先週しんどくて休んだので、昨日は古代史講座に出かけた。
痛んだ膝も少し様子がいいので気分よく出たが、午前中はまだ雨も風もひとしきり降ってやるぞというように強い雨脚でした。
午前中の続日本紀ももう残りわずか。
今日は弓削道鏡が死にました。 って千年以上前の出来事だけど。
私の仕事場のある大阪府八尾市が道鏡の出身地。
今も弓削という土地があります。 ただ地名はユーゲと発音するのですが。
由義神社(ゆげじんじゃ)もあります。道鏡を祭ってるかは知りませんが。
女帝称徳天皇が死ぬまで愛し続けた男。
僧侶なのに天皇並みに鸞輿(らんよ)に乗ったが
彼女の死後東国に左遷された。
罪人扱いで「逓送」と書かれている。
正史に道鏡は、「弓削道鏡法師死ス」と録された。
逓送と言い、死すと言う。
罪人に近い書きようでよほど憎まれたものか。
礼をもって送られなかった寂しい死であった。
講義を聴き終えて街に出ると雨が上がっていた。
時はまさに遷都千三百年行事の最中。人出が多い。
むかしも今もひとは必死で幸せを探している。
ぼくは時々思う。
浄瑠璃寺の吉祥天のふっくらした頬とまあるい眉引きのやさしさ。
うっすら残る唇紅の赤さ。
でもぼくにはいつも、目は笑っているようには見えない。ぼくにはいつも微笑んでくれない。
子供のころからずっとそうだった。
あれは人生に悔悟を示さないぼくをじっと見据えてくる目なのかな…。
薄ら日が差している雨上がりの道路いっぱいツバメで溢れている。
ひらりひらり屋根の低い商店のひさし裏に出入りしてはにぎやかにチチチと鳴いている。
ぼくの顔に当たりそうなくらいに近く寄ってひらりとかわす。
つばめはこんな風だから雀より懐かしい野鳥なのかもしれない。
見ていていつか微笑んでいるぼくがいる。
目をおろすとばったり、またまた目が合った。これで二回目の胖猫(ふとねこ♪~)
じーっと見てやると顔を膨らませて?「アンだよ~」風に見下げる様子で、睨むのだ。
がそっちが下にいるから、どうしても見上げる動作になるので「見下げた」ふりにならない(笑)
にこにこした気分で見ていると伝わるのか、こんどもやはり気を取り直してのっそり起きてこちらへ。
尻尾をぴーんと立てて僕の右足にくっついて一廻り。
おまえ退屈なんだろ。
のら猫にしては色艶がいいし、完璧な胖猫(太猫)で過栄養。ついて来るわけでもないので飼い猫だろう。ともかくも「お知り合い」には入れて貰えたようだ(笑)
今日は朝の道でであった雨の中で草を食んでいた若い雄鹿も澄んだきれいな目をしていた。
ツバメの丸い目を間近に見たし、「チェシャ猫になり損ねました」みたいな猫の一癖ある目もみた。
動物のすぐ横をよぎるのってわくわくさせてくれる。
街中でこんな経験ができるのが奈良という土地のもつ魅力のひとつ。
お菓子を二人分二つだけ買い、パンも買って、
商店街を抜けて家路についた。