2007年4月7日土曜日

ワッハ上方の通行手形?

2006年12月13日


       島田神助の手形 ぐいっと誰より強く押してある(ふふふ)↑


 画廊へ同級生の個展を見に行った日のことだ。

 知り合いのアトリエが手がけた仕事を見物しに
 『ワッハ上方』へ立ち寄った。

 ジュンク堂書店に行くついでだった。実は隣がワッハ上方なのだ。
 ワッハ上方の中に吉本のお笑いタレントのひとたちの手形が
 床に埋め込みで並んでいると聞いたのだ。
 ひとつひとつ芸人さん達のところで手形の石膏型をとり、
 それを何度も型に起こして最終的にブロンズのプレートにし
 床に埋め込んでいる。なるほど、あるある。大助・花子、池乃めだか、
 いくよ・くるよ、島田神助など。
 彫刻家の仕事のエリアもいろいろな形に広がって裾野は広い。

 ★- でも、気付いたことがひとつ…
    島田神助の手形のあるプレートの左の縁の舗石が剔ったような
    痕跡がある…誰かがわざと加えた手の痕だ。
    たぶん「あ、神助のてがたやんか、
    持ってたら自慢できるし、高こう売れるやんか…」
    と思って手を出した痕だ。

    ひとを和ませる「手形」という手の跡と
    眉をひそめさせる、悪戯という手の痕と。

    二つのものを同時に見てしまった
    ワッハ上方の一時だった。

2007年4月4日水曜日

月齢カレンダーでは3日が満月

2007.04.03 01:19














西行が見た桜と満月?


今年は四月三日が旧暦の二月十五日。
満月の宵となる。

西行法師の終焉の地、弘川寺の桜は七分咲きとのこと。
歌に詠んだとおりに如月の満月の日に生涯を終えた西行。

生駒葛城山系の東面、西方浄土に向いた土地に庵をしつらえ
沈む夕日に日相観の日々。

桜越しに見る月は満月に至って仏道の悟りを現すと観じられ、
円月の下に大往生を願った。

歌をもって求道した西行法師は、日本の芸術家の雛形・理想型。
宿を借ろうとして江口の遊女妙さんには断られていますので、
ただの行い澄ました出家ではありませんでした。

自然を人生の鑑として生き、自然へと帰っていった詩人でしょう。



その最期の地に行って咲き、また散る花びらを眺めたい。
四月三日は晴れと予報がでた。黄砂に妨げられてもいい。

その場所で会えるように思うのだ。西行の精神、魂のとの邂逅。
ただの幻影かもしれないが…



―――――――――――写真は合成した創作(まがいもん)です――――――――
ふ~ん。こんなのもあるんだ。と面白がりで作ってみました。
貼り付けられるか試験にと、出来ました(^^)

『春が来たよ』  
画面をクリックすると拡大されます

これは pics.picturetrail.comというサービスサイトで作りました。

2007年4月3日火曜日



大きなスライドが作れるのだな。
YouTubeも真似をして欲しいものだ。

Divx系の動画サイトが画質と要領で
YouTubeに挑戦をすると聞いた。

面白くなりそうだ。

Macはスライドショーなど初めから付いているが

WEBアプリでさくさく作れてしまうと便利さは大きい。



旅のホテルなど出先でもスライドにしてアップロード

これは便利だろう。そのためにはPC画面で大きくしても

そこそこ見られる画質とかインターフェースが工夫が欲しい。

今日はこれを確かめられたのが◎だった。(^^)

月齢カレンダーでは3日が満月


西行が見た桜と満月?


今年は四月三日が旧暦の二月十五日。
満月の宵となる。

西行法師の終焉の地、弘川寺の桜は七分咲きとのこと。
歌に詠んだとおりに如月の満月の日に生涯を終えた西行。

生駒葛城山系の東面、西方浄土に向いた土地に庵をしつらえ
沈む夕日に日相観の日々。

桜越しに見る月は満月に至って仏道の悟りを現すと観じられ、
円月の下に大往生を願った。

歌をもって求道した西行法師は、日本の芸術家の雛形・理想型。
宿を借ろうとして江口の遊女妙さんには断られていますので、
ただの行い澄ました出家ではありませんでした。

自然を人生の鑑として生き、自然へと帰っていった詩人でしょう。



その最期の地に行って咲き、また散る花びらを眺めたい。
四月三日は晴れと予報がでた。黄砂に妨げられてもいい。

その場所で会えるように思うのだ。西行の精神、魂のとの邂逅。
ただの幻影かもしれないが…

2007年4月2日月曜日

想い出の中の風景たち

2007.04.02 02:46

   長谷川素逝さんは、大阪生まれで三重県育ち

   京大国文科をでて教鞭をとったのも三重県の津だった。

   将来を嘱望された人だったが、結核で早世した。

   40歳、昭和21年10月10日に亡くなった。

           

  木蓮の白い色が空間を埋めるように浮かんでいる

  鳥が飛び立ち翔けていく。

  揺れる枝がまるで光を放つようにみえる。白い眩めき。

            
           

  そのまま絵を見ているような句。

  湯上りの濡れた髪のままで夕日の差す戸外へ出てきた

  子供らのさんざめきの声。谷間は全て夕日に染まっている。

  ここは温泉の湧く山里なのだ。



  二つとも三重県で詠まれた句だ。

  自然への透徹した観察があり、落ち葉の句に優れたものが

  多かったので落ち葉の詩人と呼ぶひともいた。



  玉のごとき大秋日和賜りし  という一句を

  よく晴れた秋の日の朝に生まれた赤子に贈った。

  贈られた赤子がじつはぼくである。


  戦時下で物のない時代、造幣局の肝いりでの句会は

  膳にでるものが豊かだった。若い素逝さんも空腹を抱え

  句会に来ていたのだろうと思う。父とは仲のいい師と弟子

  だったと聞いている。


  中学生になり授業で俳句に触れ家の本箱にあった素逝さんの

  『砲車』という句集を開いたのが長じた赤子と素逝さんとの

  再会だった。既に故人となっておられたが。


  素逝さんがどのように俳句の指導をしたかを、その後

  父から聞く機会があり、それが今も俳句を読むときの

  価値観になっている気がする。ぼくは私的な孫弟子かな。

  これからも時々思い出してはこの方の俳句を読み返すだろう。

2007年3月31日土曜日

PICASAでスライド、YouTubeで公開、ブログに貼り付け

            



これはSlide.comのほうです。


 

Soba nudle

お蕎麦の記憶 2004年 大宰府の蕎麦屋さんで食べたときのスナップ

いいお蕎麦を食べたくなった。
Posted by Picasa

2007年3月29日木曜日

とうとうこの里にも桜の便りが

2007.03.29













 この里にも桜の花という春の便りがとどきました。― 嬉 ―
 
 咲いた桜のスライドショウ(2,3枚だけど…)

           


  それに昨日は見えなかったのに、村中で春の気配がたっている。

  鴬は嬉しそうに唄っているし、草は突然立ち上がったみたいに

  ローゼットからぴんと立った葉に変わっている。

  タンポポやスミレも身を真っ直ぐに空に向かって伸ばしている。

  灰色がかったさびしそうな空の色もなんだか薄れてきたみたいだ。

春の宵は柔らかですね

2007.03.29 13:21



 千金の価値というが、
 本当につくづく頷ける歳(年齢)になった。

 ぼくは与謝蕪村の春の句に好きなものが多い。

 一番ぴったり来る蕪村の解説(研究)は

  


 与謝蕪村の小さな世界

  著者の他の本

  蕪村の細やかな季節感に触れると
  成熟した江戸時代の町人文化の凄味さえ感じる。

 それに比べられたら困るけれど、

         

 所用で妻が実家へ去んだ夕べ、

 手持ち無沙汰で台所で手酌で呑む厨酒も

 春の宵に似合う気がします。