2007年11月13日火曜日

朋アリ遠方ヨリり来ル。亦楽シカラズヤ。

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君のブログ見ました。

いきなり

『日時計 みたいに… 暮らせたら…』の

エントリーの題に「月下美人をみてきました」
などとでてきたので、

はじめは「これは違うぞ」と思ったのですが、
アーカイブなどを見ていってようやく

「ああやっぱり彼か」と納得できました。

まだまだ知らない顔があるんだなと、妙に納得した次第です。

昨日は突然の連絡にもかかわらず、うまく会えてよかったですね。

おかげさまで、久しぶりに「ふるさと」に帰ってきたような、安らいだ気分になりました。

これまでの人生で、さまざまな出会いと人脈ができ、
それぞれに自分にとってかけがいのない財産ではあるものの、
私にとっては、やはり一番くつろげる「場」であると再確認しました。

よろしければ、またお会いしませんか?  >>


先ほどメールが来ていた。上のはその一節だ。
読んでいて心がぬくもってくるのが分かる。

十数年会っていなかった。
近くにいても忙しかったり自分のことで精一杯だったり…

ふと思い出してくれて、電話をくれた。
高校以来の古い友人だからもう数十年の間柄。
変わっていない絆が話していて実感に変わっていく。

「戦友」というものがどういうものか分からないが、
その類のものだろうか。
今では三人の孫がいる「爺っちゃ」

奈良で落ち合って数時間。
時が豊穣な一夜だった。

奈良の共通の友人も加わって三人の噺は
歩いていても酒食の席でも切れ目がなかった(笑)

ここのところなんだか暗かった気持ちに
一条の光が差し込んできた。

「ぼくのほうこそ、会えて嬉しかった」
心からそう言っている自分がいたのだから
確かにぼくは動かされたのだと思う。

彼の乾いた明るい良く響く笑い声に。
高校生だった頃と変わらないその声に。

さあ、返事を書こう。

数少なくてもこのような朋友があることを
ぼくがもっともっと大事にしてこなければ
ならなかったのだ。
そのことに気づいたと、書こう。

ここ京都府南部の山の中の暗がりで
ひとつ点った灯りのように
今夜のぼくは単純に幸せなのです。

2007年11月9日金曜日

月下美人を見てきました







親戚の家で次々と月下美人が咲いているというので
見に行きましたがその晩は開ききらず…もう寒くなってきているからなんだろうな。

で、
翌朝1時間あまりの道を再訪。
咲いておりました。
初めて見たので新鮮で感激しました。



月下の美人という名にふさわしい凛とした風情は
さすがだなと思いました。
花の中を覗いてみるとまるで小宇宙でした。
白く明るんだ広がりに黄色い小さな星が浮かんでおりました。
きれいだなぁと暫し無心になりました。










でも
この花の蕾はエイリアンの触手みたいな凄みのある濃い赤みを帯びた不思議な形です。
折りたたみ式の人工衛星がアンテナを広げていくのを見ているような
不思議な感情が湧いていました。

2007年7月23日月曜日

貴男もあたしも買われたいのち…




自分の感情をどう表現するか。
もやもやした不鮮明なところのある気持ち
画像検索でキーワードを替えながらやっていて
この画像のグロな感じが近いかなと思って
もらってきた…  気分悪い人いたらごめんなさい ⇒




選挙もたけなわ(たけなわってどう書くんだったっけ…酣か)

昨夕は丸善で人に会うので京都へ。
この書店、京都丸善は梶井基次郎が小説「檸檬」で
爆弾みたいにレモンを置いた…その書店だったね。

選挙の街頭演説にぶつかって歩けないほど、
ゆっくり通りながら観察。ものすごい人だ。
動員されてきてる人もいるのだろうが、サラリーマンや
学生も立ち止まって聞いてるらしい。みな真剣に聞いている。
こんどの選挙の特徴のようだ。

投票率は上がる。自民党は減り、公明党は維持または減。
でも民主党が圧勝できるか?
京都らしく共産党がすごく元気な女性候補だ。
自民・民主・共産の2議席争い。

今朝はまた朝から赤城大臣の政治資金問題。
あらたな局面になっていると報道。
あきらかに政治資金規正法違反。
だがこの件ではよく読むと罰則規定がない。
上手く抜いてあったんだね。予想してたみたいに。
コメンテータも言っていたが、他の自公民の政治家も?
と疑わしくなってくる。

完全国営で一切金のかからない選挙は出来るだろうに。
と、ぼくら素人は思うが、そんなモンじゃないそうだ。

政治に金が要るのは他の入用があるからだと。
法案通す国会対策とか、イロイロと…
昔は自民・公明・社会・民社の国対委員がマージャンしながら
お金が動いたりしてたとか。

企業・団体の政治献金の禁止が徹底しない限り
幾ら政治資金規正法の細目をいじっても事態は変わらない。

年に一度同窓会の二次会でカラオケに行くが
ぼくはかろうじて1,2曲の持ち歌がありますが
そのひとつが「カスバの女」…
この記事のタイトルがその一節なんですね。

お金で縛られたらもうお終い。
体は縛られても心は別よ…と言いたいけれど…

花の都パリのムーランルージュの踊り子だった…
酒場の女
失恋したら外人部隊に身を投じて
人生を捨てた男
恋してみても一夜の火花…

どうせ「買われたいのち」のふたりだから
という負け犬同士の引かれ歌だけど
ぼくには近しい感情なもので…

でも赤城君の場合は、ちょっと不細工すぎないかい。

男らしくしろとは言わない。
こっちも「男らしさ」なんてないから。

出処進退は何で決めるのかね?
お金の疑惑に答えられない君と庇い続けるABちゃんと、
オノレ・ドーミエのカリカチュールになっちゃてます。

政府の統計でこの11年間で900人近くが餓死している。
診断書に他の病気が併記されたのは統計に入れないので実数は
もっともっと多いと研究者がコメント。
これは自然現象や高齢化じゃないと見るべきだ。
リストラ。非正規雇用増大。賃金水準の低下。
ネットカフェ難民の発生。
社会が格差固定化社会になってきているからだ。
それに加えて権利意識の喪失。
「世間に迷惑をかけてはいけない…」
これは美談ではない。悲劇だ。無知と政治の無責任との。
バブル以上と言われる多国籍企業中心の利益増大の影にある事実。

ヒルズ族など勝ち組はいいが
大多数の国民はこういう現実をうすうす感じているから
不安なのに、年金までがめちゃくちゃだった。

一票しかない。悔しいけれどそれが平等、民主主義。
この一票、どこへもっていこうか。

金で汚れていない党や人へ入れよう。そうしよう。
心では「買われたいのち~」と哀愁に身を浸しながらも
せめて政治は金で買われていないところを選びたい。

ジョナサンの万引き…



ドイツの話らしいのですが…

TVで 『万引きカモメ』を報じていた。

映像で見るとなるほど、お店の棚から咥えて

のこのこ外へポテトチップスの袋を持っていく。


なんでも、毎回同じチーズ味の袋だそうで…(笑)


どうやら仲間のところで袋を破って食べるらしく

カモメのボスだろうというのですが…

なかなか楽しいというか面白いニュースです


「カモメのジョナサン」という本を思い出しました。


五木寛之さんの訳だったですね。


万引きの代金私が代わって払うわ…という人も出てきたそうで

人情は共通という感じで愉快ですね。


ぼくは丹後半島ではカモメにポテトチップスを狙われて

怖いくらいだった経験があります。

カモメはポテトチップスが好きなんだろうか?


2007年7月18日水曜日


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黒田三郎 【くろだ さぶろう】

大正8年2月26日~昭和55年1月8日。
市民の日常と生活感覚を、平易な言葉で書いた詩が多い。「ひとりの女に」は戦後を代表する恋愛詩集との評価が高い。

代表詩集

* 「ひとりの女に」 昭和29年
* 「失われた墓碑銘」 昭和30年
* 「小さなユリと」 昭和35年
* 「もっと高く」 昭和39年

代表作品

* 賭け
* 夕方の三十分
* 秋の日の午後三時
* 死のなかに

--- 余計な一言 ---

何も付け加えなくてもいいだろう、この詩は。
黒田三郎が亡くなったときぼくの中でも
何かが静かに立ち去っていったように思う。

戦後詩(現代詩)は難解と言われるが
黒田三郎の詩に韜晦はない。
が、その詩精神には揺るぎはない。
紛れもなく強靭な批評性があっての作品ばかりなのだ。
戦後日本の代表的現代詩人のひとりだ。

若い日のYohはこんな兄貴がいたらいいなと憬れたものだ。

代表作の詩集「ひとりの女に」は
戦後を代表する恋愛詩集と言われるし
ぼくもそう思っている。

この作品は最愛の恋人(妻)を亡くした後のやもめ暮らしで
愛娘との勝手の分らない家庭の仕事と勤めの掛け持ち
まだ癒えない痛みを酒に薄めて奮闘する自画像なのだ。

よくある様な、見た様な光景。

でもここに出現する不思議な輝きと静けさに
人生ってまじめにやっていくものなんだ……と感じますね。

ただの呑べぇに見えてもこういう暮しなのかもしれないと、
立ち飲みのサラリーマンを横目でみて通る、今夕のぼく。

2007年6月25日月曜日

成ヶ島(なるがしま)の海亀よ、生成(なる)の島で生みたまえ…

どんなところで商いをするにせよ

モラルやルールは大事にしなければ墓穴を掘る。

ミート・ホープの件もYohには他人事ではなく
いつも意識にあることだ。

保健所に検査時に誉められるぐらいでないといけない。
そうやってバランスのとれた状態を維持することが
責任がもてる経営ということだろう。

インターネットという新しい場で、
間違わないように自戒して前進しなければ、と
思う。

でもモラルやルール以前に、いつの間にか失くしがちな
ある種の感性と知性を保ち続ける意識的な努力はいるなぁ、と
しきりに思うこのごろだ。



先ほどTVで取り上げていて、思わず引き込まれて
最後まで見たのだが、大阪湾に向かい合う淡路島の
東南隅にくっ付いている小島、 成ヶ島の自然。

           

瀬戸内のガラパゴスと言うのだそうだ。知らなかった…
多様な貝類。隼の営巣地。ハマボウ(汽水性の樹木)…豊かな生態系がある。
       
 

それに大阪湾で唯一海亀(アカウミガメ)が産卵にやって来る島。

ところが、とんでもないことになっている。
流れ寄るヤシの実ならぬゴミが島を蔽い尽くさんばかり。

ボランティアが定期的に綺麗になるまで清掃しているのだ。
その方が、ここは生き物のサンクチュアリだ、
来るたびに発見があってうれしい。子孫にこれを手渡す、と
笑顔で仰っているのがまぶしかった。

流れ着くゴルフボールのネームからどのゴルフ場のものか
特定が出来るので、加古川や淀川、大和川をへて
川からゴミがやってくることは明らかだった。

ぼくの家のある地域は木津川が域内を流れている。
ぼくらの不注意に川に落としたモノが成ヶ島へ流れ着き
海亀のお母さんを殺すかもしれないわけだね。

暮しの連鎖はいのちの連鎖のほんの一部にすぎないのに。
ぼくらの「普通の国」の「普通の暮し」がいのちの連鎖を断ち切る。
無自覚なままでいたら、そうなる。

成ヶ島は潮の寄せ場で、砂が堆積し
遠浅になって歩いていけたりする
そういう環境条件の島で、無人島だ。

サンクチュアリとしてだけではなく……

 … これは、Yohの従来からの説なんだけど

水の力で島が大きくなったり消えたりする不思議を
大阪湾の周辺の人々は沢山見てきた。
それに因む名前がいくつもあるようだ。その1つが「成る」「成り」。

大阪には東成、西成という地名があるが
古い時代は東生、西生とも書いた。

日生と書いてもぼくは保健屋さんとは思わない。
ある場所では「ひなせ」と読むのだ。

「なす」は成す、生すの意味。
以前は無かったのにいつの間にか島になった。
そういう場所が「成る」「生(な)る」島なのだ。

成ヶ島の傍には「生石」(おいし)という地もある。
これも成る(生<ナ>る)と関係がある地名かもしれない。

成るという言葉や名前は、
自然の力で化成した土地。生成する力の現われ、
造化の神の降臨する聖地という意味だ。

そこへぼくらの廃棄物(一番多いのは空のペットボトル)が
押し寄せている。

大昔、天皇は即位したあとでこの大阪湾の水の力を祭り
治政の平安を祈った。
八十島(やそしま)の祭りという。
元は大阪城のある地に近い渡辺にあった神社、
今は浪速区にある、坐摩(いかすり)神社が必ず参加する
ことから見て、これは浪速の水辺の祭りだ。

いわゆる河内王朝論にかかわる学説だが、
水辺の王権の祭りはもともとは
短時節で潮流が島を造り出す神秘への賛嘆と
畏怖が生み出した国土を鎮める神祭りだろう。

そこには水の力、水の霊力への怖れと信仰が現れている。
ぼくらは祖先たちのその気持ちをもう解りえないのか?

もし川が自分の身体を流れ通り抜けるとしても
あなたはゴミになるモノを川に捨てますか?

そういう問いをモラルやルールの前に自分の中に
もっていたいものだ。

そうすればミート・ホープなど現われようもないのだが。

2007年5月25日金曜日

今年もはや6月10日が近づいてきた 9条の会の日だ

主権者の国民が、国の形を決め、政治を行う国家と為政者に、
守らせるべき政治の基本を定めるのが憲法だ。

国民に政府が守れと押し付ける条文ではない。
だから就任する首相は憲法遵守を誓うが、
あれは憲法に向かって誓約しているが、
本質は国民にむかってしている誓約だ。

国民の中からは9条を変えよという声は上がってこない。
自民党は結党以来憲法を変えると掲げてきた。
眼目は9条の骨抜き、除去にあった。


皮肉なことだが、今の急流のような改憲の動きは
しかし外来のものだ。
「ブッシュの百年戦争」ぼくは勝手にそう名づけたが
アメリカの先制攻撃型世界戦略の補完部隊として
日本から戦場で血を流す若者を供給
して欲しいのだ。
アーミテージはあからさまな男だから、
遠まわしでもそうはっきり示唆している。

憲法に手を付けるのは「愛国主義」から、とは限らないのが、ややこしい。
政権を握るためにはアメリカの認知が要る国では
雨後の筍のように改憲派が国会に増え続けている。
民主党だって基本は改憲派だ。


議会だけ見て国民・市民を見ないともう暗いだけの時代だが。
草の根に目をやれば事態は違って見えてくる。

安保条約でも憲法でも、大きな国政の課題は運動にはなりにくい。
60年安保でも岸首相の傲慢で強引な政治が国民に危機感を増幅したからあれだけの大きな事件に発展した。
反対運動の初めのころは運動する人々は動きが鈍い国民の反応にあせっていたそうだ。

ところが、ここ数年日本の大衆運動に変化が起こっているみたいだ。
憲法の改悪にストップをかけようという草の根の運動が元気なのだ。

ノーベル文学賞受賞者である大江健三郎氏などが呼びかけた会
『9条の会』が全国にどんどん広がっている。
9条を変えないほうがいいという気持ちが広がってきているようにも見える。


『9条の会』は今年でまだ三年目、3周年を迎える『9条の会』だが、
昨年の2周年目で5000を超えた全国各地域の9条の会は
いま、6000を超えている。
全国に文字通り津々浦々に作られてきている。
すでにいわゆる「60年安保」闘争が進められた当時の
地域共闘組織の数を2000も超えてしまっている。

つまり戦後史の記録を軽々と塗り変えたわけだ。
これが意味するものは何か。
良く考えたいが、そのひとつは自由で柔らかな草の根の運動が主体となっていることにある。

呼びかけ人は有名人、知識人だが、参加者は無名の市民たちだ。
平和と人間の人権をしっかり守っていきたい思いであつまった力がこんなに大きくなってきている。相手は金も組織も権力機構ももった手ごわい相手だけれど、運動は寄せて来る潮のようにいつか彼らの足元までとどきたい。戦争する国家にならないぞという声が大きな潮流になってこの国の政治を洗い清める日がくることを夢見て、自分に出来ることをしていこうと思う。


2006年6月10日9条の会2周年 全国交流集会 その1

2006年6月10日9条の会2周年 全国交流集会 その2

2007年5月9日水曜日


日記ソフトを使ってブログに投稿するのです。







文字です。