2011年6月20日月曜日
行視畿内陂池堰堤溝洫之所宜
2011年6月19日日曜日
九月辛巳授正六位上後部高笠麻呂外從五位下
「続日本紀を読む心」
『続日本紀』巻廿
天平宝字元年(七五七)九月六日 辛巳《丙子朔六》
九月辛巳。授正六位上後部高笠麻呂外從五位下。
九月辛巳(六日)。 正六位上の後部の高笠麻呂に従五位下を授く。
本人は優秀な金工(金属工芸家)であった。
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高笠麻呂という金工(金属工芸技術者)がいた。奈良の平城京の左京六条二坊に居住し、752(天平勝宝4)年4月、東大寺の大仏開眼会に使用された、表題の「裁文」を製作した。
「裁文」は大型の金銅透彫板で、最も長い部分が43.5センチの、雲を造形化したものである。たがねで細部を線刻し、全体に渡金していて、柄の片面の部分に「東大寺高笠麻呂作/天平勝宝四年四月九日」と二行に分けた銘があり、また、柄の部分に花喰鳥の流麗な線刻がある。http://bit.ly/k9V0WI
>≫
五年たって従五位下を授けられたが、これは金工であった彼の作ったものへの褒美ではないだろう。通常の昇進とみなせよう。だが作品に署名を残しているほど自負は大きかったのだろうし周囲の評価もあったに違いない。
家系的には高麗系の技術職の家柄であったらしい。
高句麗系の官位に前部(ぜんほう)後方(こうほう)があるので
後方・高(麗)を姓としたのだろう。だから「しりとべ」といった読みは後からのものであろう。
当時どう読んだかは検討が要る。
≪<
正倉院文書の天平十七年(745)に後部高多比、天平宝孝元年(757)に後部高笠麻呂、同五年に高麗の人後部高笠麻呂などの名が見える。姓氏禄に後部高は高麗国の人、後部高千金の後裔となっている。
そして、平安時代には坂上田村麿の征夷に、尻高氏は上野十四郷の加勢一千騎とともに従軍し、大嶽根山の戦いに大功を立てたと言い伝えられている。
>≫
住居は朱雀大路を挟んで大安寺と薬師寺が向き合うその中点あたり当時の五条と六条の通りに挟まれた場所であった。今の八条町のあたりである。
住居がわかるのも面白いが文書が残されているのだろう。 http://bit.ly/iQ2tcG
2011年6月18日土曜日
洛陽道 儲光羲
2011年6月6日月曜日
ピノチェットはパブロ・ネルーダを毒殺したのか? 証言が出始めた
赤旗新聞 時事ドットコム スポニチ
合法的に選挙で誕生した南米初の社会主義政権、アジェンデ大統領の政府はピノチェットを頭目とするファシストによる軍のクーデタで崩壊し、直後の大量弾圧でビクトル・ハラなど有名芸術家を含む犠牲者がでた。
その最中にノーベル賞詩人ネルーダが死去したが、病死と報じられていた。当時私たちは心労と老齢によって力尽きたのだろうとその死を悼んだ。
当時の新聞記事
しかし、チリ共産党の幹部でもあったこの偉大な愛の詩人は
クーデタ勢力と闘うためメキシコへ脱出をしようとした矢先だったこと、
薬剤を注射された直後に意識不明になり死んだという証言が出てきた。
病気ではなかったのだ。
ようやく証言することが自分の身辺に危険を及ぼさない時代になったから出てきた証言だ。
これは実はアジェンデ大統領の死にもたれている疑問を追及する中で、さまざまのことが明らかになった中の事実のひとつなのだ。
最後まで闘おうとし続けた男に毒を注射して、抵抗を止めさせることしかできなかった者たち。
彼らの惨めさとともに稀有な魂をかくも野蛮な方法で奪い去ったことへの憤りが新たに沸いてきた。
私は彼の死やアジェンデ氏の死の真相が公式に明らかにされる日がきっと来ると信じている。
1976 年にイタリア滞在中に在所の町外れで行われていたPCIのウニタ祭りを見学したとき、イタリア語とスペイン語の対訳になったネルーダ詩集を見つけ記念に買 い持ち帰った。どちらの言葉も読めるわけではないが、眺めていると同じラテン語からの派生らしい似た詩句になっているのが見つかり面白かったものだ。
か なり以前のことだが、イタリア映画に「郵便配達人」という若者を主人公にした作品があり、たまたま目にとまったので買ったDVDなのだが、それは政治犯と しての追及 をを逃れて、イタリアの片田舎の村はずれの一軒家に妻と二人身を潜めるネルーダに、自転車でその一軒家まで郵便を届ける無学な配達人の青年とネルーダの 友情 の物語だった。
時代の雰囲気やネルーダの詩人らしい振る舞いなど面白くまた美しいモノトーンの画面が心に残った。
ネルーダは言葉を残したし、言葉への愛を残した。
映画を見終わったとき私の中にも言葉への愛が生まれていた。
ネルーダの言葉
…
わたしの詩と生活は、山の奔流のように──「南部」のアンデスの奥に源を発して太平洋をめざして流れくだるチリの激流のように、ほとばしり流れた・・・・
わたしは苦しみ、たたかい、愛し、うたった。勝利も敗北もあじわい、パンの味も血の味も知った。詩人にとって、それ以上に望ましい何があろう?涙からくち づけにいたるまで孤独から人びととのひろい触れあいにいたるまで、すべてがわたしの詩のなかに生きている。わたしは詩のために生き、詩はたたかう勇気をわ たしに与えてくれた。
わたしは文学賞を──蝶のいのちのようにはかない賞をたくさんもらった。だがわたしはまた、もっとすばらしい賞をもらった のだ。ある人たちは、その賞をあざ笑ったりするが、その人たちの手にはとうてい入らないものだ。わたしは長いこと、言葉の羅列した迷路をさまよい、審美眼 をやしない、探求をくりかえすきびしい勉強をくぐりぬけて、やっと人民の詩人となった。こういうわたしのいちばんすばらしい賞は、わたしの本や、外国語に 訳された詩集や、わたしの作品の解説書よりももっとすばらしい。そのわたしの賞とはこういうものだ──ひとりの男が、ロタの炭坑、あるいは硝石坑や銅坑の 奥底から上がってくる。もっと正確にいえば、地獄からぬけだしてくる。ひどく骨の折れる仕事で顔はゆがみ、眼はほこりで赤く血走っている。男は草原のしる しがひび割れやたことなって刻まれているざらざらした手を、わたしにさしだして、燃えるような眼をしていう。「おら、ずっと前からあんたを知っていただ、 兄弟!」わたしの生活のなかの、こういう素朴な瞬間こそ、わたしのすばらしい賞なのだ。草原のなかに掘られた坑道の穴からでてる労働者にむかって、風が、 夜が、チリの星がささやいた。「きみは孤独じゃない。きみの不幸に想いをはせている詩人がいるのだ」と。──これこそ、わたしの月桂冠なのである。
一九四五年七月十五日、わたしはチリ共産党に入党した。
…
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2011年5月24日火曜日
嫦娥的舞蹈
嫦娥を題材にした詩なのです。
最後の部分で
李商隠は嫦娥は悔やんでいるのかもしれない
と結んでいます。
その一句に
眉根を顰めた
中国美人の表情を思い浮かべます。
まして嫦娥は仙女
美人でないはずはありません。
何を悔いているというのでしょうか…
月に棲むという嫦娥。
嫦娥は
夫を裏切った女。
不老不死の仙薬を
西王母から得た夫の目を盗んで
持ち逃げして
飲んでしまったのですね。
いつまでも若く美しくありたい
そんな欲に惑わされて…
月に見える影が
人に見えたり
兎に見えたり…
でも
それが蟾蜍(ひきがえる)
に見えたら
天帝によって
姿を変えられた
嫦娥なのだという
伝説もあります。
嫦娥の涙。
ひとしずくの涙の訳は?
おとこには
ついぞ解らぬ哀しみなのかもしれません。
303 嫦娥 李商隱
雲母屏風燭影深 雲母の屏風 燭影深く 長河漸落曉星沈 長河 漸く落ち 曉星沈む 嫦娥應悔偸靈藥 嫦娥 應に悔ゆべし 靈藥偸みしことを 碧海青天夜夜心 碧海青天 夜夜の心
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雲母を散らしたきらきら輝く屏風が燭台の蝋燭の灯に照らされている影深い夜中
夜空を横断する長大な銀河もようやく西のほうへ落ちかかり早暁を告げる金星ももはや沈んでいくころ
長い夜を過ごした天空の仙女.嫦娥はきっと悔やんでいるのにちがいあるまい、夫から霊薬を盗んで逃げ去ったことを
何処までもつづく青い海原に似た蒼穹に住んでも、ただ長いばかりの、夜という夜を過ごすよりない、その尽きない寂しさ…
2011年5月22日日曜日
蘆舎将崩壊乎?
漢詩の入力やウエブ閲覧に使い連絡のメールも大概はこの旧機を使っていた。
いきなりくるとやはり困る。
最近はドロップボックスなどを使うしメールもウェブメールだから損害は軽微で済んだ。
でも書きかけのメモなどは多分駄目だ。一度修理に出したものだし、あきらめ時なのだろう。
OSがXPでないと使えないアプリを使う習慣を維持するそのためだけに頑なに使い続けた。潮時だろう。
我が家全体が「蘆舎将崩壊乎?」と叫んでいる状況。
パソコンよ、お前もか。
幸いにもwindows7のXPモード(バーチャルマシン)で旧式ソフトを使用可能を確かめた矢先だった。乗り換えなさいって言われた気分になる。
旧機ではCPUが古いのでフルセグでTVもできなかった。
アナログ終了も近いし、新しい方のPCを座敷から運ぶとしよう。
こちらも同じソニー製VAIOの新しいといっても現行機種ではない。
型落ちを安く購入したVISTAマシンを「7」を購入しアップグレードしたもの。
だから付属のOffice2007などは使っていない。ピュアな「7」。
どうも2007が嫌で2003のOfficeを使っている。
ところがVISTAではよく「落ちた」。 「7」でもありうるから
XPモードにインストールしてXPでOffice2003を使っている。
機械は新しいのに人間もアプリも古いまま(笑殺)
余談。
ものが経年変化するのを一からげにエージングというそうだが
長寿もまたエージングだな。
工芸では態と古色を出させるために風雨に曝したり
日に当てることを枯らすという。
これもエージングだ。
しかし、枯らすには否定的なものは何もない。
アンチ(ティ)エージングなんて言葉があるように
エージングにはいい意味はあまりないのかも。
枯れ木に花咲くこともあるのが
人生の面白さなんだから
枯れ色のスイートも
美味しいのがあるのだから
アンティエージングは止め
素直に
「美しく」? 枯れましょう。
2011年5月16日月曜日
フォローしている人の短歌
半分だけ?
それは冗談だけど、とても感覚的な歌だから、
老いぼれには見えないところがあって…
パンケーキみたいなたましいを半分にわけて
そっと手渡しにくれるひと。
ぼくにもそんなひとがいたな。
そしていまも、いる。
通りにはあじさいが咲いていて
その大きな花のしろさが
ブラウスのしろさとダブってにじんで見える
ほんとうははんぶんあげたのは
雨傘のこと
肩半分はぬれながら行く
それがなんだかうれしくて
そんな風に読んでしまう。
素人の見当違いなんだろうけれど。
まだ咲くそぶりもない。
為有 李商隠
雲屏(うんぺい) 雲母を散らしたあでやかな屏風。
閨怨詩の一種といえようか。
2011年5月15日日曜日
孫に飴を買ってやる詩
一銭 陸游
萬事紛紛不足論
滿庭枯草閉柴門
一錢留得終羞澀
持買餦餭引福孫
万事に紛々論ずるに足らず
庭に枯草満ち柴門を閉ざす
一銭留め得て終(つい)に羞渋(しゅうじゅう)
持(じ)して餦餭(あめ)を買って福孫を引(いざな)う
紛々というのは紛糾、紛争の紛だろう。紛乱だ。
些細なことが一杯。雑駁にある日々。
実態は貧乏なので忙しいのだ。
手入れも出来ない庭には
いつか雑草が茂り見苦しく枯れている。
こんな暮らしで訪ねて来る人のあてもない。
それを隠者風に柴門を閉ざすなんて言ってもみるが
実際は手元に今日残ったのは僅かな銭。
それでも、飴くらいは買えるぞと
孫を呼んで連れ立つとしよう。
こんな風に解釈できるように思うがどうか。
誘う(引う)をどう読むかだが、
飴を買ってきたので
「おいで、飴があるよ」と部屋へ孫を呼び入れるとも読める。
でもいっしょに買いにいこうと誘うほうが
いっそう楽しみはあるはずで
道連れの会話の楽しさは部屋でより多いと
陸游も感じただろうと勝手に決めて読んでみた。