2008年8月6日水曜日

今日は8月6日 

1997年の8月の広島平和記念公園





去年の子供たちの平和宣言もあった。
8月だけではない内容だから
夏だけの思想にはしたくないものだが。






今日の広島2008平和記念式典のストリーミングもある。
時間帯限定で流れるらしい。
http://www.stickam.jp/profile/hiroshima2008
7:45~9:00の間がライブらしい。
保存された動画はいくつかに分割されているようだ。

2008年8月1日金曜日

思い出というには昏い記憶だけれど

もう三十年を越えてしまった
長い時間の向こうに君はいる
思いっきり童顔の娘顔のままで
こちらはあっという間に老いさらばえたが
君は相も変らぬくぐもった声で挨拶をよこすのか。
熱帯夜の続いたやり過ごしにくいこの季節に
どうしても君を呼び出してしまうぼくだ。

君の親友だった河野裕子に
どんなに冷たいまなざしで
ぼくは詰られたことか。

それは彼女にとって君が
友人以上の存在だったことを
示していたから、
返す言葉は何もなかったさ。

彼女の歌集を開くと
あのころの青春の色も形も
そこにある。

特にあのころ出したばかりの歌集
『森のように獣のやうに』には
君たちの匂いが立ち込めているみたいだ。
とりわけ次の作などに印象が深い。


逆立ちしておまへがおれを眺めてた
           たつた一度きりのあの夏のこと



真昼間のまばゆき闇の彼方より
            天打ち返し郭公鳴ける



いまだ暗き夏の真昼を耳閉ざし
            魚のごとくに漂ひゐたり



振り向けば喪ひしものばかりなり 
            茜おもたく空みたしゆく



横たはる獣のごとき地の熱に
            耳あててゐたり陽がおちるまで



あはれ常に鏡の裡よりのぞきゐる
            暗く澄みたるひとつの顔あり



森のやうに獣のやうにわれは生く
            群青の空耳研ぐばかり



命日を挟んで数日は
ぼくは眠れない夜を過ごすだろう
老いを自覚せざるを得ない身にも
夜明けまで
ただただ思うだけの時間もある
明けやすい季節だから
苦痛ではない
まして
かつて愛した者への問い…
いやいや、問うているのは
あちらなのだが


(次に置くのは 拙い詩だが 
 ぼくの夜の幻想みたいなものだ)




夢幻の球のなかで
      ―亡妻幻影―



どれほどの量で
愛していた
と言うのか

どんな仕方で
愛していた
と言うのか
君を

失ったあとでは
それは
もう不確かで
わらわらと崩れ
溶けてゆく
石鹸と同じ

悲しみより
大きい
喪失があり
道は
消えていた
そこから先には
君も
ぼくも
居ない
世界が見えた

八月の
大都市で
時間が
氷結した

愛なんぞ
最初っから
無かったんだ
ぼくは
幻覚から
覚めようと
自分を掻き毟り

不眠の赤錆を
ぼろぼろ
溢している
輪郭のない
影であった

後何分早く
着いていれば
救急車は
「間に合った」のか
何故あの時
あのことに
気付かなかったのか
とか思う

もしも もしも
ならば ならば ならば

自分を狙撃する
無数の弾丸に
自分から
身を投げても

流れない
夜の川が
果てしなく
夏の日々を
延びていただけ

あの八月

三十年過ぎても
今も
体の中に潜み
眠るぼくの夢を
囲み縁どる
夏の闇

輝きと
沈黙とは
いつでも
ふたつとも
君のもので

物食う音に
似た
ぼくの呻きと
乾き崩れた
悔恨の
歯ぎしりの
鉛色とは

紛れもなく
やはり
ぼくのものだ

いのちの季節
八月に
死と
永訣を
学んだ
ぼくと君とが

いまは
ひとつ
小さな球になり
転がって
映し出す
今夜の
このときの
沈黙と
輝く闇

深夜
やって来て
ぼくに
煙草を
吹きかけて
君が
笑うのだ

あのころの
童顔の残る
表情のままで

僕の背後で
ぱしゃりと
一匹の
アマゴが
跳ねた

君は口に
毟りとった
栢の実を
含んで
ふっ
と吐いた

夜明けまで
このまま

立ち昇るまま
煙のまま

球体のまま
ぼくらのままで

三十年の
隔たりのままで

来るはずのない
「二人の朝」まで

……

2008年7月30日水曜日

夏の気配のしていた頃

初夏の印象から
少し前にはもうじき夏だと
楽しみにしていたが
この暑さと異常な集中豪雨

すっかり
夏の季候の被害者の気分だが
季節の移ろいに咎はない。

picasaに上げておいた
初夏のスナップを見てみた。
まだ使いこなせていないが
あのころはもっと
よく分かっていないままで
試しにシャッター切っていたのが
よく分かる。

そしてそれでもと言うみたいに
そこにも季節は映り込んでいるのだった。











2008年7月26日土曜日

ちょっと旅気分。 リスボンへ…


暑いと気をそらしたくなる。
エアコンはコンセントから外してあり(スイッチを無意識に入れないように)
もはら扇風機をたまに回す。体を馴らし運転しているのだ。
まだまだ暑くなりそうだし。

涼しい体験の想い出をまさぐると、
かっと暑いマドリードから到着した
リスボンの街を吹いていた風。
気持ち良かったな。
気温が低いわけじゃないが
湿った海風だったのか、
気持ちがほっとした記憶。

ひと夜だけの滞在だったが、思い出にくっきり刻まれた旅。
だらだらと皆で登って行ったアルファマの街角。
誇り高さと貧しさと希望と悔恨が入り混じったような
深い深い目の色の年配の女が歌う
FADOの哀しい調べ。
へんな味のワイン。
小さな足の小さな靴。

サラザール独裁があっけなく崩壊したのは
完璧な計画どうりのクーデタと民衆の支持だった。

戒厳の兵士の銃口にひとつひとつ娘たちが差していった赤いバラ。
それを新聞は「薔薇の革命」と名付けた。1974年のこと。




それから3年、
次々独立する旧植民地から引き揚げる無一文の入植者たちで
失業者があふれ、民主化が作り出したのは貧困かと言われ始めていた。

広場はそうした人々が持ち物を売る違法な露店でいっぱいだった。
当時西ヨーロッパ一「戦闘的」といわれた共産党が新聞を売っている横で
ぼくは「アルプスの少女ハイジ」のポルトガル語版の絵本を買った。
(家族が読んだ古 本なのだ.)

ついでにその「戦闘的な新聞」も買った。
一面には米軍はベトナムから引き上げよ(と書いてあるらしい)
と見出しが躍っている。
当時はヨーロッ パではどこでも見られたスローガンだった。
やがて最大時60万人居た米兵は一人もベトナムからいなくなった。
翌年サイゴンが解放されたのは4月30日だっ た。

日本はベトナム景気で潤い海外旅行はどんどん行きやすくなり、
ぼくでも出かけられたのであるから、皮肉なことだが。

思い出せないのが
そのとき何を食べたのか
と言うこと。ぼくらしいわい。

で、ネットでリスボンをキーに
あちらこちら覗き見していて見つけたブログ。

「りすぼんうまいもの日記」
http://lisboeta.exblog.jp/

これは<みっけもん>
住んで働いているが故の
プラス
主婦の観察眼故の
面白さがある。

何食べたのか-追跡はどこへやら
読みふける。

文章が上手い。
ウイットやユーモアも利いている。
他者への想像力もある。
開高建ばりの文体に近づいている箇所もあるな。
美味なコラムみたいに読める。

マークして時々見に行こう。
このわたし本人はいま
淡白に素麺をすすっております(笑)

リスボンの夜景、夜風、物の匂い。
流れていく記憶の情景。
その流れていく感じ
ちょっと涼感に似てるかな。
風鈴みたいな。

これもひとつの削夏法。
じぶんでそよそよ。

  

2008年7月22日火曜日

暑さのなか堪えている-人も草木も虫も-


 
雷一つ屋根越しに蝶庭へ落つ  蛙逝
(らいひとつ やねごしにちょう にわへおつ   あせい)


<夏の日の良さと辛さと我に在りて、
 ふたつながらに我を捨て置く
 暑さのままに。>

羽虫が空中でいっぱい
飛びかってる。
雨が近いのか。

蜘蛛は中空に糸を飛ばし
住い替えの支度を試みる。

無心というなら
この風景こそ無心。

自分の内なる
扉が開いたので
風を入れる気で
家の窓も
開け放つ。

熱気と虫と草いきれが
部屋に入ってくる。

いのちの
おおきな流体が
流れ込む。

飛び込んできて
あわただしく出て行った
蝶を
目で追いながら

人間と言うものは
なんて孤独なんだろう

物言わず飛びまわる
虫たちのなんという
華やかな
賑わいだ

人は饒舌なだけ
孤独の影は
色濃いのだ
と思った。


雷が遠くで鳴った。
屋根から飛び降りるかのように
下ってきた蝶が稲妻に見えた。

2008年7月15日火曜日

暑い夏日が続き始めると思うことが増える

暑い。

もうすぐ八月だ。
熱帯夜の夏日は心身ともにつらいが
どこかで暑さを頼っている自分がいる。

今日、またしても調べもののついでに読んでしまった
あるサイトの記事。

『徒然はるかさん』(リンク)というサイトの筆者による
映画を見ての感想文だが
現実の歴史の断片がくっきりとかいまみえた。

世代を越えて流れる
地下水脈があることがわかる。

歴史と言う記憶は
このようなものを含んで成り立っているのだ。

一部の引用では全体の印象が伝えきれない
それで文章の紹介は控えるので
ぜひ見に行って読んでもらいたい。

特別に新しいことが書かれてあるわけではない。
しかし祖父から孫へ伝えられた言葉と
それを受け止めた孫の感銘が伝わる文章だ。

文章が熱を持っているように感じられるのは
高知人の熱血と言うわけではないだろう。
誰でもがそうあってしかるべしなのだと思う。

題して
南の島(リンク)- 日本人が眠る平和な海岸 -


一人でも多くの日本の若者にこういう実際の体験が伝わってほしい。
今なおニューギニアの山中には打ち捨てられたままの
若い日本兵たちの白骨が眠っているのだから。

  

2008年7月10日木曜日

エーゲ海にあるCAMで夕日など眺める



エーゲ海のサントリーニ島は
プラトンが描いた一夜で沈んだ古代文明都市
アトランティスのモデルだったと言われている。
火山島で内湾は噴火口の周辺なのだが
観光地であるのでCAMがありHPでその日の
海の風景が見られる。
日替わりのエーゲ海。
葡萄酒色の朝の海が見えるかな。

見つけたのは次のWebサイトだ。
http://www.santorini.net/home.html




2008年7月9日水曜日

tahoe湖でキャンプしていたらクマさんお出まし

アメリカの写真サイトを物色してたら
(無料のが多いからどんなものかと見学に)
動画もあって

 BEAR ATTACK IN MY CAMPSITE

とあるので見てみるとホントにクマさんだ。



場所はカリフォルニア州のタホ湖のようだ。

まだ成獣じゃないような気がするが
撮影者は女性で
よく冷静に撮影してると感心した。

日本でもありそうな「事件」なので
貼り付けさせてもらうことにした。

2008年7月8日火曜日

ちょっとしたことだけど気がつきにくい

ちょっとしたことだけど気がつきにくい、
そんなことがよくある。

釣り愛好家が(SNSでの知人)Blogを
更新したのに気付いて拝見に行った。

Picasaのスライドショーを使って
海の写真をブログに貼り込んでいる。

ここでも山の写真をスライドにしている。
このやり方は簡単だけど

PicasaWebの場合は
ちょっと分かりにくいのだ。

Picasawebのアルバムを開き
左のオプションを見ても
リンクというURLをコピーする
選択肢はあるがスライドはない。


実はこのとき
Googleのアカウントで
表示が英語モードになっていないと
スライドショーがという
選択が出ないのだ。




英語表示にセットするには
上端の「設定」をクリックして
言語の設定の所を英語にしなくてはならない。





これでスライドショーが左に選択肢で表示される。




左の選択肢




それをクリックすると
今選択されているアルバムのスライドショーの
emned埋め込み形式でコードが表示され
表示画面サイズの選択などもできる。




これをコピーしてBlogやHPに貼り付けれわけだ。

書くと複雑みたいだが
やればあっけないこと、
簡単なのだ。

picasawebはシンプルなのが良さになっている。
flickr.comやslid.comを使ってきたが
picasaと連動してPicasawebを使いこなすのも
悪くない選択に思える。

2008年7月3日木曜日

野生の鹿は尻毛の白色がきれいだった                        大台ケ原紀行
















今回は友人が夫婦で来て4人組になった。

















熊もいるわけだ。鈴がいるんだけどな、昼間だし、まぁ良いんだろ。














 


大台ケ原というと

倒木と苔

早速朽ちて苔むした老木の残骸が
僕らを見送っているのに気がついた。

さぁ始まったネイチャートレック

わくわくしてきたぞ。







Posted by Picasa


クリックすると大きなサイズのスライドを見ることができます。