2014年5月6日火曜日
日中不再戦。二度と日本と中国は戦争をしない。 このことをいつもいつも思いながら 詩を読み学び考えて行きたい
唐詩を読む会に行って来ました。
『唐詩三百首』の鄭畋「馬嵬坡」。
遥かな遠い過去の詩を読むといっても
読み方によっては徒事ではないものを 自分の心身に抱え込むことにもなります。
日中不再戦。二度と日本と中国は戦争をしない。
このことをいつもいつも思いながら 詩を読み学び考えて行きたいのです。
そのためには本当に物事を丁寧に深く真面目に考えなくてはと思うのです。
日本でも中国でも帝国主義の侵略戦争に反対し
両国民と世界の平和を願う民衆のために頑張った知識人達がいた。
今もまた新たにそういう交流と連帯が見直され作り直され固められなければならない時期にあると感じます。
一通の電報の弔文。
日本のプロレタリア文学の旗手の一人小林多喜二が警察署で特高警察に虐殺されたことに対して中国より届いたもの。
「日本と支那との大衆はもとより兄弟である。
資産階級は大衆をだまして其の血で界(さかい)を描いた、又描きつつある。
しかし無産階級と其の先駆達は血でそれを洗っている。
同志小林の死は其の実証の一つだ。
我々は知っている、我々は忘れない。
我々は堅く同志小林の血路に沿って前進し握手するのだ。
魯迅 」
この歴史に残る文章は中国の著名な作家魯迅のものだ。
この後多喜二の遺族への救援資金の寄付呼びかけ文の起草に参加し呼びかけ人署名にも名を連ねた丁玲の夫もこの二年前に国民党の特務に暗殺されている。
両国で行動する知識人は血の弾圧を受けながらも連帯を諦めなかった。
ここにある情熱的友誼の精神は消えてしまうのか?
日本人も中国人も、今とっくりと考えるべきではないか。
かって流された血と涙の記憶とともに日中平和友好条約が存在することを。
中国人の愛国有理とか日本人の嫌中とかは
その無知と自大からしか出てこないのではないか。
自分の水準点、立脚点を固めるために
私は私の愛する詩を深く深く読みたいと 思う。
動かないために、動かされないために。
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