2010年11月28日日曜日
去る者来る者あり我が行くは冬日射す道
2010年11月4日木曜日
為有 李商隠 漢詩ノォト
為有 李商隠
為 有 雲 屏 無 限 嬌
鳳 城 寒 尽 怕 春 宵
無 端 嫁 得 金 龜 婿
辜 負 香 衾 事 早 朝
wèi yǒu yún bǐng wú xiàn jiāo
fēng chéng hán jǐn pà chūn xiāo
wú duān jià dé jīn guī xù
gū fù xiāng qīn shì zǎo cháo
雲屏(うんぺい)
雲母を散らしたあでやかな屏風。
実は美人をいう間接の表現。
嬌(きょう)
女性のコケットリー。愛嬌。
鳳城(ほうじょう)
鳳凰の来る城(まち)=都、京城。
具体的には長安。九重ともいう。
寒尽きて
冬がおわっって。
春宵を怕る
夜の短いことを怕(おそ)る。困るなぁという気分。
端なくも
思いがけなく。
金亀
高官にのみ与えられた金の亀形の帯留め。
香衾(こうきん)
香を焚き込めたいい匂いのする掛布団。
辜負(こふ)
そむくこと。背にして。
事(こと)とする
もっぱらにすること。
雲屏に無限の嬌あるが為に
鳳城に寒尽きて、春宵を怕る。
端なくも金亀の婿に 嫁するを得たるも
香衾を辜負して、早朝を事とせんとは。
女の器量が十分に備わっているせいで
花の都に春が来たのに夜の短さを憂えねばならぬ。
思いもかけず金亀を帯びる身分の高官の妻となったが
なんということか
夫は香しいベッドを顧みず早朝に出仕してしまうなんて
閨怨詩の一種といえようか。
うら若い女性の孤独と哀怨の風情を詠う。
当て外れな状況として孤独な閨(ねや)を描写する。
道具立ては貴重な装身具の金亀や香衾。
季節は春情の季節、春の夜。
宵は夕方でなく夜をいう字。
春宵の交歓と早朝の出仕の対比が趣向としてあるか。
鳳城は典故がある。杜甫の詩などにもでてくる。
春の長安の悩ましい夜の風情を詠っているのだが
李商隠は一筋縄ではいかない詩人で
この詩も政治的暗喩をもっているというひともあるらしい。
晩唐の詩は繊細華麗あるいは優艶。退廃と散逸に近づいているようだ。すこし難解な詩風。
本を並べて参照しながら作詞したことから李商隠は獺祭魚と綽名された。獺(カワウソ)がとった魚を岩に並べ神祭りしてから食べるように見える習性を獺祭魚と言い、書物に埋没する人士を獺祭の人というようになった。最初の獺祭魚が李商隠である。子規が獺祭書屋主人と号したところから9月19日の正岡子規の命日を獺祭忌という。日本の獺祭魚詩人は正岡子規だ。
2010年10月31日日曜日
温家宝氏が微妙な立場にあると見える
2010年10月28日木曜日
夜道を帰る
やかましいシンバル。 コリント書13:1
ぼくらは毎日大抵は
銅鑼やシンバルなのかもしれない。
自分ではやかましさに気が付かない。
わわしさに紛れている。
騒ぎながら楽しみにふけり、
虚しさを膨らませている。
それが何処ではじけているのか
知らないままだ。
風刺画そのものの我が人生を
秋風がはたはたはたと鳴らせて通る。
ぼくに一つだけ残っているもの。
この不思議なぬくもり。
これは
愛だろうか。
それとも
心惜しみ、執着の熾火なのか。
冷たい雨が履物を濡らす。
森が不意に投げた一瞥が撥ねて
眼鏡が曇る。
一夜で死んだ
たくさんの虫たちの骸。
穴の空いた栗の実。
無原罪のサンタマリアの膝の上で
息絶えたキリスト。
サンピエトロのピエタをみて
涙が止まらなかったあの頃
30歳の自分。
不信心者の信仰は
ただ愛だけ。
それなのに
曇り空の夕焼けのように
あっという間に
薄れて。
ぼくは途方に暮れて
起ち尽くす
森はずれの曲り道で。
濡れ靴が重い。
立ち止まって目を閉じて
見えない夜空を想い見る
万星渦巻くゴッホの糸杉の夜空を。
まだ道は
続いている
空までも。
ぼくは歩き続ける
小さなハートのままで。
*
2010年10月20日水曜日
無題 あるいは 66=33+33
熱帯夜に身を起こして
方形の薄闇 窓の方をみた
脇の下を伝う汗を感じながら
また目をとじると
大きな大きな夜空から
沈黙が下りてくる
何かが立ち去った
気配に
目を覚まし
それが何かを
言い当てるために
わたしはこうして 目をとじた
ことばでは言えず
足ではたどり着けない
場所へ
今さっき立ち去ったもの
それを
わたしは煙のように 追う
行かないでくれ!
と 叫んだ あの夜が
もういちど
深淵から漏れ出したように
あたりに広がってくる
みずの みずいろ
そらの そらいろ
彷徨うて 行くよ
と歌った
むかしのぼくの影が
駆け上った空
どこに
その透明な蝶は 舞うのか
泣くわたしのからだから
抜け出した百千の貴女のキスが
群舞する空は
どこ
裸足のくるぶしに
蛍ほどの灯り曳いて
亡者の貴女は
いまも居る
群星の映る水のそば
いつしか庭石に
腰を下ろして歌っている
33 たす 33
それは わたし
いちど死んで
同じだけ
もういちど生きた
立ち去ったのは
それは
わたし
残されたのは
ゼロ
66 たす ゼロ
ゼロになった
わたし
汗にまみれた
裸のこころ
生まれたばかりの
しろねずみ………
*
2010年10月15日金曜日
訃報が重なるものだ
同日に葬儀があると知らせが入る。
弟の家で嫁の母が亡くなったのだ。そちらへ行くことになった。
そういうめぐり合わせと思うほかない。
いつか裕子さんのことを聞けることもあろう。
弟のところでは彼の義母さんは静かに逝かれたとのこと。
この厳しい夏に力を出し切って乗り越えたが燃え尽きるように亡くなった。
ほかにもそのように亡くなっていく人があることだろう。
八月の十二日のことだった。
またひとつ、ぼくとこの世界を繋ぎ止めている糸が切れて
また一入ぼくの影は軽くなる。
――去年だったか一昨年だったか、
正月の宮中歌会始めの詠進歌選者として顔を見せていたのを
安堵と戸惑いをもって眺めたのを思い出す。
訃報を知って以来ずっと考え続けているのだ。
ひとに割り振られたいのちのふしぎを。
ひとりの死の乗り越えがたい大きさを
とぼとぼと孤独に越え振り向けば
もう三十年の歳月が風になって流れていた。
いままた裕子さん、貴女も死んで
ぼくの地球はまた少し小さく狭く軽くなったのだ。
ひとのブログには
11月号の文芸春秋に娘の紅さんが
最後の日々をも歌を作り続けた母との日々を綴っていると
書いている。
http://www.bunshun.jp/mag/bungeishunju/index.htm
月刊雑誌を読まないぼくでも書店の店頭で見かけるが
今月号は「医療の常識を疑え ―安心立命のための最新医学大辞典」
という特集であった。
その特集の中に
アガワのガハハで乗り切る更年期障害
阿川佐和子 間壁さよ子(神田第二クリニック院長)
と
逝く母と詠んだ歌五十三首 永田 紅
とが
挟まって収められてるのだという。
なんということだ。
NHKの論説委員が放送で子規の命日を語り末期の目で写実を続けた子規の回天のことばを取り上げたあと河野裕子の最後の日々に読まれた歌にそれを踏まえた一首があることにふれていた。
http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/61911.html
悟るというのを平気で死ねることと思ってきたが
本当は悟るというのは平気で生きていくことができるということだと。
子規は偉いひとだ。
詩人というものはどうかすると
まるであの世があるみたいに向こう側からこちらを見てしまう。
あの世などあらざるゆゑにこの世には檜扇(ひあふぎ)水仙朱く咲くなり
ゑんどうの畑に明るい月夜なり白い花たち豆になりゆく
貴女は万物と息を合わせ息づくひとだった。
逝ってしまったのだね。
貴女とぼくの共通の「もちもの」
死者の記憶。
里子さんが死んで二十五年、と添え書きして
死の後(のち)もつづく約束 女子大の坂の勾配がゆるく目に来る
約束はとても悲しい 私だけが守って果たしてそれからが無い
約束の時間のあらぬこの世には昼の陽が射し梅が咲きをり
約束を守って貴女は歌詠みの道を歩き通した。
そして逝った。
ぼくは貴女を悲しまない。
生ききった貴女は
みごとな生きている言葉の花園を残したのだから。
さようならも言わずに置こう。
京大病院への通院の帰りに立ち寄る
三月書房。
貴女も何度も立ち寄った書店で
貴女の六年前の歌集「庭」を買った。
それをゆっくりゆっくり、読んでいく。
貴女の中に生きていた かわのさとこや
貴女たちの青春からの
こだまを
歌集の中に探して
ぼくは さまようことにしよう。
夕日に肩を照らされて
暮れかかる奈良に帰り着いたことに気付く。
ぼくの地球はたしかに
すこしく軽くなりはした。
だが気づいたのだ。
ぼくの 思い出の世界は
以前より重くなったと。
2010年8月19日木曜日
2010年5月25日火曜日
痛んだ膝も少し様子がいいので気分よく出たが、午前中はまだ雨も風もひとしきり降ってやるぞというように強い雨脚でした。
午前中の続日本紀ももう残りわずか。
今日は弓削道鏡が死にました。 って千年以上前の出来事だけど。
私の仕事場のある大阪府八尾市が道鏡の出身地。
今も弓削という土地があります。 ただ地名はユーゲと発音するのですが。
由義神社(ゆげじんじゃ)もあります。道鏡を祭ってるかは知りませんが。
女帝称徳天皇が死ぬまで愛し続けた男。
僧侶なのに天皇並みに鸞輿(らんよ)に乗ったが
彼女の死後東国に左遷された。
罪人扱いで「逓送」と書かれている。
正史に道鏡は、「弓削道鏡法師死ス」と録された。
逓送と言い、死すと言う。
礼をもって送られなかった寂しい死であった。
講義を聴き終えて街に出ると雨が上がっていた。
ぼくは時々思う。
浄瑠璃寺の吉祥天のふっくらした頬とまあるい眉引きのやさしさ。
うっすら残る唇紅の赤さ。
でもぼくにはいつも、目は笑っているようには見えない。ぼくにはいつも微笑んでくれない。
子供のころからずっとそうだった。
あれは人生に悔悟を示さないぼくをじっと見据えてくる目なのかな…。
薄ら日が差している雨上がりの道路いっぱいツバメで溢れている。
ひらりひらり屋根の低い商店のひさし裏に出入りしてはにぎやかにチチチと鳴いている。
ぼくの顔に当たりそうなくらいに近く寄ってひらりとかわす。
つばめはこんな風だから雀より懐かしい野鳥なのかもしれない。
見ていていつか微笑んでいるぼくがいる。
じーっと見てやると顔を膨らませて?「アンだよ~」風に見下げる様子で、睨むのだ。
がそっちが下にいるから、どうしても見上げる動作になるので「見下げた」ふりにならない(笑)
にこにこした気分で見ていると伝わるのか、こんどもやはり気を取り直してのっそり起きてこちらへ。
尻尾をぴーんと立てて僕の右足にくっついて一廻り。
おまえ退屈なんだろ。
のら猫にしては色艶がいいし、完璧な胖猫(太猫)で過栄養。ついて来るわけでもないので飼い猫だろう。ともかくも「お知り合い」には入れて貰えたようだ(笑)
今日は朝の道でであった雨の中で草を食んでいた若い雄鹿も澄んだきれいな目をしていた。
ツバメの丸い目を間近に見たし、「チェシャ猫になり損ねました」みたいな猫の一癖ある目もみた。
動物のすぐ横をよぎるのってわくわくさせてくれる。
街中でこんな経験ができるのが奈良という土地のもつ魅力のひとつ。
お菓子を二人分二つだけ買い、パンも買って、
商店街を抜けて家路についた。