つまの掌に何を載せやう秋の山 つまのてになにをのせようあきのやま
萩摘むや峠の風に古希を云ふ はぎつむやとうげのかぜにこきをいう
茱萸一つ燈一つ母ひとり ぐみひとつともしびひとつははひとり
化粧皿の夜更けに映えし茱萸の朱 パレットのよふけにはえしぐみのあか
ふたしかに吾又ありし秋の虹 ふたしかにわれまたありしあきのにじ
朝粥をつかふ吾身や秋の虹 あさがゆをつこうわがみやあきのにじ
秋の虹わが一粥に起き仰ぐ あきのにじわがいっしゅくにおきあおぐ
酌むほどの月の遠さや秋終わる くむほどのつきのとおさやあきおわる
鳥兜最後に暮るヽ村はづれ とりかぶとさいごにくるるむらはずれ
たはむれし百野草の夜や指のあを たわむれしつゆくさのよやゆびのあお
破殻の制御さるる身雨そぼろ われからのせいぎょさるるみあめそぼろ
道すがら 野菊の風情と云はれたる君を憶ひぬ ひとむら咲けり
痛みもちて物思ふ道に しろじろと野菊の咲けば われきはまれり
生涯を望まば石工朱き茱萸 しょうがいをのぞまばいしくあかきぐみ
秋風や耳立つ驢馬の瞑目す あきかぜやみみたつろばのめいもくす
巡礼や聖堂脇の秋桔梗 じゅんれいやせいどうわきのあきぎきょう
星月夜すべて聖者の坂のうへ ほしづきよすべてせいじゃのさかのうえ
屋根に居て猿公黙し秋日落つ やねにいてえんこうもくしあきびおつ
落日を背に研ぐ刃物天高し らくじつをせにとぐはものてんたかし
珈琲を淹れ窓を開け鵯と居る コーヒーをいれまどをあけひよといる
南天も鵯もまっかに染むるかな なんてんもひよもまっかにそむるかな
葦の火の美しき理由問はざりき あしのひのうつくしきわけとわざりき
鹿の声聞きこころ鋭し夜の冥らさ しかのこえききこころとしよのくらさ
鹿鳴きぬ己が性の限りをば しかなきぬおのれがさがのかぎりをば
ノォトに散るいろはにほへと秋の風 のぉとにちるいろはにほへとあきのかぜ
グラノォラミルクが好きな秋の風 「グラノォラミルク」がすきなあきのかぜ
永遠の秋と知りつつ本を読む えいえんのあきとしりつつほんをよむ
接吻の背後に岬木犀花 せっぷんのせなかにみさきもくせいか
老ひの目に様子が優し衣被 おいのめにようすがやさしきぬかつぎ
芋食はむ燈を近うして本読まむ いもくわんひをちこうしてほんよまん
頃合ひのさまざまにして衣被 ころあいのさまざまにしてきぬかつぎ
メール打つ片手にするは衣被 メールうつかたてにするはきぬかつぎ
後朝の事は往昔ぞ家宅を賣る きぬぎぬのことはむかしぞいえをうる
夢魔愉楽は蛩の音を知らず ナイトメアゆらくはむしのねをしらず
栴檀の実や花の季のなほ胸中に せんだんのみやはなのきのなおむねに
えのこ草鼡浄土はどこら辺 えのこぐさねずみじょうどはどこらへん
鬼薊つくづく知んぬ己が無知 おにあざみつくづくしんぬおのがむち
人倫といふ章にて息みぬヘーゲルの現象学を昔読みしが
論理といふ固き道をば辿れども君が目を欲り本を閉じにき
後ろ向きに小舟を漕ぐとひとはいふ昔ばかりを懐ふな我も
椿の実 独り豊かに時経てば つばきのみひとりゆたかにときたてば
追ふほどもなし入り出づる秋のてふ おうほどもなしいりいずるあきのちょう
追ふほどの所用もあらず秋のてふ おうほどのしょようもあらずあきのちょう
追ふこともせぬに手に触るあきのてふ おうこともせぬにてにふるあきのちょう
和鋏や夜なべの月の窓に冴え わばさみやよなべのつきのまどにさえ
ひと恋し霜照る月に己が影 ひとこいししもてるつきにおのがかげ
2013年11月24日日曜日
2013年11月22日金曜日
漢詩: 紅楓山径
押印は平水上声第一東韻 通・穹・紅
題の楓が冒韻だがそれ以外はないと思います。
櫨はハゼの木。ただ日本の櫨と中国のは違います。
中国のは低木で黄櫨という木です。
どちらも赤く紅葉します。
笄年はこうがい(笄)を付ける十五歳、女性の成人の歳。
漢詩 無題:七言絶句(仄起式)
碧 葉 虫 書 傳 断 絃
秋 娘 已 就 草 茅 眠
発 哭 慨 然 春 水 渡
胡 蝶 遥 遥 翔 至 天
碧葉 虫書 断絃を傳う
秋娘 已に就く 草茅の眠り
哭を発して 慨然 春水を 渡り
胡蝶 遥遥 翔りて 天に至る
虫書:虫の食った葉の様子が独特の文字痕のように見えること
断絃:夫婦の中を琴悉に例えることから、その縁が切れることを言う。
秋娘:しゅうじょう。元は唐代の美女の名前。美人を言う。
草茅:雑草の青青と繁る様子。
発哭:声をあげて泣くこと。
慨然:胸が詰まって嘆いている様子。
あおい葉の虫食い痕は 絶えた夫婦の縁を告げる手紙だ
美しかった貴女は いまはもう 草葉の陰に 眠るのだ
わたしの歎く声は 春の川を向こうに とどくだろうか
蝶はゆらゆら迷うように 翔けて 空まで上りゆく
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2013年11月18日月曜日
戯歌慙愧心
遊 人 身 世 無 知 欽
蕩 志 如 如 同 古 今
鏡 裏 餘 姿 似 亡 考
告 吾 曰 勿 失 初 心
遊人の身世欽みを知らず
蕩志 如如たり古今 同じゅうす鏡裏の餘姿は亡考に似て
吾に告げて曰く 初心を失うこと勿れと
2013年11月14日木曜日
漢詩: 淀川逍遥
自民党に多数を許したことがどれだけ高くついているか、
眼前の事態が教えている。
TPP締結も社会保障破壊も海外で戦争する国づくりも
どんどん進めている。
野党の大部分が野党でなくなったことも大きい。
だが安倍自民党政権の矛盾も同時進行しているのが分かるから、
そこに明るい未来への展望もまた芽として存在する。
希望と楽天的想像力は行動し闘う者にだけやってくる。
柩を覆って定まる、と言う。
生きているうちに自分の評価などしないし、それを求めないことが、
志というものだろう。
身は衰えても志が衰えることはないように進んでいきたいものだ。
昨日は昼に大阪外環状線沿いにあった「なか卯」といううどん屋で昼ご飯を食べたが、
食べながら行儀悪く新書版サイズの「作詩關門」という道具書を開いて見ながら漢詩を作るメモを書いた。食後のお茶を飲みながら二十分間でひとつできた。
帰宅して夕食後、見直すと間違いもあり、意味も不明確だった。
それでも捨てがたい点もあり手直しするつもりで置いておいた。
読みかけの本を読んだり一度見た録画を再度見て記憶に残すようにしたり、知識の整理にかまけて過ごした。
朝方に目が覚めてしまったので仕方がなくで昨夜気に入らなかった漢詩をもう一度手を入れてみた。
晩秋愁嘆の詩みたいなものだったがちょっとだけ変えて、<濁世を歎く老詩人>という形にした。
実物の自分は歎くより怒っているのだが (o^-^)
淀川を江戸時代の漢詩人は澱江とか澱河とか書いている。格好好くということだろう。平仄のこともあるのだろう。私も使ってみたかったので今回使った。
勁秋というのは風の強い秋という感じのイメージだ。
濁世は「じょくせ」と読む。
吟嘯はただ吟唱するのではなく世を歎く意味がある。
歩渉は川に沿って歩いたり渉ったりする感じだ。
勝は勝ち負けではなく比較のことばだ。
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眼前の事態が教えている。
TPP締結も社会保障破壊も海外で戦争する国づくりも
どんどん進めている。
野党の大部分が野党でなくなったことも大きい。
だが安倍自民党政権の矛盾も同時進行しているのが分かるから、
そこに明るい未来への展望もまた芽として存在する。
希望と楽天的想像力は行動し闘う者にだけやってくる。
柩を覆って定まる、と言う。
生きているうちに自分の評価などしないし、それを求めないことが、
志というものだろう。
身は衰えても志が衰えることはないように進んでいきたいものだ。
昨日は昼に大阪外環状線沿いにあった「なか卯」といううどん屋で昼ご飯を食べたが、
食べながら行儀悪く新書版サイズの「作詩關門」という道具書を開いて見ながら漢詩を作るメモを書いた。食後のお茶を飲みながら二十分間でひとつできた。
帰宅して夕食後、見直すと間違いもあり、意味も不明確だった。
それでも捨てがたい点もあり手直しするつもりで置いておいた。
読みかけの本を読んだり一度見た録画を再度見て記憶に残すようにしたり、知識の整理にかまけて過ごした。
朝方に目が覚めてしまったので仕方がなくで昨夜気に入らなかった漢詩をもう一度手を入れてみた。
晩秋愁嘆の詩みたいなものだったがちょっとだけ変えて、<濁世を歎く老詩人>という形にした。
実物の自分は歎くより怒っているのだが (o^-^)
淀川を江戸時代の漢詩人は澱江とか澱河とか書いている。格好好くということだろう。平仄のこともあるのだろう。私も使ってみたかったので今回使った。
勁秋というのは風の強い秋という感じのイメージだ。
濁世は「じょくせ」と読む。
吟嘯はただ吟唱するのではなく世を歎く意味がある。
歩渉は川に沿って歩いたり渉ったりする感じだ。
勝は勝ち負けではなく比較のことばだ。
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2013年11月12日火曜日
2013年11月11日月曜日
2013年11月9日土曜日
2013年11月4日月曜日
家郷に過ぎる
過 家 郷
斜 陽 照 海 削 千 波 斜陽 海を輝(て)らして 千波を 削る
鮮 月 離 山 披 繍 羅 鮮月 山に離(つ)いて 繍羅を 披らく
遠 影 慈 親 不 逢 去 遠影 慈親 逢わずして 去る
帰 風 未 覚 属 恩 過 帰風 未だ覚えず 恩に属して 過ぎしを
平起式七言絶句 平水韻 下平声第五歌韻 波 羅 過

2013年11月3日日曜日
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