2010年11月4日木曜日

為有 李商隠   漢詩ノォト 

為有     李商隠

為 有 雲 屏 無 限 嬌

鳳 城 寒 尽 怕 春 宵

無 端 嫁 得 金 龜 婿

辜 負 香 衾 事 早 朝


wèi yǒu yún bǐng wú xiàn jiāo

fēng chéng hán jǐn pà chūn xiāo

wú duān jià dé jīn guī xù

gū fù xiāng qīn shì zǎo cháo



雲屏(うんぺい) 

雲母を散らしたあでやかな屏風。

実は美人をいう間接の表現。

嬌(きょう)     

女性のコケットリー。愛嬌。

鳳城(ほうじょう) 

鳳凰の来る城(まち)=都、京城。

具体的には長安。九重ともいう。

寒尽きて      

冬がおわっって。

春宵を怕る     

夜の短いことを怕(おそ)る。困るなぁという気分。

端なくも       

思いがけなく。

金亀         

高官にのみ与えられた金の亀形の帯留め。

香衾(こうきん)   

香を焚き込めたいい匂いのする掛布団。

辜負(こふ)     

そむくこと。背にして。

事(こと)とする   

もっぱらにすること。


  雲屏に無限の嬌あるが為に

  鳳城に寒尽きて、春宵を怕る。

  端なくも金亀の婿に 嫁するを得たるも

  香衾を辜負して、早朝を事とせんとは。



女の器量が十分に備わっているせいで

花の都に春が来たのに夜の短さを憂えねばならぬ。

思いもかけず金亀を帯びる身分の高官の妻となったが

なんということか

夫は香しいベッドを顧みず早朝に出仕してしまうなんて



閨怨詩の一種といえようか。

うら若い女性の孤独と哀怨の風情を詠う。

当て外れな状況として孤独な閨(ねや)を描写する。

道具立ては貴重な装身具の金亀や香衾。

季節は春情の季節、春の夜。

宵は夕方でなく夜をいう字。

春宵の交歓と早朝の出仕の対比が趣向としてあるか。

鳳城は典故がある。杜甫の詩などにもでてくる。

春の長安の悩ましい夜の風情を詠っているのだが

李商隠は一筋縄ではいかない詩人で

この詩も政治的暗喩をもっているというひともあるらしい。

晩唐の詩は繊細華麗あるいは優艶。退廃と散逸に近づいているようだ。すこし難解な詩風。

本を並べて参照しながら作詞したことから李商隠は獺祭魚と綽名された。獺(カワウソ)がとった魚を岩に並べ神祭りしてから食べるように見える習性を獺祭魚と言い、書物に埋没する人士を獺祭の人というようになった。最初の獺祭魚が李商隠である。子規が獺祭書屋主人と号したところから9月19日の正岡子規の命日を獺祭忌という。日本の獺祭魚詩人は正岡子規だ。


2010年10月31日日曜日

温家宝氏が微妙な立場にあると見える

ここのところの色々の情報からみて
温家宝氏に向けて礫が飛んでいるように見えるが。

中国社会の発展する勢いの様々な矛盾にとんだ局面の一つだろうが
どうなっていくのか。

『燕山夜話』という本を古本屋で今日買った。
昔一度読んだ本だがすっかり忘れてこんな本だったかいな、という調子だった。

毎日新聞社の出したものだった。
当時は日本人にとって「読んでみたい本」だった。

『海瑞罷官』とこの『燕山夜話』とが「文革」(プロレタリア文化大革命)の口火だったからだ。

この本の終わりに追加で桃文元の「批判論文」が収められている。

「三か村」と言われた北京の三人の文筆家はその後失脚し死に追いやられた。

今読み返してみると
「批判論文」というものの拙劣に驚く。
終始一貫これ「難癖とねつ造」だけで出来ていると感じる。

学術論文としてなら到底通用しないだろう代物だ。
これが文化を看板にしながら最初から最後まで政治闘争だったことの証となっている。
政治論文がこれで良いという訳はない。

だが政治論文が政治的道具であることは紛れもないことだし
目標を批判することに機能があることも事実だ。
機能が優先され事実や真実が踏みにじられていても通用したのはなぜか。

論文外の権威の体系が作り出している文脈がそれを正当化していったからだ。


今回の中国の動きをあの頃と単純に重ねるわけにはいかないが
<政治的文脈>が貫徹するか
論争で決着がついてゆくか。

今の中国指導部の理論的政策的能力と組織運営の実力がここで見えてきそうだ。
党と政府と軍という体系の中で何が問題解決の決め手となっていくか、そこに着目して
経過を見つめることになろう。








2010年10月28日木曜日

夜道を帰る


          愛がなければ、わたしは騒がしい銅鑼、
          やかましいシンバル。 コリント書13:1


ぼくらは毎日大抵は
銅鑼やシンバルなのかもしれない。

自分ではやかましさに気が付かない。
わわしさに紛れている。

騒ぎながら楽しみにふけり、
虚しさを膨らませている。
それが何処ではじけているのか
知らないままだ。

風刺画そのものの我が人生を
秋風がはたはたはたと鳴らせて通る。

ぼくに一つだけ残っているもの。
この不思議なぬくもり。

これは
愛だろうか。
それとも
心惜しみ、執着の熾火なのか。

冷たい雨が履物を濡らす。
森が不意に投げた一瞥が撥ねて
眼鏡が曇る。

一夜で死んだ
たくさんの虫たちの骸。
穴の空いた栗の実。

無原罪のサンタマリアの膝の上で
息絶えたキリスト。
サンピエトロのピエタをみて
涙が止まらなかったあの頃
30歳の自分。

不信心者の信仰は
ただ愛だけ。

それなのに
曇り空の夕焼けのように
あっという間に
薄れて。

ぼくは途方に暮れて
起ち尽くす
森はずれの曲り道で。

濡れ靴が重い。
立ち止まって目を閉じて
見えない夜空を想い見る
万星渦巻くゴッホの糸杉の夜空を。

まだ道は
続いている
空までも。
ぼくは歩き続ける
小さなハートのままで。


*

2010年10月20日水曜日

無題  あるいは 66=33+33

熱帯夜に身を起こして

方形の薄闇 窓の方をみた


脇の下を伝う汗を感じながら

また目をとじると

大きな大きな夜空から

沈黙が下りてくる


何かが立ち去った

気配に

目を覚まし

それが何かを

言い当てるために

わたしはこうして 目をとじた


ことばでは言えず

足ではたどり着けない

場所へ

今さっき立ち去ったもの

それを

わたしは煙のように 追う



行かないでくれ!

と 叫んだ あの夜が

もういちど

深淵から漏れ出したように

あたりに広がってくる


みずの みずいろ

そらの そらいろ

彷徨うて 行くよ


と歌った

むかしのぼくの影が

駆け上った空

どこに

その透明な蝶は 舞うのか



泣くわたしのからだから

抜け出した百千の貴女のキスが

群舞する空は

どこ


裸足のくるぶしに

蛍ほどの灯り曳いて

亡者の貴女は

いまも居る

群星の映る水のそば


いつしか庭石に

腰を下ろして歌っている



33 たす 33

それは わたし


いちど死んで

同じだけ

もういちど生きた


立ち去ったのは

それは

わたし


残されたのは

ゼロ


66 たす ゼロ

ゼロになった

わたし



汗にまみれた

裸のこころ


生まれたばかりの

しろねずみ………




*


2010年10月15日金曜日

訃報が重なるものだ

この17日に歌人河野裕子を偲ぶ会が京都であることになっているが、
同日に葬儀があると知らせが入る。
弟の家で嫁の母が亡くなったのだ。そちらへ行くことになった。
そういうめぐり合わせと思うほかない。
いつか裕子さんのことを聞けることもあろう。

弟のところでは彼の義母さんは静かに逝かれたとのこと。
この厳しい夏に力を出し切って乗り越えたが燃え尽きるように亡くなった。
ほかにもそのように亡くなっていく人があることだろう。