2008年1月13日日曜日

伝説の綯い混ざる 『コマンダンテ チェ・ゲバラ』

アルゼンチン生まれのチェ・ゲバラはキューバ革命に参加し司令官(コマンダンテ)と呼ばれるようになった。彼はボリビアで部隊を率いてゲリラ活動中CIA に指揮された政府軍に捕らわれ裁判の機会も与えられず撃ち殺された。ボリビアの「虐げられた民衆の利益のために」闘った彼だが、実は十分な支持を得られなかったためゲリラの基本、「民衆に匿われ守られながら彼らとともに闘う」原則が守れなかった。そのため追い詰められた結果の捕縛と銃殺という悲劇になった。
Youtubeで見つけたひとつの動画はこの事件をバックにチリの(これもピノチェット将軍のクーデターで虐殺されてしまったミュージシャン)ビクトル・ハラ作の歌が流れるもの。最後の シーンに民衆が立ち上がっていく姿を映像にしているが、これは願望が伝説を生み出していく一例だ。
         
伝説化された映像の中でチェ・ゲバラは不死鳥になり永遠化される。

 しかし、それから20年以上たった現在。動画は未来を予見していたことが分かる。

 孤立して敗北した英雄は時間を経て民衆の中に帰ってくる。
 民衆自身が立ち上がり世界を変えようとする時、回想の中に帰ってくるのだ。


         
 あれほど農民から孤立してしまったゲバラだったが
 いまや先住民も含めて国民的な広がりで運動が起こってきた。

 いまや先住民は沈黙の隷従者ではない。
 帽子を冠った先住民たちが国の政治を動かしている。
 モラレス大統領は南米初の先住民出身の大統領なのである。


 彼の後ろにはゲバラの顔が浮かんでいる。
 彼を支持する人々の中にはチェ・ゲバラの像を掲げる者もいるからだ。

         

 見たまえ、デモ隊の先頭にゲバラがいる。
 彼の顔が幕に描かれている。
 彼は彼が身をささげた人々の中へ帰ってきたのだ。


 揺れ動く中南米。
 マスコミは希望的観測でベネズエラやボリビアの政権は
 ポピュリズムの失敗として終わるだろうと論じている。
 果たしてそうか。

 南米諸国民が国境を越えて見せているかって無い団結の姿を
 軽く見るようでは 政治的感覚は鈍いと言わなくてはなるまい。

 未来は常に明るいとは言えない。
 しかし明るい未来は常に民衆の参加で作られる。
 それを信じるか信じたくないかの違いなのだ。

 
 『コマンダンテ チェ・ゲバーラ』の歌の一節を口ずさんでいた
 亡き友の若々しい声が耳の底によみがえってくる、老いたぼくの耳に。

 ビクトル・ハラの詩と文章をスペイン語辞書を片手に
 とつこつと読んでいた横顔も浮かんでくる、しろい項も。

 なんだか今年あたりは
 フィデル・カストロがその生涯を閉じる予感がする。

 だがモラレスやチャベスたちは生きていく、民衆とともに。
 多くの間違いや失敗をしながら。
 そのツケを自ら支払いながら、ひとは生きる、民衆も。

 「時代は心を変える」と友が歌っていた、キューバの歌を。
 希望を持てる心へと変えるのだと。時よ進め、時よ移れ。

 時間だけは長く経った。
 ぼくはまだいる、ここに。
 そして
 希望は、まだここに、 ある。確かに ある。

 《ぼくはゲバラ崇拝者ではない。
 ただ中南米の人々にとって過去ではないことに注意したいのだ。》
 
 

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