ぼく好みの時間の流れ方の映像詩で心がざわついて、今もそれは消えていない。
「海の上のピアニスト」のジュゼッペ・トルナトーレ監督の作品で監督の父親の人生を通してシシリーの町と時代と人生を描いている。
ぼくは自分が画集を持っているイタリアの戦後リアリズムの画家グトゥーゾが登場人物になっているというそれだけの興味で見に出かけたのだった。
映画館で美大の同級生のAさんにばったり出会った。
やっぱり見に来たんか、という顔をしていたが、ほんとうは上に言ったように内容の知識なしで出かけたのだ。Aさんの顔つきの理由は上映が始まって直ぐに気づいた。
主人公は極貧の家庭の子で、左翼化していく南イタリアの貧農の先頭に立って行くのだ。
PCIの党員になって市会議員にもなるという人生行路だ。その子がジュゼッペ監督なのだ。
映画全体は佳く出来ていて時代の動きも正確で年代記的性格も十分に備えた作品と言える。
ぼくにはこの映画にイタリア共産党の奥の深さと固有の弱点がちゃんと表現されているのに感心した。
映画自体は政治的主張はまったくない。むしろ突き放したような描き方があってそれがこの映画の美しい叙事詩的色彩を支えていると見た。
イタリアに滞在した折にしったことだが、ジュゼッペというと愛称はピーノときまっている。知り合った青年の呼び名がピーノで本名はジュゼッペだったからだ。
たぶん生まれた日取りにそれぞれ聖人が居てその名前が関係するのだったはずだ。
そんなことを思い出しながら映画を見ていた。
同時代の映像詩。
監督の父親が走り抜けた人生の同じ時間を
このぼくも友人たちとともに走り抜けてきた。
ナポリまでは行ったが
シチリアには渡らなかった。
シチリアにのこるギリシャ人が建てた神殿を見に行きたかったのだが
そのときは時間が許さなかった。
BAARIという町で生き苦悩し闘っていたひとりの男。
その男を知ることを通じてぼくは自分の30歳のころへ旅をしたようだ。
シチリアの青い空を胸に抱いたまま寒い街へ出た。
空には星ひとつ見えない大阪の夜だった。
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