2011年5月14日土曜日

現代にも顔回はいるのさ

やれやれGoogleのBloggerが回復。 





 131 子曰、 賢哉、回也、 一箪食、一瓢飲、在陋巷、 人不堪其憂、回也不改其樂。 賢哉、回也。 


子曰く。
賢なるかな、 回や。
一箪(たん)の食(し)、一瓢(ぴょう)の飲、
陋巷に在り。
人はその憂いに耐えざるに、回やその楽しみを改めず。
賢なるかな、回や。 



故高田渡(フォーク ミュージシャン)を何故か思い出す。 










 


孔子の高弟というと 
何だか後光が差してるような感じで 
想像が先走るが、 
実際は質素で温和で考え深い人。 

それに下町に住んで(在陋巷) 
一食は一椀の粗食と一瓢の(ワングラスの)ドリンク。 
(瓢箪を半分に切った椀というのも質素そのもの、というか貧乏って事) 

一生アパート暮らしで 

歌と酒を愛し 

人生を洞察しながら 

こよなく愛した様子の 

高田渡が顔回に重なって見えてしまう。 

わたしにも街暮らしへの憧憬が 

どこかに生まれているのかもしれない。 


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