自民党に多数を許したことがどれだけ高くついているか、
眼前の事態が教えている。
TPP締結も社会保障破壊も海外で戦争する国づくりも
どんどん進めている。
野党の大部分が野党でなくなったことも大きい。
だが安倍自民党政権の矛盾も同時進行しているのが分かるから、
そこに明るい未来への展望もまた芽として存在する。
希望と楽天的想像力は行動し闘う者にだけやってくる。
柩を覆って定まる、と言う。
生きているうちに自分の評価などしないし、それを求めないことが、
志というものだろう。
身は衰えても志が衰えることはないように進んでいきたいものだ。
昨日は昼に大阪外環状線沿いにあった「なか卯」といううどん屋で昼ご飯を食べたが、
食べながら行儀悪く新書版サイズの「作詩關門」という道具書を開いて見ながら漢詩を作るメモを書いた。食後のお茶を飲みながら二十分間でひとつできた。
帰宅して夕食後、見直すと間違いもあり、意味も不明確だった。
それでも捨てがたい点もあり手直しするつもりで置いておいた。
読みかけの本を読んだり一度見た録画を再度見て記憶に残すようにしたり、知識の整理にかまけて過ごした。
朝方に目が覚めてしまったので仕方がなくで昨夜気に入らなかった漢詩をもう一度手を入れてみた。
晩秋愁嘆の詩みたいなものだったがちょっとだけ変えて、<濁世を歎く老詩人>という形にした。
実物の自分は歎くより怒っているのだが (o^-^)
淀川を江戸時代の漢詩人は澱江とか澱河とか書いている。格好好くということだろう。平仄のこともあるのだろう。私も使ってみたかったので今回使った。
勁秋というのは風の強い秋という感じのイメージだ。
濁世は「じょくせ」と読む。
吟嘯はただ吟唱するのではなく世を歎く意味がある。
歩渉は川に沿って歩いたり渉ったりする感じだ。
勝は勝ち負けではなく比較のことばだ。
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