また出不精という悪い癖がもっどって来たようだ。
講座の類も休んだりしている。
体調はまあいいのだが
さまざまな事件の印象が強くて
それがじわーっと効いてきている感じだ。
毎年今の季節は
春から夏へと動いていく季節の凄さに圧倒されて
取り残されたーという思いをする。
たけのこを蹴って折り倒し
道を下っていくだけでもう疲れていく感じがある。
物凄くでっかい「春」という漢字を背負っているようなものだ。
なんだか酷く重いのだ。
ここは連休あたりでやっと春たけなわだ。
空中にいっせいに羽虫や蜂や蝶が舞い始めた。
にぎやかなしかしうっとおしい空。
たしか今「孫文の義士団」とかいう映画が掛かっているはずなんだが…
カンフー活劇だが時代の描写が見てみたいなと思う。
漢詩読みの師匠のことが
ずっと気になっていて
それで鬱々としていることもあるかもしれない。
はやくいい知らせが来ると良いが。
もうひとつ。
古い古い友人が突然
ケイタイにかけてきた。東京からだ。
もう交際は途絶えたように思っていた。
お互いに随分遠いところで暮らしているので
気心も知れなくなっているし、
まあそんなものか、向こうもそんなところだろう…
勝手にそう思っていたが
電話がかかって驚いたが…
それは彼の妻の逝去の知らせだった。
絶句に近かった。
知らせておきたい対象に私が入っているというのは
小さな驚きだった。
これだから人間商売はわからんことだらけなのだよ。
京都へでも集まってまた会おうかい…と彼は言う。
いいよと応える私がいる。
電話番号の相互確認。
去年は河野裕子さんが死んで、ことしは直以さんか。
ふたりとも自分の寿命を生ききったんだろうな。
娘と二人で居るとのことだが
寂しくなっただろうな
1961年の夏の彼の姿が
急に目に蘇ってくる
ちっとも何も変わってはおらんよ。
声といい口調といい
あのころのまんまだ、よ。ふふふ。
またその時がくれば会えばいいさ。
・