長を映像化する時に、
信長が舞いながら歌うシーンがよくある。

多くの人は信長が舞い歌ったのは

「謡曲」で( 猿楽 )なんだと思っていますが、

実は幸若(こうわか)といいます。

彼が舞い歌っていたのは幸若だったはずです。

幸若舞は猿楽舞とほぼ同時期の流れですが、
少し古いようです。
その前は曲舞(くせまい)とよばれておりました。

白拍子、声聞師の歌の流れです。

その曲舞が幸若舞になったのは
若狭であったようで、

若狭方面で盛んでしたから、
織田家のルーツと重なります。

案外そういう背景で
信長は幸若を、そしてこの「下天の内を比ぶれば」の歌を、
愛好したのかもしれませんね。

織田家のルーツ

幸若舞とは

今晩のおかず

2006.11.04 19:47

今夜はカレーにした。
老人所帯なので野菜主体のおかずが多い。
写真は止めておこう、たかがカレーされどカレーなのだ。

初めの晩は黒酢も入れたが普通のダシで味付けした煮野菜のスープ風。
具はこんにゃく、厚揚げ、ゴボウ、白ネギ、など。

二日目はそれにキムチを入れてキムチ鍋風。炒めたタマネギやニンニクの芽など入れて。

それで三日目にカレールーでカレーに変わることに。キムチの辛さがベースでかなり辛いカレーになった。

ああ、なんて貧しい食生活って?いいえ、これでも十分美味しく食べている。野菜の旨味がたっぷり染み出たカレーは野菜大好きなぼくに「予想外」の満足を与えてくれた。

それにお昼は自宅の柿の実をたくさん食べて過ごしたので、ご飯とカレーがちょうど良かったのだ。

明日は何か魚を買ってこようかな。

TVで水谷修先生のインタビュー見ました

2006.11.04 10:53

NHKのETV特集の再放送で「夜回り先生」の水谷修さんのインタビューをまたみました。

見るたびに自分の中の何かが壊れ涙がにじんでくる。
その何かはきっと自分の中に澱のように溜まって固まっている
邪悪なあれこれだろう。
いらないものなのに取って置いている我欲なんだろう。

辛い苦しい道を歩いている人が画面の向うで
子供に癒やされ救われてもいると自分を語る。
自分を、申し訳ない自分が悪かった、と考える先生の思考は、
真っ当な思考だと感じてしまう。
なら他の大人のひとり、ぼくはどうなんだ。

子供の声には、特別の力がある。
幾日も幾年もたっても耳の底から蘇り
身体を揺さぶり心を開かせる力がある。

そんなこどものいのちの輝きを今ほど食い物にしている時代はない。

先生はいま体調を崩して子供達のメールや電話にも出られない状況だそうだ。心配でならない。

ぼくに出来ることは少ない。でも祈ることは毎日出来る。それがなんの効果もないとしても、彼の歩いていく道が消えてしまわないようにと祈る気持ちがそれをさせる。

日本という国は昔から最近まで幼い子らの歓声が聞こえてくる村や町の暮らしが日々変わらない風景だった。ぼくら大人はいまそれを壊してしまっている。おとなの都合を押しつけて。

なぜ子どもたちはリストカットするの、水谷先生は言う「大人がわるい」攻撃的な社会になってる。職場で「なにやってんだ」と攻撃的関係に囲まれ、家でそれを「妻に向ける」それが子どもに向けられるんです。と。おとながわるい。

ちまたに響く子供の声を聞きながら家路をとることの出来た戦後暫くの日本の社会、まだまともだったのかも知れない。

うないらが すさみに鳴らす 草笛の声に驚く 夏の昼伏し 西行法師



憲法をなぜ変えるのだろう。
なぜ教育基本法を変えるのだろう。
読んでみてもなにも足らないものがない。
実行しなかっただけじゃないのだろうか?
また何かあると国旗と国歌が充満する
軍靴が行進し旗が振られる国に
戻るのだろうか?
普通の国=美しい日本にこどもの声が
歓声が響いているのだろうか?