ちょっとしたことだけど気がつきにくい、
そんなことがよくある。
釣り愛好家が(SNSでの知人)Blogを
更新したのに気付いて拝見に行った。
Picasaのスライドショーを使って
海の写真をブログに貼り込んでいる。
ここでも山の写真をスライドにしている。
このやり方は簡単だけど
PicasaWebの場合は
ちょっと分かりにくいのだ。
Picasawebのアルバムを開き
左のオプションを見ても
リンクというURLをコピーする
選択肢はあるがスライドはない。
実はこのとき
Googleのアカウントで
表示が英語モードになっていないと
スライドショーがという
選択が出ないのだ。
英語表示にセットするには
上端の「設定」をクリックして
言語の設定の所を英語にしなくてはならない。
これでスライドショーが左に選択肢で表示される。
左の選択肢
それをクリックすると
今選択されているアルバムのスライドショーの
emned埋め込み形式でコードが表示され
表示画面サイズの選択などもできる。
これをコピーしてBlogやHPに貼り付けれわけだ。
書くと複雑みたいだが
やればあっけないこと、
簡単なのだ。
picasawebはシンプルなのが良さになっている。
flickr.comやslid.comを使ってきたが
picasaと連動してPicasawebを使いこなすのも
悪くない選択に思える。
2008年7月8日火曜日
2008年7月3日木曜日
野生の鹿は尻毛の白色がきれいだった 大台ケ原紀行
今回は友人が夫婦で来て4人組になった。
熊もいるわけだ。鈴がいるんだけどな、昼間だし、まぁ良いんだろ。
大台ケ原というと
倒木と苔
早速朽ちて苔むした老木の残骸が
僕らを見送っているのに気がついた。
さぁ始まったネイチャートレック
わくわくしてきたぞ。
→クリックすると大きなサイズのスライドを見ることができます。
2008年6月27日金曜日
牧野富太郎作の植物採集行進
2006.11.11 記のバックアップ
MOさんのホームページ渡瀬遊水池の植物に面白いものが出ています。
ここから引用○
牧野富太郎博士が明治44年に創立した東京植物同好会に植物採集行進曲というものがあったので 面白いからご紹介しておきましょう。その時代を反映してはいますが今も昔も同じ心を持った人たちの集まりだと感じます
植物採集行進曲
東京植物同好会
1
根堀り片手に胴乱下げて
今日は楽しい採集よ
採った千種(ちぐさ)の優しい花も
やがて知識の実を結ぶ
2
国の為なら草木も採れよ
君は一本僕二本
つもりつもっておし葉の山が
末は御国を輝かす
3
異国に誇る草木の数よ
すべて知らねば国の恥
心一つに力を合わせ
調べ上げましょ我がフロラ
4
多き草木を原料(もとで)に使い
産業工業盛んに起こし
民の暮らしを一層善くし
国の富をも殖やしましょ
5
草木(くさき)可愛いの心をひろめ
愛し合いましょ吾等同士(どし)
思い遣(や)りさえこの世にあらば
世界(せか)や平和で万々歳
(関本平八 1941 『栃木県植物総覧』から引用)
○ ここまで引用
ね、面白いでしょう。
おじさんたちが会でそろって歌ってる姿想像できてしまうおもしろさ。
植物採集に行進曲があったことが、面白いのに加えて、
明治44年という殖産興業、富国強兵の時代の息吹が反映して勇ましい感じがあるし、
でも、最後に歌われているのは、
やっぱり『愛と平和』。
草木を愛する人々の平和な世界的連帯なんだという、おもしろさ。
そう思いませんか?
SNS的スピリットのルーツのひとつは
『人と事物への愛』(物欲じゃなく!)
と改めて感じます。
MOさんのホームページ渡瀬遊水池の植物に面白いものが出ています。
ここから引用○
牧野富太郎博士が明治44年に創立した東京植物同好会に植物採集行進曲というものがあったので 面白いからご紹介しておきましょう。その時代を反映してはいますが今も昔も同じ心を持った人たちの集まりだと感じます
植物採集行進曲
東京植物同好会
1
根堀り片手に胴乱下げて
今日は楽しい採集よ
採った千種(ちぐさ)の優しい花も
やがて知識の実を結ぶ
2
国の為なら草木も採れよ
君は一本僕二本
つもりつもっておし葉の山が
末は御国を輝かす
3
異国に誇る草木の数よ
すべて知らねば国の恥
心一つに力を合わせ
調べ上げましょ我がフロラ
4
多き草木を原料(もとで)に使い
産業工業盛んに起こし
民の暮らしを一層善くし
国の富をも殖やしましょ
5
草木(くさき)可愛いの心をひろめ
愛し合いましょ吾等同士(どし)
思い遣(や)りさえこの世にあらば
世界(せか)や平和で万々歳
(関本平八 1941 『栃木県植物総覧』から引用)
○ ここまで引用
ね、面白いでしょう。
おじさんたちが会でそろって歌ってる姿想像できてしまうおもしろさ。
植物採集に行進曲があったことが、面白いのに加えて、
明治44年という殖産興業、富国強兵の時代の息吹が反映して勇ましい感じがあるし、
でも、最後に歌われているのは、
やっぱり『愛と平和』。
草木を愛する人々の平和な世界的連帯なんだという、おもしろさ。
そう思いませんか?
SNS的スピリットのルーツのひとつは
『人と事物への愛』(物欲じゃなく!)
と改めて感じます。
2008年6月20日金曜日
三人で二上山へのぼった。再登は何年ぶりか…
歩きながら「風の王国」のシーンが影絵のように見えてきたひと時。
【画面をクリックするとPicasaのWebアルバム画面になり大きなサイズ画像でみられます】
飛ぶ鳥のように雄岳から雌岳へ登って行く一群の者たちのシルエットを追うYohでありました。
2008年6月19日木曜日
飛行石が有ったら買いますか?
2006.11.15 09:38 これはあるSNSで書いていたもののバックアップです。
天空の城ラピュタに出てくる
舞台回しのあの素敵な石。飛行石。
飛行石がもし誰かの手にあったとする
あなたは買いますか
買って飛んでみます?
ふと、そう思いました。
---- 書きかけたらコメントがいっぱい。ありがとう。
うふふ、思った通りのコメント、みなさんありがとう。
もし「飛行石を売ってあげる」
と言われたら
「欲しい」
ですよね。
問題は、
お金で買った場合でも
飛行石はちゃんと飛んでくれるのだろうか?
という疑問を、みんなが持つかどうか。
だったんです、
ふと思ったという、その中味は。
昔話の『夕鶴』の主人公、与兵衛のように、
黄金の「買う力」を持ってしまった者には、
もう「つう」の純粋な心が見えない。
そのような変化が、
買った者と飛行石の間に
起こることはないのだろうか?
『天空の城ラピュタ』では、
そこまでは語られていないが。
洞窟の中のシーンで
それが暗示されていたように、ぼくは感じる。
だって、洞窟では
『人に感応する石たち』のさざめきがあったから。
交換という行為。
『物を物として扱う』行為を通しても、
石のもつ神秘な力は手に入ると、
今時の人間、
ぼくらは無反省に思ってしまうけれど。
石に込められた力は、
石をもつ者の人格的な質が鍵となって
パワーを発現する、
そういうものじゃないのかなぁ。
だから、飛べるのかな?
と、思うのだった。
石が歌う、
或いは石が突然輝く、
まるで意思が有るように
でもそれは
そこに無媒介でヒトがいるから。
いなければ石は寡黙なままだろう。
人と人が惹かれ合うように、
石とヒトも響き会う。
人がもつ善なる要素に感じて
石は浮上し
石は歌うに違いないと…
-追記-
飛行石の写真を見つけました(笑)
掲載されてる写真をクリックすると
拡大で見られます。
記事も読んであげて、
ちょっと不思議ですから。
天空の城ラピュタに出てくる
舞台回しのあの素敵な石。飛行石。
飛行石がもし誰かの手にあったとする
あなたは買いますか
買って飛んでみます?
ふと、そう思いました。
---- 書きかけたらコメントがいっぱい。ありがとう。
うふふ、思った通りのコメント、みなさんありがとう。
もし「飛行石を売ってあげる」
と言われたら
「欲しい」
ですよね。
問題は、
お金で買った場合でも
飛行石はちゃんと飛んでくれるのだろうか?
という疑問を、みんなが持つかどうか。
だったんです、
ふと思ったという、その中味は。
昔話の『夕鶴』の主人公、与兵衛のように、
黄金の「買う力」を持ってしまった者には、
もう「つう」の純粋な心が見えない。
そのような変化が、
買った者と飛行石の間に
起こることはないのだろうか?
『天空の城ラピュタ』では、
そこまでは語られていないが。
洞窟の中のシーンで
それが暗示されていたように、ぼくは感じる。
だって、洞窟では
『人に感応する石たち』のさざめきがあったから。
交換という行為。
『物を物として扱う』行為を通しても、
石のもつ神秘な力は手に入ると、
今時の人間、
ぼくらは無反省に思ってしまうけれど。
石に込められた力は、
石をもつ者の人格的な質が鍵となって
パワーを発現する、
そういうものじゃないのかなぁ。
だから、飛べるのかな?
と、思うのだった。
石が歌う、
或いは石が突然輝く、
まるで意思が有るように
でもそれは
そこに無媒介でヒトがいるから。
いなければ石は寡黙なままだろう。
人と人が惹かれ合うように、
石とヒトも響き会う。
人がもつ善なる要素に感じて
石は浮上し
石は歌うに違いないと…
-追記-
飛行石の写真を見つけました(笑)
掲載されてる写真をクリックすると
拡大で見られます。
記事も読んであげて、
ちょっと不思議ですから。
2008年6月14日土曜日
???D灰って何???
http://www.dgray-man.com/
とほっ D灰って何よ…
CURURUで最初のコメント入れてくれたのが㊥2の女の子。
中二だよ(孫がいたらこれくらいかも)
で、その子のブログ見に行ったら、
言語学的混乱に陥った(笑)
D灰がどうたらこうたら…(目がテンだ)
だいぶ考えあぐね時間が経ってから
諦めて試しにググッたら(Google)出てきた(!)
普通名詞じゃないかっーAhh。
結局は
D Gray man
というアニメの略語なんだね。
D+灰(グレイ)な訳か。
でもYohのちょっと好きな世界じゃないか。
エクソシストがうようよいたりして…
好奇心を失わないのが老人力の源、と
D灰くらいにたじろがないたじろがない。
ふ。
ぼくのYoutubeでのお気に入りの一つ
行き帰りに散策する興福寺で
若い時は
鹿などに興味はなかった。
それがどうだ。
気づくと佇んで観察している自分がいる。
若い雄鹿の美しい角に見とれる。
なかなかハンサムじゃないか。
足元には松笠がたくさん落ちている。
芝の上は
他にも落し物は多い。
勿論。
鹿の糞(フン)です(笑)
しとしと芝を濡らしていく通り雨も
奈良には似つかわしい落し物であるかも。
わたくしYohもたいてい何か落し物していきます。
長いあと引く溜息とか
びっくりマークとか
今日はたっぷり聴かせてもらった
ショクニホンギの第十五巻の数条から
生まれ落ちたため息やビックリさんたちである。
地下にある近鉄奈良駅に隣りするスターバックスで
安コーヒを飲みマッフィンを頬張って
帰る道すがら週に一度の短い幸福が
足取りを軽くしてくれる。
公園の鹿たちのまなざしも
澄んできれいに見える気がするのは
気の所為でしかないだろうが。
あとはどれかの店によって
カミサンの「おかき」を
購って帰るだけという安心感…
若い人たちには気付きにくい
ちいさな安らぎだ。
鹿などに興味はなかった。
それがどうだ。
気づくと佇んで観察している自分がいる。
若い雄鹿の美しい角に見とれる。
なかなかハンサムじゃないか。
足元には松笠がたくさん落ちている。
芝の上は
他にも落し物は多い。
勿論。
鹿の糞(フン)です(笑)
しとしと芝を濡らしていく通り雨も
奈良には似つかわしい落し物であるかも。
わたくしYohもたいてい何か落し物していきます。
長いあと引く溜息とか
びっくりマークとか
今日はたっぷり聴かせてもらった
ショクニホンギの第十五巻の数条から
生まれ落ちたため息やビックリさんたちである。
地下にある近鉄奈良駅に隣りするスターバックスで
安コーヒを飲みマッフィンを頬張って
帰る道すがら週に一度の短い幸福が
足取りを軽くしてくれる。
公園の鹿たちのまなざしも
澄んできれいに見える気がするのは
気の所為でしかないだろうが。
あとはどれかの店によって
カミサンの「おかき」を
購って帰るだけという安心感…
若い人たちには気付きにくい
ちいさな安らぎだ。
2008年5月28日水曜日
予告編見たが 良さそうだね
<いいもの観たい>
「西の魔女が死んだ」
「ぐるりのこと」
上映場所
http://www.gururinokoto.jp/theaters/
どちらも「トラウマ」や「こころの深層」のことが背景にあって生きるってことを真面目に切なく考えさせてくれるものだろうと予想している。
とくに「ぐるりのこと」は身につまされる予感がある。
美術を学んで、でも美術家ではない生き方を選んで…
夫婦に降りかかるありふれただが深刻な葛藤…
心の闇、それを見守るほかない夫…
自分の人生に重ねてみるだろうなと、思っている。少しためらったがやっぱり見に行こう。
同時に見れるのは上映日程から21日だけ。
もしだめなら「ぐるりのこと」を選ぼうかなとおもう。
「西の魔女が死んだ」
「ぐるりのこと」
上映場所
http://www.gururinokoto.jp/theaters/
どちらも「トラウマ」や「こころの深層」のことが背景にあって生きるってことを真面目に切なく考えさせてくれるものだろうと予想している。
とくに「ぐるりのこと」は身につまされる予感がある。
美術を学んで、でも美術家ではない生き方を選んで…
夫婦に降りかかるありふれただが深刻な葛藤…
心の闇、それを見守るほかない夫…
自分の人生に重ねてみるだろうなと、思っている。少しためらったがやっぱり見に行こう。
同時に見れるのは上映日程から21日だけ。
もしだめなら「ぐるりのこと」を選ぼうかなとおもう。
これから読みたい2冊の本 自分用覚え
かはたれ―散在ガ池の河童猫 (福音館創作童話シリーズ) (単行本)
朽木 祥 (著), 山内 ふじ江
価格: | ¥ 1,575 (税込) |
河童のこどもがやってきた。小さな猫に姿を変えて…。かはたれ、それは魔法の解ける時間。今まで見えなかったものが見えてくる。心の問題を抱える少女・麻と、河童のこども・八寸との、ユーモアと感動に満ちたファンタジー。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
朽木 祥
1957年、広島市に生まれる。被爆二世。上智大学大学院博士前期課程修了。
2002年より児童文学の創作を始める
山内 ふじ江
1946年、栃木県に生まれる。東京芸術大学油絵科卒業
価格: | ¥ 1,365 (税込) |
内容(「MARC」データベースより)
転校生の名前は、いつも「ユウキ」。祐基、悠樹、勇毅…、思い出と痛みを残して去っていった転校生たち。そして今、ケイタの目の前に、長い髪をしたひとりの女の子が現われた…。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
伊藤 遊
1959年生まれ。京都市出身。立命館大学文学部史学科卒業。96年、はじめての長編「なるかみ」が、児童文学ファンタジー大賞・佳作を受賞、97年には「鬼の橋」で同大賞を受賞。これまでの刊行作品に、『鬼の橋』(98年、福音館書店/産経児童出版文化賞・推薦)、『えんの松原』(2001年、同/産経児童出版文化賞および日本児童文学者協会新人賞)がある。札幌市在住
上出 慎也
1963年生まれ。石川県出身。金沢美術工芸大学美術学科卒業、同大学院美術工芸研究科修了。高校時代、8ミリ映画制作(クレイアニメ)に没頭。その後油絵を始め、画家・鴨居玲に傾倒する。大学院修了後、都市計画関連の会社で、都市景観やまちづくり業務に十二年間従事した。現在、フリーのイラストレーター、画家として、絵本・イラストレーション制作を中心に活動。石川県在住
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