2010年12月10日金曜日
2010年12月9日木曜日
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2010年12月7日火曜日
2010年12月6日月曜日
2010年12月4日土曜日
初対面なのに旧友といえる不思議
ドイツから友人がやって来た。
2010年11月28日日曜日
去る者来る者あり我が行くは冬日射す道
2010年11月4日木曜日
為有 李商隠 漢詩ノォト
為有 李商隠
為 有 雲 屏 無 限 嬌
鳳 城 寒 尽 怕 春 宵
無 端 嫁 得 金 龜 婿
辜 負 香 衾 事 早 朝
wèi yǒu yún bǐng wú xiàn jiāo
fēng chéng hán jǐn pà chūn xiāo
wú duān jià dé jīn guī xù
gū fù xiāng qīn shì zǎo cháo
雲屏(うんぺい)
雲母を散らしたあでやかな屏風。
実は美人をいう間接の表現。
嬌(きょう)
女性のコケットリー。愛嬌。
鳳城(ほうじょう)
鳳凰の来る城(まち)=都、京城。
具体的には長安。九重ともいう。
寒尽きて
冬がおわっって。
春宵を怕る
夜の短いことを怕(おそ)る。困るなぁという気分。
端なくも
思いがけなく。
金亀
高官にのみ与えられた金の亀形の帯留め。
香衾(こうきん)
香を焚き込めたいい匂いのする掛布団。
辜負(こふ)
そむくこと。背にして。
事(こと)とする
もっぱらにすること。
雲屏に無限の嬌あるが為に
鳳城に寒尽きて、春宵を怕る。
端なくも金亀の婿に 嫁するを得たるも
香衾を辜負して、早朝を事とせんとは。
女の器量が十分に備わっているせいで
花の都に春が来たのに夜の短さを憂えねばならぬ。
思いもかけず金亀を帯びる身分の高官の妻となったが
なんということか
夫は香しいベッドを顧みず早朝に出仕してしまうなんて
閨怨詩の一種といえようか。
うら若い女性の孤独と哀怨の風情を詠う。
当て外れな状況として孤独な閨(ねや)を描写する。
道具立ては貴重な装身具の金亀や香衾。
季節は春情の季節、春の夜。
宵は夕方でなく夜をいう字。
春宵の交歓と早朝の出仕の対比が趣向としてあるか。
鳳城は典故がある。杜甫の詩などにもでてくる。
春の長安の悩ましい夜の風情を詠っているのだが
李商隠は一筋縄ではいかない詩人で
この詩も政治的暗喩をもっているというひともあるらしい。
晩唐の詩は繊細華麗あるいは優艶。退廃と散逸に近づいているようだ。すこし難解な詩風。
本を並べて参照しながら作詞したことから李商隠は獺祭魚と綽名された。獺(カワウソ)がとった魚を岩に並べ神祭りしてから食べるように見える習性を獺祭魚と言い、書物に埋没する人士を獺祭の人というようになった。最初の獺祭魚が李商隠である。子規が獺祭書屋主人と号したところから9月19日の正岡子規の命日を獺祭忌という。日本の獺祭魚詩人は正岡子規だ。
2010年10月31日日曜日
温家宝氏が微妙な立場にあると見える
2010年10月28日木曜日
夜道を帰る
やかましいシンバル。 コリント書13:1
ぼくらは毎日大抵は
銅鑼やシンバルなのかもしれない。
自分ではやかましさに気が付かない。
わわしさに紛れている。
騒ぎながら楽しみにふけり、
虚しさを膨らませている。
それが何処ではじけているのか
知らないままだ。
風刺画そのものの我が人生を
秋風がはたはたはたと鳴らせて通る。
ぼくに一つだけ残っているもの。
この不思議なぬくもり。
これは
愛だろうか。
それとも
心惜しみ、執着の熾火なのか。
冷たい雨が履物を濡らす。
森が不意に投げた一瞥が撥ねて
眼鏡が曇る。
一夜で死んだ
たくさんの虫たちの骸。
穴の空いた栗の実。
無原罪のサンタマリアの膝の上で
息絶えたキリスト。
サンピエトロのピエタをみて
涙が止まらなかったあの頃
30歳の自分。
不信心者の信仰は
ただ愛だけ。
それなのに
曇り空の夕焼けのように
あっという間に
薄れて。
ぼくは途方に暮れて
起ち尽くす
森はずれの曲り道で。
濡れ靴が重い。
立ち止まって目を閉じて
見えない夜空を想い見る
万星渦巻くゴッホの糸杉の夜空を。
まだ道は
続いている
空までも。
ぼくは歩き続ける
小さなハートのままで。
*