2010年3月16日火曜日

日本書紀と續日本紀を読む会を今日は欠席

月間の通信(発送時に同荷する)の作成が遅れていてそっち優先で今日は講座は欠席。
相変わらずひざは時々痛む。
資料を読んでいて風邪が引き金となって鬱を発症する率が意外と高いことに気づく。
こういう点に注意を払ってこなかったな。
免疫反応のひとつとしての鬱の発症。
自分の場合も少し身に覚えがあるような気がする。
もう少し資料を集めて読んでみたい。

調べる必要のある事項のメモ

駭機とは何か: 弩牙とあるがそれ以外に「トラバサミ」などの罠ではないか?
踏むという語との並存の例の解釈と説明として可能かどうか。

七夕: 七夕は七夜つまり第七夜えお意味するが、七夕詩というジャンルのもつ性格を知りたい。
隋唐の七夕詩宴と奈良-平安期の七夕詩宴の対照。

相撲(武)と詩宴(文)の七夕セット。何故場所を変えて行うのか。
詩宴は水辺(池)か曲水の宴だからか。

万葉集に120首以上も七夕の歌があることの意味。外来の「乞功てん」と和歌。

2010年3月8日月曜日

ぼろぼろになりながら 亦看る 梅花

 蝋梅の花が終わり続いて梅が咲いて…「お水取り」

 今日の古代史講座のお仲間のひとりは写真機をもって来たと帰りに言っていた。
 みななかなかに熱心に続けている対象があるようだ。

 もう一人のひとは桜を見ることを続けているそうで自費出版の写真集をくださった。

 ぼくは写真はいまいち上達しない。

 いつも「ちょっとピンボケ」だし、手ブレも多い。

でもたまに優しげな表情の子供たちやそっけなくしている野良猫の様子などが撮れると嬉しいので止められない。

最近はどこか具合の悪いことが多いのでカメラをもって出る癖が消えつつある。
ひざが痛いとか腰が痛いとかするとわずかな重さをわずらわしく負担に思う。困ったものだ。

外国へ移住の決まった親戚のちびさんたちを写真に収めておきたいので元気を出して撮りに行こう。
そう思ってカメラの電池を充電器に入れた。

2009年8月15日土曜日

サルナシ




サルナシのことを気にかけてからずいぶんな歳月になる。芹生(せりょう)という山里に暮していたときサルナシという実を知ったのだが、それが中国原産でニュージーランドで改良されたおなじみのキウィと同じ種のものだといったことではない。なぜこれをサルナシというのか?という疑問なのだ。それは説経節(平凡社東洋文庫)の中でサルナシのことを解説してあって「アイヌ語でサルナシをクチという」と書かれたあったことが発端だった。その真偽は確かめられずにいた。そのころはインターネットで検索エンジンであたるなんてできなかった。だから次のような疑問は疑問のまま残った。
「サルナシのことを別にコクワとも言う。シラクチヅルとも言う。このシラクチヅルはシラクチ+ヅルで、ヅルはヤマブドウをエビヅルと言うように弦性のもの(カヅラ)のことだ。そうするとシラクチ=サルナシということだろう。猿梨がシラクチなら、そしてアイヌ語でもクチが同じものを指すのなら、シラ=猿(サル)なのか?」というものであった

ここでマシラ=猿という辞書の知識が対照される。普通はマシ+ラと語源的分解がなされている。実際マシという用例もあるので、疑われたことはないようだ。だが、マ+シラがマシラになり、後に民間語源説(フォルクエティモロギー)でマシ+ラに再分解されたことも考えられる。シラが猿(サル)ではという疑念はタヅ対ツルの関係に似たものを想像させる。タヅとツルは同源の言葉が異なる変化を被ったあと再び同一の言語環境に並存する運命をたどったのではないか。そしてそれよりは弱い並存としてサル対シラが考えられないか?というのが自分の考えなのだった。

最近サルナシで検索を掛けたらサルナシはアイヌ語でマタタビのことを言うとでてきて、あれ、と思った。

サルナシもマタタビ科であれば、いつぞやのクチ=サルナシ説と平行するとも思える。
アイヌ文化のなかでサルナシをクチというのかサルナシというのか、ホントのことを知りたい。

ただそれとは独立に今昔物語にある「所謂岩見重太郎の狒狒退治譚の原型」である備中中山神社にかかわる説話で猿神の名がシロウゴロウ(だったと思ういま手元に原文がないが、シロウの部分は確かだと思う)という。ゴロウは色々に書かれるのだが御霊をゴリョウと読んだことからきている。これは豊富な実例がある。シロウの部分だが、自分はシラゴリョウないしシラゴロウが後半にひかれてシラからシロウに変化したのではと感じる。

もうひとつ例を挙げると猿の架けた橋という伝説があるが、その伝説の人物は名をやはりシラコと言ったとある。いま出典を思い出せないが。昔話集成のようなのに出ていたのだが。その人物は百済の国からきたことになっている。つまり異人である。ここでは猿と異人とは二つながらに一つの意味を担っている。シロないしシラという神秘なものと猿というもう身近なものの同一性を。
動物の種としての猿を完全にシラと一体に見る事ができるか、疑問だが、シラヤマとかオシラサマとかも関連するかもしれないと思う。マシではなくシラが山中の霊獣=神霊を呼ぶ語であったかと思ったりしているのだ。
キウィの仲間が語りかける原初の列島文化の化石…。

2009年7月22日水曜日

石見銀山遺跡への旅 

三月の旅でした。
古い友人たちとともに山陰の谷間へ
日本史だけでなく世界の近世に大きな影響をもたらした銀山
石見銀山遺跡を訪れました。

早春の花と接待に篤い心根に出会った旅でした。

もう一度訪ねたいとの思いが残っています。

タイトルか下の画像をクリックするとスライドへジャンプします。

2009年1月27日火曜日

熱海から熱海桜の開花頼り。春立ちぬ…

我が村の梅の枝が花を開いてくれるのは何時だろう。
早朝の道で薄闇の中のしろいひと群れから香ってくるとき
胸が熱くなる。
夜も香る梅花の気高さ。
どんな孤独の内に閉ざされてもこの香りは
訪れてくれそう、
道真伝説もさもあらんと思う。


 ひとりごち夜更けの梅の薫りたつ   蛙逝 
 2004年02月27日(金)作

★小川蛙逝 おがわあせい★

筆者の句作などの雅号。小川は文人小川芋銭から蛙逝は俳人長谷川素逝に因んでつけた。いずれも幼少期の終わりに縁があった。文芸への愛着の芽生えに出逢った古人である。

自分や周りの物事が動くとき…

「いろんなことが少しずつ動き出してきたよう」
という実感を、たびたび感じられる時間。

皆さんもそういう経験があ りますか。
ぼくも同様の感じをもった時機がありました。

これは、『人生の開花』の指標じゃないかなと思ったりします。


 道元という人の正法眼蔵という本に『有時』という章があって、

 時間と人生(存在・人間存在・有)を語っていますが、

「有時に經歴の功あり。

 いはゆる今日より明日に經歴す、
 今日より昨日に經歴す、
 昨日より今日に經歴す。

 今日より今日に經歴す、
 明日より明日に經歴す。

 經歴はそれ時の功なるがゆゑに。」

 と言っています。

 難しいですが、

 時は一方方向に流れているように見えるが、
 人生は過去現在未来に分裂した物ではない、
 そう思える間は本当の人生になっていない、
 自分が本当に時間の主体になった幸せなときは、
 自分の一歩一歩が時間とともに開かれてゆくのだ、
 というように語っているように思います。

 今の実感が、未来を開いていく自分自体の力の充実を、
 示しているように思えています。

 自分の力で未来へと自分を開いていく、
 それをこそ真実の『自由』と呼ぶのではないか。

 『自由』へと生成する時間を生きる自らに祝福を!
   

2009年1月24日土曜日

ブログを再開

長く休んでしまっていたこのブログを
再開しよう。
参加しているSNSも偶にしか
訪れられていないが、
努めてキーボードに向かうことにする。
これは自分への促しとして書いておこう。

昨年末から自宅のPCやルーターの調子が悪く、手こずっていた。

こまめなデータバックアップをしないナマクラがたたり
不調のPCの大掃除がやっかいであっちこっちと手作業で
まだ調子が戻らない。フリーズに近いほど長く画面が止まる。

ルーターに至っては古い物だから仕方がないが
熱を持つと動作が変になる。しかし一番の原因は
ACアダプターが断線すれすれの状態だった。
繋がらなくなるのは電源落ちだったわけで、
別の電源に変えたらとたんに様子は良くなった。
これに気づくまでほぼ半月ぐずぐずした不調に
うっとうしい気分だった。気づいても己の不覚に
腹が立ち年齢相応以下の老化かと嫌になった。

年あけてから中国語を諦めるか継続か
ずいぶん考えたが
諦めが付かないので継続を決心。
せめて数百語くらいは覚えることを目指そう。
本当は会話より
易しいテキストを読めるようになりたい。
でもそのためにも会話からだ。

幸い耳には違和感があった中国語の音声が
最近は耳に衝かないようになった。
これだけでも進歩と思おう。
先の長いことだけど。

この一年漢文の読解力は進歩したと思う。
しかし文法知識などにかなり偏りがあるはずで
漢語語法を一度概括的に見直し
出来てないこと知らないことを補いたいと思う。
続日本紀は佳境に入った。
現在、奈良麻呂の変に差し掛かっている。
古代国家とは何かが見えてくるか?
自分の理解力が問われてくるのだが
講義中はついて行くので精一杯だ。
帰りはどっと疲れるが気分は悪くない。
自分が不調でも力をもらって帰れる。

今年一年ブログも書き続けられるよう
願っている。




2008年9月17日水曜日

京都の町を歩いてきました

 10日に京へ出かけました。
久しぶりに二人での遠出です。

植物園に開園時間ちょうどに着きましたが、駐車場のどこに止めるかでちょっと思案して時間を使いました。この日はよく晴れて、暑くなりそうだったので日陰になる場所を確保しました。

昼からの予定のうち一番楽しみなのは、画廊「ヒル・ゲート」の企画展。
それまで、まず植物園でゆっくり歩き、体をほぐすつもりです。
いま走れと言われたら、嫌だ。と言うでしょう。
この夏の消耗はまだどこかに残っている感じがある。
ゆっくりでいい。今日は散歩気分でうろつくのです。

温室の建物の中へ入っていく。(200円払う)














これは係りのひとが落ちたのを集めて水盤に入れて訪れた者に見てもらえるようにして通路の傍らに置いてあるものです。志が感じられる。これが此処の特質だ。気持ちが明るくなる。
ここはじっとりと汗ばんだけれど気持ちよく歩けた。

持ってきたカメラには通販で手に入れたばかりの中古品のマクロレンズを付けた。
杖代わりの一脚をネジ込んでカメラを固定し花を写してみた。
ぼくのよく震える腕も少しは固定されてくれたか、以前よりアップが上手く写せるみたいで嬉しくなった。














例によってGoogleのWebPicasaで
大きいサイズのスライドショウを見るには
URL: http://gataro.co.cc/shokubutuen.html を
クリックしてください。
















































































2008年8月6日水曜日

今日は8月6日 

1997年の8月の広島平和記念公園





去年の子供たちの平和宣言もあった。
8月だけではない内容だから
夏だけの思想にはしたくないものだが。






今日の広島2008平和記念式典のストリーミングもある。
時間帯限定で流れるらしい。
http://www.stickam.jp/profile/hiroshima2008
7:45~9:00の間がライブらしい。
保存された動画はいくつかに分割されているようだ。

2008年8月1日金曜日

思い出というには昏い記憶だけれど

もう三十年を越えてしまった
長い時間の向こうに君はいる
思いっきり童顔の娘顔のままで
こちらはあっという間に老いさらばえたが
君は相も変らぬくぐもった声で挨拶をよこすのか。
熱帯夜の続いたやり過ごしにくいこの季節に
どうしても君を呼び出してしまうぼくだ。

君の親友だった河野裕子に
どんなに冷たいまなざしで
ぼくは詰られたことか。

それは彼女にとって君が
友人以上の存在だったことを
示していたから、
返す言葉は何もなかったさ。

彼女の歌集を開くと
あのころの青春の色も形も
そこにある。

特にあのころ出したばかりの歌集
『森のように獣のやうに』には
君たちの匂いが立ち込めているみたいだ。
とりわけ次の作などに印象が深い。


逆立ちしておまへがおれを眺めてた
           たつた一度きりのあの夏のこと



真昼間のまばゆき闇の彼方より
            天打ち返し郭公鳴ける



いまだ暗き夏の真昼を耳閉ざし
            魚のごとくに漂ひゐたり



振り向けば喪ひしものばかりなり 
            茜おもたく空みたしゆく



横たはる獣のごとき地の熱に
            耳あててゐたり陽がおちるまで



あはれ常に鏡の裡よりのぞきゐる
            暗く澄みたるひとつの顔あり



森のやうに獣のやうにわれは生く
            群青の空耳研ぐばかり



命日を挟んで数日は
ぼくは眠れない夜を過ごすだろう
老いを自覚せざるを得ない身にも
夜明けまで
ただただ思うだけの時間もある
明けやすい季節だから
苦痛ではない
まして
かつて愛した者への問い…
いやいや、問うているのは
あちらなのだが


(次に置くのは 拙い詩だが 
 ぼくの夜の幻想みたいなものだ)




夢幻の球のなかで
      ―亡妻幻影―



どれほどの量で
愛していた
と言うのか

どんな仕方で
愛していた
と言うのか
君を

失ったあとでは
それは
もう不確かで
わらわらと崩れ
溶けてゆく
石鹸と同じ

悲しみより
大きい
喪失があり
道は
消えていた
そこから先には
君も
ぼくも
居ない
世界が見えた

八月の
大都市で
時間が
氷結した

愛なんぞ
最初っから
無かったんだ
ぼくは
幻覚から
覚めようと
自分を掻き毟り

不眠の赤錆を
ぼろぼろ
溢している
輪郭のない
影であった

後何分早く
着いていれば
救急車は
「間に合った」のか
何故あの時
あのことに
気付かなかったのか
とか思う

もしも もしも
ならば ならば ならば

自分を狙撃する
無数の弾丸に
自分から
身を投げても

流れない
夜の川が
果てしなく
夏の日々を
延びていただけ

あの八月

三十年過ぎても
今も
体の中に潜み
眠るぼくの夢を
囲み縁どる
夏の闇

輝きと
沈黙とは
いつでも
ふたつとも
君のもので

物食う音に
似た
ぼくの呻きと
乾き崩れた
悔恨の
歯ぎしりの
鉛色とは

紛れもなく
やはり
ぼくのものだ

いのちの季節
八月に
死と
永訣を
学んだ
ぼくと君とが

いまは
ひとつ
小さな球になり
転がって
映し出す
今夜の
このときの
沈黙と
輝く闇

深夜
やって来て
ぼくに
煙草を
吹きかけて
君が
笑うのだ

あのころの
童顔の残る
表情のままで

僕の背後で
ぱしゃりと
一匹の
アマゴが
跳ねた

君は口に
毟りとった
栢の実を
含んで
ふっ
と吐いた

夜明けまで
このまま

立ち昇るまま
煙のまま

球体のまま
ぼくらのままで

三十年の
隔たりのままで

来るはずのない
「二人の朝」まで

……