2008年1月3日木曜日

初夢の代わりに…


 カーボン・チャンスの時代。
 金儲けのチャンスではなく、
 新しい経済社会、新しい科学技術系、
 人類史的統合の時代を拓くチャンスの時代。

 日本を除くアジアと言われ始めている今。
 孤立しないでアジアの不可欠の構成部分であり続ける
 そういう日本であってほしい。

 戦前や戦時ではなく戦後史を生きてきた自分の
 身の回りからアジアを眺められないか…振り返ってみたい。
 今年はそういう探索も課題にしよう。

 小学校でも、中学校でも、高校でも
 大阪育ちのYohの周囲にはいつも外国籍の友達がいた。
 ほとんどが韓国籍・朝鮮籍の在日コリアンたち。
 中学校の同級生には明治初期の長崎への来日からという
 滞在暦をもつ中国人の家庭の子がいた。

 高校でも同級に中国人、朝鮮人がいた。
 みんな日本語で生活していたから
 外国人と意識することはまれだったし、
 どこかでそれをよしとする空気があった。

 そして知り合ったりして一応どちらからも
 友人と思っている外国人はそのあとにもいる。

 ベトナム人のグエン君とナン君。
 バングラデシュ出身のカーン君。
 フィリピン出身のペピート君とジェーシィさん。

 アジアではないがカナダ人のニール君や
 最近知り合ったフランス在住のチリ人画家。

 案外多いですね。知らない間に増えている友人たち。
 ベトナムやバングラデシュの友人は留学生出身の在日外国人だから
 日本語は達者でナン君などは日本の詩をすらすら読んで
 Yohの書いた詩を的確に批評してくれたこともあった。

 カナダ人やチリ人となると言葉の壁があるので
 どちらも怪しい日本語と怪しい英語での会話になるが。
 でもなんとか気心が通じる。
 大工のニール君とは日本建築の話題で、
 チリ人の画家とは彼の作品の話題で、共有できるものがある。

 思うのだけれど、彼らといるとき
 ぼくも相手も同じものを媒介にして向き合っている。
 「いま」と「ここ」と「何か」をシェアしている。
 
 そのシェアできる関係こそが大事なぼくの財産だし
 中身が変わっても変わらないで居れる関係かどうかだ。

 僕が例えばベトナムへ旅に出るとしても
 彼らに便宜を図ってもらおうとは思わない。
 いまでは企業や国家にしっかりしたポストをもつが
 かつての友情はそれとは無関係だから。
 旅の終わりに電話してお茶など一緒に飲めたらいいなとは思う。

 遠くなった日々は美しいもの、
 その美をそのままにそっと置きたいものだ。
 きっとナン君は今もベトナムの五言絶句みたいな
 彼らしいやさしい気持ちの詩を書いているだろう。
 変わるはずはない。それでいいのだ。

 彼らとは 
 ベトナム戦争がなかったら知り合う機会は無かったろう。

 こう見てみると僕も
 民際交流 (民と民の直接交流による友好を
 ある老エスペランティストはこう名づけた)を重ねてきている。

 国益や利権に関わらない民際交流でアジアをひとつに結ぶ。
 EUのような一体化は直ぐには無理だから、
 経済や文化での交流と互恵(互恵という言葉のほうが好きだ
 win-win関係などという言葉よりも)の「恵み」が紡ぐ信頼関係の
 長い織物を織り続けて、アジアが長期の繁栄の時代に入っていく。
 そういう夢の揺り籠を揺する時代がきている。

 僕はもうその先頭を走れる能力はないが
 何かできないか。そう思って考えながら歩いてみたい。
 一箇所でいい、今年はどこかアジアの街角に佇んでみたいです。

 フエかそれともネグロス島の田舎町か。
 サンダカン。あるいは中国のどこかの下町に。
 
 
 

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