2010年10月28日木曜日

夜道を帰る


          愛がなければ、わたしは騒がしい銅鑼、
          やかましいシンバル。 コリント書13:1


ぼくらは毎日大抵は
銅鑼やシンバルなのかもしれない。

自分ではやかましさに気が付かない。
わわしさに紛れている。

騒ぎながら楽しみにふけり、
虚しさを膨らませている。
それが何処ではじけているのか
知らないままだ。

風刺画そのものの我が人生を
秋風がはたはたはたと鳴らせて通る。

ぼくに一つだけ残っているもの。
この不思議なぬくもり。

これは
愛だろうか。
それとも
心惜しみ、執着の熾火なのか。

冷たい雨が履物を濡らす。
森が不意に投げた一瞥が撥ねて
眼鏡が曇る。

一夜で死んだ
たくさんの虫たちの骸。
穴の空いた栗の実。

無原罪のサンタマリアの膝の上で
息絶えたキリスト。
サンピエトロのピエタをみて
涙が止まらなかったあの頃
30歳の自分。

不信心者の信仰は
ただ愛だけ。

それなのに
曇り空の夕焼けのように
あっという間に
薄れて。

ぼくは途方に暮れて
起ち尽くす
森はずれの曲り道で。

濡れ靴が重い。
立ち止まって目を閉じて
見えない夜空を想い見る
万星渦巻くゴッホの糸杉の夜空を。

まだ道は
続いている
空までも。
ぼくは歩き続ける
小さなハートのままで。


*

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