最近の新聞報道で詩人パブロ・ネルーダの死が毒殺であったという疑いが濃いことが当時の関係者の証言などから明らかになり始めた。
赤旗新聞 時事ドットコム スポニチ
合法的に選挙で誕生した南米初の社会主義政権、アジェンデ大統領の政府はピノチェットを頭目とするファシストによる軍のクーデタで崩壊し、直後の大量弾圧でビクトル・ハラなど有名芸術家を含む犠牲者がでた。
その最中にノーベル賞詩人ネルーダが死去したが、病死と報じられていた。当時私たちは心労と老齢によって力尽きたのだろうとその死を悼んだ。
当時の新聞記事
しかし、チリ共産党の幹部でもあったこの偉大な愛の詩人は
クーデタ勢力と闘うためメキシコへ脱出をしようとした矢先だったこと、
薬剤を注射された直後に意識不明になり死んだという証言が出てきた。
病気ではなかったのだ。
ようやく証言することが自分の身辺に危険を及ぼさない時代になったから出てきた証言だ。
これは実はアジェンデ大統領の死にもたれている疑問を追及する中で、さまざまのことが明らかになった中の事実のひとつなのだ。
最後まで闘おうとし続けた男に毒を注射して、抵抗を止めさせることしかできなかった者たち。
彼らの惨めさとともに稀有な魂をかくも野蛮な方法で奪い去ったことへの憤りが新たに沸いてきた。
私は彼の死やアジェンデ氏の死の真相が公式に明らかにされる日がきっと来ると信じている。
1976 年にイタリア滞在中に在所の町外れで行われていたPCIのウニタ祭りを見学したとき、イタリア語とスペイン語の対訳になったネルーダ詩集を見つけ記念に買 い持ち帰った。どちらの言葉も読めるわけではないが、眺めていると同じラテン語からの派生らしい似た詩句になっているのが見つかり面白かったものだ。
翻訳で読んでもネルーダのおおきなイマジネーションの広がりと土臭いような温もりのあることばは祖国と女への尽きない愛からほとばしるのだと察せられた。
か なり以前のことだが、イタリア映画に「
郵便配達人」という若者を主人公にした作品があり、たまたま目にとまったので買ったDVDなのだが、それは政治犯と しての追及 をを逃れて、イタリアの片田舎の村はずれの一軒家に妻と二人身を潜めるネルーダに、自転車でその一軒家まで郵便を届ける無学な配達人の青年とネルーダの 友情 の物語だった。
時代の雰囲気やネルーダの詩人らしい振る舞いなど面白くまた美しいモノトーンの画面が心に残った。
ネルーダは言葉を残したし、言葉への愛を残した。
映画を見終わったとき私の中にも言葉への愛が生まれていた。
ネルーダの言葉
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わたしの詩と生活は、山の奔流のように──「南部」のアンデスの奥に源を発して太平洋をめざして流れくだるチリの激流のように、ほとばしり流れた・・・・
わたしは苦しみ、たたかい、愛し、うたった。勝利も敗北もあじわい、パンの味も血の味も知った。詩人にとって、それ以上に望ましい何があろう?涙からくち づけにいたるまで孤独から人びととのひろい触れあいにいたるまで、すべてがわたしの詩のなかに生きている。わたしは詩のために生き、詩はたたかう勇気をわ たしに与えてくれた。
わたしは文学賞を──蝶のいのちのようにはかない賞をたくさんもらった。だがわたしはまた、もっとすばらしい賞をもらった のだ。ある人たちは、その賞をあざ笑ったりするが、その人たちの手にはとうてい入らないものだ。わたしは長いこと、言葉の羅列した迷路をさまよい、審美眼 をやしない、探求をくりかえすきびしい勉強をくぐりぬけて、やっと人民の詩人となった。こういうわたしのいちばんすばらしい賞は、わたしの本や、外国語に 訳された詩集や、わたしの作品の解説書よりももっとすばらしい。そのわたしの賞とはこういうものだ──ひとりの男が、ロタの炭坑、あるいは硝石坑や銅坑の 奥底から上がってくる。もっと正確にいえば、地獄からぬけだしてくる。ひどく骨の折れる仕事で顔はゆがみ、眼はほこりで赤く血走っている。男は草原のしる しがひび割れやたことなって刻まれているざらざらした手を、わたしにさしだして、燃えるような眼をしていう。「おら、ずっと前からあんたを知っていただ、 兄弟!」わたしの生活のなかの、こういう素朴な瞬間こそ、わたしのすばらしい賞なのだ。草原のなかに掘られた坑道の穴からでてる労働者にむかって、風が、 夜が、チリの星がささやいた。「きみは孤独じゃない。きみの不幸に想いをはせている詩人がいるのだ」と。──これこそ、わたしの月桂冠なのである。
一九四五年七月十五日、わたしはチリ共産党に入党した。
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