2008年1月21日月曜日

報告、ドキドキ・ワクワクの月曜日



月曜日。今日は『読む会』の日でした。
一応、(一応でしかないのが心許ないが)
予習と疑問点のメモを作って臨みました。

最近は月曜日が近づくと「どきどき」「わくわく」して落ち着かなくなります。
当日はもっとそうなります。

毎回が、「ふ~ん、学問ってそういうことなんか~」体験の、

連続連打。

だから1クール2時間で2回を一度にやるのですが、終わると完全にぐったり、
放心状態です。

日本書紀や続日本紀のテキストを読むのですが
読み3分解説7分といった感じです。
解説も本文の解説よりは関連事項や関係論文や学会裏話(面白い)など漫談的な進行で迷走かと思うくらい。

でもでも、笑っているうちに回らない頭が知らぬうちにクルクル回転しているのですね。終わると頭は爆発しそうに。

だいたいYohはもと美術系青年でそれも泥まみれコースでしたから、机に2時間座って講義を聴くなんてことが慣れていない。

最初は面食らうだけでした。
脈絡も無く並んでいるように見える続日本紀の記事を現代訳で読んでみても誰が正五位下に任じられたとか、日食があったとか、宴をしたとかが頭を通り過ぎるだけなのでした。

ところが…先生の漫談の向こうに読み方のヒントが見えてくるのです。

そのことが、ど~んと胸に応え、感動してしまいました。

歴史の資料として書紀や続紀を読むということはどういうことか、それを笑い話にしながら話してくださっているのです。

例えば郡というのは国―郡―里という制度の単位ですが古くは評と書いてコオリ(コフリ)と読んでいたがいつか郡に変わったらしいとされていた。それについては郡評論争という討論が一時あって、最後に京都大の岸教授が木簡の変遷から論証して大宝律令以後郡と表記されるようになったことが確定したという。

学会の裏話なども入っての経過説明を聞くだけで、歴史的事実の究明は忍耐と創意が要る手続き厳密な過程なのだと分かってくる。

目からうろこが何枚も何枚も落ちていくのでした。
そうだったのか、の連続。

嬉しかったのは予習して気がついた事柄を先生が解説で触れられ、自分の解釈が間違っていないことが分かったこと。

欽明天皇の即位前紀の天皇幼時の夢の条の性質が「説話」風の「語りもの」の形式に近いなと思っていたら、実際そういう解釈を先生も話された。

会社で言えば「総務」に当たるような「治部省」に出された秦氏の上申書のような文書に記されていた先祖の由緒語りを続紀の編者が採用して記事としたのだろう、と説明されていた。

書紀や続紀の内容がどこから得られた資料なのかを示唆されている訳だ。
これはどうも先生のライフワークの一部のようだ。
学位論文の中味に繋がっているらしい。
いつかじっくり聞いてみたい内容だ。

文字の話も面白く刺激的だった。

欽明天皇という呼び名は漢風諡号といって平安初期に淡海三船によって作られたらしい。日本書紀の記述には無かったもので、今漢風諡号も書いてあるのは後世に入れられたものだ。
アメクニオシハラキヒロニハというのが和風諡号だ。

これを元興寺の露盤銘にある記事ではアマクニ云々と記されているが、その字はマを末としてある。
ところがこれはアメ云々とあった元来の表記はメを米という字で記していたが、書かれた字がすこし崩して書かれていたので、書写するとき誤って末字と読んだらしい。それでメ(米)がマ(末)となってしまったと。

米と末は活字で見ると印象がかけ離れたものだが、行書体を崩して書く人の書体で見ると実に良く似ている。
このような例は他にもあると、別の例も示された。

また胸がドキドキしてきた。
じつはYohは古事記を愛読していた時期があり、そのときに同じような気づきをして、年来の疑問として持ち続けているのだ。

紀記の天皇系譜については歴史家は実在性の強い主な系譜に注意を集中するので、Yohが気づいた点については読んだことが無い。

専門家に聞くには論拠が弱い思いつきかと感じていたが、今日のこの話はそれと同じじゃないか!

Yohの気づいたのは系譜じゃなくて、系譜に紛れ込んでいるが実際は神話の断片じゃないかというものだが、
その論拠が漢字の表記の書写の間違い(似た字を取り違えた)からだと想定したのだった。

このドキドキはまだ続いている。
先生に聞いてみようか、どうか。

欽明紀の即位前紀の形式上の破綻も注意したいところと思っている。
こんなところにも二王朝並立とか内乱とか言われるこの時代の解らなさが顔をだしている気がするからだ。

即位のとき「年若干」だった、ということは、一体何歳だったのか。
先行する秦氏の条の「幼時」という表記と手白香皇后との譲り合いの「未ダ政治ヲ閑(なら)ハ」ないのは幼いからという件と併せて読めば、やはり手白香皇后が称制ないし即位していたと見たほうが良いように思える。

本当に知りたいことにたどり着くためには長い修練と洞察の年月が必要なのだろうな。

Yohにその時間が与えられるか、どうか。
そうだ。手段として、戦術として、「長生き」を自分の課題とするか、自信ないけど。

ま、がんばろう。
 
 

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