2012年3月8日木曜日

蝋梅は今日もふたりの薫る庭
らうはいは けふも ふたりの かほる には


後添いのツレとのふたり暮らしあといか程続くのだろうか。
平安に安堵する気持ちといつ終わっても変ではない年齢や身辺。抱負と不安とがある日々が平然と過ぎていく。
辛夷咲く通りに棲めり 亡き妻と
こふしさく とほりにすめり なきつまと


貧しかった暮らし。住むというほどの立派さも無くて。

近くの家の辛夷の樹に因んで「辛夷通り」と名付け、
何も無さに抗していたのが若さという救いだったのかも。






纏めてる指の若さや桜餅

まとめてる ゆびのわかさや さくらもち


父恋し彼岸のさくら水の影


改訂して  父恋ふや 彼岸のさくら水の影  としたい


2012年3月4日日曜日

「おりん」の旅


日本人の祈り そのひとつのかたち



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youtubeの画面で見ることを勧めます。

2012年3月3日土曜日





いちめんのなのはな 可悲し 海へ 坂


いちめんのなのはなかなし うみへ さか

2012年3月1日木曜日


3.11へのわが想いを作りました。



降る雪や 無辜亡ぼしぬ海の上




往還に季語突き返し 北の春



昏きより昏きに往くか 梅薫る



春の海 廃墟の壁の水明かり






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オーロラ

2012年2月27日月曜日

俳句 はやぶさ

ワーナーマイカル高の原で「はやぶさ 遥かなる帰還」をみてきました。
感想は平凡な感激しか書けないので捨て置きます。
ツレとふたりで映画館は久しぶりでした。
1950年代はまだ戦後の荒廃の余燼が社会に残っている時期でした。
また少年の耳目には南極越冬隊や火星大接近などのニュースが興奮をもたらしていました。
そんな時期に大阪市立電気科学館が初めての児童向け連続天文学教室を開きました。
わたしは友人とふたり受講する幸運に恵まれました。
火星観測で世界的にも知られていた佐伯恒夫さんも講師になった講座ははじめての手さぐり感にみちた楽しさあふれるものでした。なつかしい思い出ですが、今回「はやぶさ」を見ての興奮とよろこびにはそうした少年の日々の宇宙への憬れが自分の中で目を覚ましていた気がします。
映画の変に「日本と日本人は素晴らしい。万歳」みたいな陶酔を誘導するようなところのない描き方も好かったからでしょう。静かな喜びに包まれて見終えました。エンディングの糸川博士たち宇宙研究開発の先人の写真も最後まで見て席を立ちました。

オーストラリアの砂漠地帯の6月の夜空に燃え尽きていく「はやぶさ」に日本の宇宙研究の水準の高さと研究者の誇りへの賛歌を詠んでみたくなり季節外れの句ですが作りました。

天空なるや はやふさ 消えし 夏の闇

あめなるや はやふさきえし なつのやみ



同じこの時期に公開中のイーストウッド監督、デカプリオ氏主演の「J.エドガー」も見たくて何とか時間を作ろうと思います。近く公開予定の「戦火の馬」の予告編も見たので見たいと思っています。
スピルバーグ監督の「戦争映画でない」戦争映画です。

2012年2月24日金曜日

妻へ 2句

春霞 隠れごころでつづく恋
             はるがすみかくれごころでつづくこひ

妻こひし むかふを向いて 春の閨
             つまこひしむかふをむいてはるのねや

春愁ということばがあります。
含蓄のあることばです。

そのなかに恋のこころも含んでいるはず。
年老いた夫婦のあいだに消え残る恋もあるとすれば
どんなものか、口に出すと嘘に変わるとしても、
言ってしまいたい気もしてくる春の宵。
かくれんぼの続きのままに燠火になったものもある。
時には枕を並べてしゃべりながら眠ってしまうことを欲していることもあるが、
もうそっぽ向いて寝てしまっていたりして、ものさびしく天井を見上げていたり。
そんな老いたる男の、らしくない恋の句。