もう三十年を越えてしまった
長い時間の向こうに君はいる
思いっきり童顔の娘顔のままで
こちらはあっという間に老いさらばえたが
君は相も変らぬくぐもった声で挨拶をよこすのか。
熱帯夜の続いたやり過ごしにくいこの季節に
どうしても君を呼び出してしまうぼくだ。
君の親友だった河野裕子に
どんなに冷たいまなざしで
ぼくは詰られたことか。
それは彼女にとって君が
友人以上の存在だったことを
示していたから、
返す言葉は何もなかったさ。
彼女の歌集を開くと
あのころの青春の色も形も
そこにある。
特にあのころ出したばかりの歌集
『森のように獣のやうに』には
君たちの匂いが立ち込めているみたいだ。
とりわけ次の作などに印象が深い。
逆立ちしておまへがおれを眺めてた
たつた一度きりのあの夏のこと
真昼間のまばゆき闇の彼方より
天打ち返し郭公鳴ける
いまだ暗き夏の真昼を耳閉ざし
魚のごとくに漂ひゐたり
振り向けば喪ひしものばかりなり
茜おもたく空みたしゆく
横たはる獣のごとき地の熱に
耳あててゐたり陽がおちるまで
あはれ常に鏡の裡よりのぞきゐる
暗く澄みたるひとつの顔あり
森のやうに獣のやうにわれは生く
群青の空耳研ぐばかり
命日を挟んで数日は
ぼくは眠れない夜を過ごすだろう
老いを自覚せざるを得ない身にも
夜明けまで
ただただ思うだけの時間もある
明けやすい季節だから
苦痛ではない
まして
かつて愛した者への問い…
いやいや、問うているのは
あちらなのだが
(次に置くのは 拙い詩だが
ぼくの夜の幻想みたいなものだ)
夢幻の球のなかで
―亡妻幻影―
どれほどの量で
愛していた
と言うのか
どんな仕方で
愛していた
と言うのか
君を
失ったあとでは
それは
もう不確かで
わらわらと崩れ
溶けてゆく
石鹸と同じ
悲しみより
大きい
喪失があり
道は
消えていた
そこから先には
君も
ぼくも
居ない
世界が見えた
八月の
大都市で
時間が
氷結した
愛なんぞ
最初っから
無かったんだ
ぼくは
幻覚から
覚めようと
自分を掻き毟り
不眠の赤錆を
ぼろぼろ
溢している
輪郭のない
影であった
後何分早く
着いていれば
救急車は
「間に合った」のか
何故あの時
あのことに
気付かなかったのか
とか思う
もしも もしも
ならば ならば ならば
自分を狙撃する
無数の弾丸に
自分から
身を投げても
流れない
夜の川が
果てしなく
夏の日々を
延びていただけ
あの八月
は
三十年過ぎても
今も
体の中に潜み
眠るぼくの夢を
囲み縁どる
夏の闇
輝きと
沈黙とは
いつでも
ふたつとも
君のもので
物食う音に
似た
ぼくの呻きと
乾き崩れた
悔恨の
歯ぎしりの
鉛色とは
紛れもなく
やはり
ぼくのものだ
いのちの季節
八月に
死と
永訣を
学んだ
ぼくと君とが
いまは
ひとつ
小さな球になり
転がって
映し出す
今夜の
このときの
沈黙と
輝く闇
深夜
やって来て
ぼくに
煙草を
吹きかけて
君が
笑うのだ
あのころの
童顔の残る
表情のままで
僕の背後で
ぱしゃりと
一匹の
アマゴが
跳ねた
君は口に
毟りとった
栢の実を
含んで
ふっ
と吐いた
夜明けまで
このまま
立ち昇るまま
煙のまま
球体のまま
ぼくらのままで
三十年の
隔たりのままで
来るはずのない
「二人の朝」まで
……
0 件のコメント:
コメントを投稿