131 子曰、 賢哉、回也、 一箪食、一瓢飲、在陋巷、 人不堪其憂、回也不改其樂。 賢哉、回也。
子曰く。
賢なるかな、 回や。
一箪(たん)の食(し)、一瓢(ぴょう)の飲、
陋巷に在り。
人はその憂いに耐えざるに、回やその楽しみを改めず。
賢なるかな、回や。
故高田渡(フォーク ミュージシャン)を何故か思い出す。
孔子の高弟というと
何だか後光が差してるような感じで
想像が先走るが、
実際は質素で温和で考え深い人。
それに下町に住んで(在陋巷)
一食は一椀の粗食と一瓢の(ワングラスの)ドリンク。
(瓢箪を半分に切った椀というのも質素そのもの、というか貧乏って事)
一生アパート暮らしで
歌と酒を愛し
人生を洞察しながら
こよなく愛した様子の
高田渡が顔回に重なって見えてしまう。
わたしにも街暮らしへの憧憬が
どこかに生まれているのかもしれない。
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