2014年5月9日金曜日

短歌 

きのふの空のありどころ: 短歌 対象を失うということ:


   二人見し海こゑもなく動きけり術なくひとり送りし夜を

  人ごこち忘れ果てたる荒ら身は湯舟に深く深く沈めり


 荒ら : あばら



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俳句 いのちの季節・初夏

何としよう、連休に家で疲れたのか?転寝してしまった。とほほだ。
昼だ昼餉の支度に取り掛かろう。

目が覚めたら手もとに立てたホワイトボードの句が手直しを求めていたので直してみた。
いのちの歌う歌が俳句といえる自然さをめざすのだと、思うのだが、はてさて。人目に晒すのが一番、自分から切り離すと客観視に近づくと思う。日記みたいなものが、ちょっとだけ自立して詩になる、それが嬉し。

#俳句 #燕 #夏の雷 #病葉 #わくらば #緑濃し

 つばくらや向かいの猫の老いにけり

 夜みたび鏡ひかりぬ夏の雷

 病葉や皆約束を生くるなり

 約あれば樹は日をかさね緑濃し

病葉:わくらば

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俳句 草の家



蒼天や草の奥処に草の家



俳句 緑内障又すすむ


眼の隅に土星は見えつ遠蛙



2014年5月6日火曜日

俳句 季は初夏へ





俳句 季は初夏へ

    萬緑や七つ曲がれば湖光る

   初夏の風家出の猫が坂を往く

   瀬音聞くバイクの旅や夏木立

   クロッキー重ねて画紙に余花の妻

   青天井さて、まだ鳴かぬ里の蝉

日中不再戦。二度と日本と中国は戦争をしない。 このことをいつもいつも思いながら 詩を読み学び考えて行きたい



唐詩を読む会に行って来ました。
『唐詩三百首』の鄭畋「馬嵬坡」。 

遥かな遠い過去の詩を読むといっても 
読み方によっては徒事ではないものを 自分の心身に抱え込むことにもなります。 

日中不再戦。二度と日本と中国は戦争をしない。 
このことをいつもいつも思いながら 詩を読み学び考えて行きたいのです。

 そのためには本当に物事を丁寧に深く真面目に考えなくてはと思うのです。 

日本でも中国でも帝国主義の侵略戦争に反対し 
両国民と世界の平和を願う民衆のために頑張った知識人達がいた。 

今もまた新たにそういう交流と連帯が見直され作り直され固められなければならない時期にあると感じます。 

一通の電報の弔文。

 日本のプロレタリア文学の旗手の一人小林多喜二が警察署で特高警察に虐殺されたことに対して中国より届いたもの。

 「日本と支那との大衆はもとより兄弟である。 
資産階級は大衆をだまして其の血で界(さかい)を描いた、又描きつつある。

 しかし無産階級と其の先駆達は血でそれを洗っている。

 同志小林の死は其の実証の一つだ。
 我々は知っている、我々は忘れない。 
我々は堅く同志小林の血路に沿って前進し握手するのだ。 
                                          魯迅 」 

この歴史に残る文章は中国の著名な作家魯迅のものだ。

 この後多喜二の遺族への救援資金の寄付呼びかけ文の起草に参加し呼びかけ人署名にも名を連ねた丁玲の夫もこの二年前に国民党の特務に暗殺されている。 

両国で行動する知識人は血の弾圧を受けながらも連帯を諦めなかった。 

ここにある情熱的友誼の精神は消えてしまうのか?

 日本人も中国人も、今とっくりと考えるべきではないか。 

かって流された血と涙の記憶とともに日中平和友好条約が存在することを。

 中国人の愛国有理とか日本人の嫌中とかは 
その無知と自大からしか出てこないのではないか。 

自分の水準点、立脚点を固めるために

 私は私の愛する詩を深く深く読みたいと 思う。

動かないために、動かされないために。

俳句 アライグマ出現す


浣熊軒に睨めり 四月尽

妻と茶の庭草丈の高いこと

手の入らぬ庭も風来て立夏なり



2014年5月4日日曜日

俳句 燕の巣作り

燕が巣をつくっている

 星有って眠れつばくら絲綢の夜

 ほしもってねむれ つばくら シルクのよ

明るく綿密な感じの夜空を戴いて巣に眠る燕のことが思われてなりません。





2014年5月3日土曜日


 怖さのある情景を俳句にして見たいと思いました。

 笠下のののめ麦のめ日没雨

  かさしたのののめむぎのめいりひあめ





2014年4月23日水曜日