2007年4月3日火曜日
月齢カレンダーでは3日が満月
西行が見た桜と満月?
今年は四月三日が旧暦の二月十五日。
満月の宵となる。
西行法師の終焉の地、弘川寺の桜は七分咲きとのこと。
歌に詠んだとおりに如月の満月の日に生涯を終えた西行。
生駒葛城山系の東面、西方浄土に向いた土地に庵をしつらえ
沈む夕日に日相観の日々。
桜越しに見る月は満月に至って仏道の悟りを現すと観じられ、
円月の下に大往生を願った。
歌をもって求道した西行法師は、日本の芸術家の雛形・理想型。
宿を借ろうとして江口の遊女妙さんには断られていますので、
ただの行い澄ました出家ではありませんでした。
自然を人生の鑑として生き、自然へと帰っていった詩人でしょう。
その最期の地に行って咲き、また散る花びらを眺めたい。
四月三日は晴れと予報がでた。黄砂に妨げられてもいい。
その場所で会えるように思うのだ。西行の精神、魂のとの邂逅。
ただの幻影かもしれないが…
2007年4月2日月曜日
想い出の中の風景たち
2007.04.02 02:46
長谷川素逝さんは、大阪生まれで三重県育ち
京大国文科をでて教鞭をとったのも三重県の津だった。
将来を嘱望された人だったが、結核で早世した。
40歳、昭和21年10月10日に亡くなった。
木蓮の白い色が空間を埋めるように浮かんでいる
鳥が飛び立ち翔けていく。
揺れる枝がまるで光を放つようにみえる。白い眩めき。
そのまま絵を見ているような句。
湯上りの濡れた髪のままで夕日の差す戸外へ出てきた
子供らのさんざめきの声。谷間は全て夕日に染まっている。
ここは温泉の湧く山里なのだ。
二つとも三重県で詠まれた句だ。
自然への透徹した観察があり、落ち葉の句に優れたものが
多かったので落ち葉の詩人と呼ぶひともいた。
玉のごとき大秋日和賜りし という一句を
よく晴れた秋の日の朝に生まれた赤子に贈った。
贈られた赤子がじつはぼくである。
戦時下で物のない時代、造幣局の肝いりでの句会は
膳にでるものが豊かだった。若い素逝さんも空腹を抱え
句会に来ていたのだろうと思う。父とは仲のいい師と弟子
だったと聞いている。
中学生になり授業で俳句に触れ家の本箱にあった素逝さんの
『砲車』という句集を開いたのが長じた赤子と素逝さんとの
再会だった。既に故人となっておられたが。
素逝さんがどのように俳句の指導をしたかを、その後
父から聞く機会があり、それが今も俳句を読むときの
価値観になっている気がする。ぼくは私的な孫弟子かな。
これからも時々思い出してはこの方の俳句を読み返すだろう。
長谷川素逝さんは、大阪生まれで三重県育ち
京大国文科をでて教鞭をとったのも三重県の津だった。
将来を嘱望された人だったが、結核で早世した。
40歳、昭和21年10月10日に亡くなった。
木蓮の白い色が空間を埋めるように浮かんでいる
鳥が飛び立ち翔けていく。
揺れる枝がまるで光を放つようにみえる。白い眩めき。
そのまま絵を見ているような句。
湯上りの濡れた髪のままで夕日の差す戸外へ出てきた
子供らのさんざめきの声。谷間は全て夕日に染まっている。
ここは温泉の湧く山里なのだ。
二つとも三重県で詠まれた句だ。
自然への透徹した観察があり、落ち葉の句に優れたものが
多かったので落ち葉の詩人と呼ぶひともいた。
玉のごとき大秋日和賜りし という一句を
よく晴れた秋の日の朝に生まれた赤子に贈った。
贈られた赤子がじつはぼくである。
戦時下で物のない時代、造幣局の肝いりでの句会は
膳にでるものが豊かだった。若い素逝さんも空腹を抱え
句会に来ていたのだろうと思う。父とは仲のいい師と弟子
だったと聞いている。
中学生になり授業で俳句に触れ家の本箱にあった素逝さんの
『砲車』という句集を開いたのが長じた赤子と素逝さんとの
再会だった。既に故人となっておられたが。
素逝さんがどのように俳句の指導をしたかを、その後
父から聞く機会があり、それが今も俳句を読むときの
価値観になっている気がする。ぼくは私的な孫弟子かな。
これからも時々思い出してはこの方の俳句を読み返すだろう。
2007年3月31日土曜日
2007年3月29日木曜日
とうとうこの里にも桜の便りが
春の宵は柔らかですね
2007.03.29 13:21
千金の価値というが、
本当につくづく頷ける歳(年齢)になった。
ぼくは与謝蕪村の春の句に好きなものが多い。
一番ぴったり来る蕪村の解説(研究)は
与謝蕪村の小さな世界
著者の他の本
蕪村の細やかな季節感に触れると
成熟した江戸時代の町人文化の凄味さえ感じる。
それに比べられたら困るけれど、
所用で妻が実家へ去んだ夕べ、
手持ち無沙汰で台所で手酌で呑む厨酒も
春の宵に似合う気がします。
千金の価値というが、
本当につくづく頷ける歳(年齢)になった。
ぼくは与謝蕪村の春の句に好きなものが多い。
一番ぴったり来る蕪村の解説(研究)は
与謝蕪村の小さな世界
著者の他の本
蕪村の細やかな季節感に触れると
成熟した江戸時代の町人文化の凄味さえ感じる。
それに比べられたら困るけれど、
所用で妻が実家へ去んだ夕べ、
手持ち無沙汰で台所で手酌で呑む厨酒も
春の宵に似合う気がします。
朝霧の中をでかけた
2007.03.28 23:20
朝7時、辺りは深い霧に包まれて濡れていた。
自分だけが浮遊して白い空間を流されている気分。
鴬がさかんに鳴いて、まるで桃源郷への細路を辿る
樵のような陶然とした心地だ。
今朝は母の通院の日。マイカー出勤の車の群れに遭遇。
遅刻しそうであせり、桃源郷の気分もどこへやら。
「これ何?」
「前に作ったんよ、帯の古きれやったかな…」
「桜のころやからな…」
「これもかいな… イソギンチャク見たいやけど…(笑)」
「…」「決め込み人形習う前にな、習うていたんや」
母は多くの趣味をチョットだけ齧るのだ。
深入りしない。ただ踊りだけは続いている。
よほど好きなんだろうな。
八十過ぎて藤娘やったんだったものな…(汗)
その昔からの元気さが戻ってきたようでうれしい。
検査値もみな正常値だ。範囲内に収まった。
脚が腫れ気味だが腎臓は正常に機能してる。
クレアチニンが普通値だ。有り難いことだ。
(頭髪も少し伸びて本人はとっても嬉しいのだ)
母を残して八尾へ走った。
朝の霧の光景を思い出して、帰宅の路は
久しぶりに生駒山を越えることにしようときめた。
道から桜やエニシダやゆきやなぎが見られるだろう。
お目当ては、辛夷と白木蓮だ。
思い通りいっぱい花が見られた。
母のこと、花咲く山道。光は輝かなくても
偏在するものだ。今日は身の内が感謝と言う光に
充たされた一日だった。
ありがとう、ありがとう。
そう黙語しながら走り続けた。
朝7時、辺りは深い霧に包まれて濡れていた。
自分だけが浮遊して白い空間を流されている気分。
鴬がさかんに鳴いて、まるで桃源郷への細路を辿る
樵のような陶然とした心地だ。
今朝は母の通院の日。マイカー出勤の車の群れに遭遇。
遅刻しそうであせり、桃源郷の気分もどこへやら。
「これ何?」
「前に作ったんよ、帯の古きれやったかな…」
「桜のころやからな…」
「これもかいな… イソギンチャク見たいやけど…(笑)」
「…」「決め込み人形習う前にな、習うていたんや」
母は多くの趣味をチョットだけ齧るのだ。
深入りしない。ただ踊りだけは続いている。
よほど好きなんだろうな。
八十過ぎて藤娘やったんだったものな…(汗)
その昔からの元気さが戻ってきたようでうれしい。
検査値もみな正常値だ。範囲内に収まった。
脚が腫れ気味だが腎臓は正常に機能してる。
クレアチニンが普通値だ。有り難いことだ。
(頭髪も少し伸びて本人はとっても嬉しいのだ)
母を残して八尾へ走った。
朝の霧の光景を思い出して、帰宅の路は
久しぶりに生駒山を越えることにしようときめた。
道から桜やエニシダやゆきやなぎが見られるだろう。
お目当ては、辛夷と白木蓮だ。
思い通りいっぱい花が見られた。
母のこと、花咲く山道。光は輝かなくても
偏在するものだ。今日は身の内が感謝と言う光に
充たされた一日だった。
ありがとう、ありがとう。
そう黙語しながら走り続けた。
2007年3月28日水曜日
MySpaceのミュージックVIDEOを貼り付けてみる
tamurapan:「お前ぶただな〜送らぬ手紙〜」PV
何もかも一人でやっているらしい、
田村さんという
シンガーソングライターのこれから出るアルバムの
収録されている歌だそうです。
ちょっと 気に入りました。
MySpaceでの最初の私のFriendになりました。
ありがとう。
HP:http://www12.plala.or.jp/vitality/tamurapan/
回転木馬
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