2008年5月24日土曜日
Naseer Shamma - Hilal-alsaba
中村中のコレクション Youtubeから
映像では紅白以来で少し嬉しい見つけものだった。
貼り付けて何度か視聴したい。これは自分用だね。
友達の詩
冗談なんかじゃないからネ
わたしを嘲笑ってよ
愚痴
強がり 歌:戸田恵子 feat. 中村中
ホワイト・クリスマス
中村中 in 一青窈SPライブ!!
2008年5月22日木曜日
未曾有の災害に声もないが
阪神大震災のとき徒歩で夜通し歩いて豊中から兵庫区の妹夫婦の家まで
辿った道々の光景がよみがえり胸が苦しい。
中国の子供が死ぬ前に書き残した
「お父さんお母さん
すみません。」 というメモが出てきたと聞いて
涙が出て止まらなかった。
できることは少ないが募金などでできるだけのことをしたい。
習いに通い始めたばかりの中国語教室も先生が救援活動に行ったのか
休止になった。この不幸の中で日中の人間的なつながりが作られ
信頼と友情が育まれることを願う。
日中双方の「愛国主義」や「ナショナリズム」を抑えて冷静な相互理解を深めることはアジアが共同体を作っていく重要な一歩になる。
災害は後に大変な負担を残す。だから日本の国民は進んで手を差し出して機会を作っていくのがいいと思うのだ。
2008年5月11日日曜日
シンクロニシティーを味わう
ここ暫く何故か精神医学者ユンクのいう「シンクロニシティー」を体験しているみたいな感じがある。
それはどうも勘だけれども旧友たちと比較的頻繁に会うことが増えたことと関連がありそうだ。
この一事からしてもユンクのいうそれが客観的実在性ではなく何か別のもの
人間の行動に影響する心理構造的な背景を示唆している気がする。
比曾寺遺跡に行き当たったのも一種のデジャビュであろう。
今日たまたま葛城山へ登ろうという誘いの電話が入ったが、残念ながら体調が低下中であるのと
月曜日が歴史書講読のサークルの日で外したくない日なので遠慮した。
その電話の時も「あれ」という感じが来た。だって今日読んでいた本の中で
葛城という地域とそこにまつわる歴史的事情を考えていたからだ。
「同期したじゃないか、また」と思えて頭の中に 「!」が立った。
旧友との交流は平板な現在の時間を立体的な流れに戻すこと。
その独特の時間経験がいつもと違う心理状態を現出させていくらしいこと。
たまたま奈良という地域を軸に三人で会ったりすることの影響も微妙に
空間・時間の経験的枠組みを揺らがせていることもありそうだ。
シンクロニシティーの面白さは多分にユンクの名づけの巧さによるし
それに加えて人間にはそういう経験が意外と多発するからだろう。
SNSでの話題として結構もりあがった話題だった記憶もある。
たくさんの人が「そう言えばそんな経験あるよ」と感じるのだ。
でも自分が多く経験してみて、そう不思議なものではないと 思うようになった。
もう少し続いてくれると おもしろい発見があるかもしれないと期待している。
それにしてもちょっと気温の変動が大きいと風邪をひく。もっと体に注意を払うようにしなくては。
これはZoundryで書きアップロードしたものだ。
メニューが英語だがまあ使いやすい方だ。出来はいいと思う。
Powered by Zoundry Raven
2008年4月18日金曜日
2008年4月17日木曜日
佛隆寺の桜を見てきました
吉野の桜を見に走り出したのが平日なのに車の列、列 。
で橋の手前で左へ折れ突き当たりを右折。
あれ、比曾寺!
前日水野先生が神仏習合時代の寺院の話から廃仏毀釈の話になって
触れられた寺じゃないか。名前が比曾寺(桧蘇寺とも)と変わった名だったので 覚えていたが此処にあったのか。
後藤又兵衛の旧宅跡とかいう場所にある又兵衛桜を見てから佛隆寺へ行った。
この日まで名前は知らなかった。 というか桜狩りの風情を楽しむ習慣がないので有名な桜は知らないのだ(><;)
山寺でしたが、とても気に入りました。
桜もですが、山の中腹に鎮まっている古寺の様子に好感が湧いたのだった。
神仏習合の真言密教系で白岩神社という社が傍にある。その鳥居前に 巨木の切り株があった。終に力尽きた樹を危険なため切り倒したものだろう。 これほどの樹を好んで切るはずはない。惜しい事をしたものだ。
山門を入ろうとすると赤外線センサーでピロロローンと鳴った。
山門を入るのに100円入れるよう促されたのだ。
ミスマッチが可笑しい。
境内に石碑があり「大和茶発祥伝承地」と刻んである。
標高はどれくらいか。200メートル以上はあるだろう。
茶畑にはいい立地ではある。通風もよさそうだ。
この写真スライドは今日初めて知って登録した「フォト蔵」というサイト。
スライドの写真の右上肩のボックスをクリックするとそのサイトへ飛ぶ。 そこで写真をクリックすると拡大表示も見られ、大中小のサイズでダウンロードもできる。
1ギガの容量が無料で使えるのは便利だ。友人とのデジカメ写真のやり取りの経由場所にもなるだろう。メールでは少し辛い容量のデータなんだから。 ひとまとめにして一度でアップロードできたのは便利で使いやすさに感心した。
youtubeなどとはまた一味違うな。
とりあえず佛隆寺の写真だけアップ。
又兵衛桜はまた後で。
2008年4月11日金曜日
雨天に書を繙き校(かむがへ)る
天平時代の出来事を知ったり覚えても得になるものはない。
昔も今も変わらず争いごとが多いな、とか分かる程度(笑)
しょうもない事と言われても仕方ない。
だが人々は古代史の講演会とか現地見学会とかに
わんさと押しかけている。
いや揶揄してるのではなく、
そのエネルギーの出所がいぶかしいのだ。
何故なんだろう。
歴史はロマンだって言う人が多いけれど、はたしてそうか?
ロマンって言葉の使い方がへんじゃないか。
「単独飛行」氏はロマンは休息であるが時には中毒であると言っている。
ロマンについてのぼくの定義とは異なるが
ロマンを言う人の心情を言い当てている気もする。
脱出と憧れが衝動になり、ついには中毒に至る。
それも情熱のかたちだから、とやかくは言えない。
でも五月蠅いのだけは勘弁してほしい。
講演などはおとなしく聴こうや、
と言いたい。
巻十四。天平十三年。
夏四月辛丑。遣従四位上巨勢朝臣奈弖麻呂従四位下藤原朝臣仲麻呂従五位下民忌寸大楫外従五位下陽候史眞身等撿挍河内与攝津相爭河堤所。
五月乙卯。天皇幸河南観挍獵。
夏、四月辛丑(かのとうし)。従四位上ノ巨勢朝臣(こせのあそん)奈弖麻呂(なてまろ)、従四位下ノ藤原朝臣仲麻呂(なかまろ)、従五位下ノ民忌寸(たみのいみき)大楫(おおかじ)、外従五位下ノ陽候史(やこのふひと)眞身(まみ)等ヲ遣リテ、河内ト攝津ノ河堤(かわのつつみ)ヲ相ヒ爭フ所ヲ撿挍(しらべただ)セシム。
五月乙卯(きのとう)。天皇河南ニ幸シテ挍獵ヲ観(みそなは)ス。
天平十三年は九年の疫病の大流行、恭仁京遷都の計画の進行、広嗣の乱、その最中の天皇の長期行幸など、波乱に富んだ出来事の後、比較的穏やかに新都造営が進んでいるように見える日々だ。
先生が居て即いて読んで行けるのはありがたいことだ。
例えば、
通常は続日本紀は年始めの朝儀の記事は記さないのだ。通例が通例通りでなかったら廃朝と記すのだ。書いてなければ元日の朝儀は行われている。といった指摘。普通の歴史の本には書いてないと思うこういう指摘を随所で入れてくださる。
ものすごく大事な贈り物をもらっている気がして幸せになる。
そして自分の知恵にそれが成っていくように希望がわく。
旧暦の夏四月の廿二日(この年の四月辛丑)といえば
まもなく梅雨の長雨が降り始めるころか。
摂津職と河内国守が対立しているのを収めたという記事だ。
梅雨前に決着させたという事か。
河堤の争いとあるのは何だろうか。単なる土地の境界の争いではないと思うが、どうか。
帰属は則ち責任の所在だから、堤防の補修の責任がどちらにあるかを争っていたのではないか。
決壊を恐れる住民が騒ぎ補修の必要が明らかになったが
摂津か河内かの帰属で揉めたのではないだろうか。
摂津と河内の境界を流れる川といえば淀川か大和川だ。
その堤の帰属と補修責任を国界を明らかにして決着する仕事が
この日終わったのだ。
これをこの日4人が出かけて現地視察し裁定して帰ってきたと
解釈しては大間違い(なのだそう)だ。
続日本紀の記事は文書資料を基にして編集して書かれている。
この記事の元になった文書の日付が辛丑(廿二日)なのだ。
だから何もかも済んで文書に4人の署名が入って提出された紙に
天平十三年五月辛丑とあった。(ひょっとすると五月廿二日とあったかも。もう何年かすると五月廿二日辛丑と書くようになるらしい)
4人名前があるが、実際に現地へ出かけたのは後の二人。民忌寸と陽候史だろう。二人の姓からして渡来系の官人だろう。民忌寸も陽候史も田籍と田丁を管理するなど記録や計数に明るい官僚たちだ。
川の堤の帰属や境界を記録したものが当時の政府や国郡官衙に保管されていたかどうかは、知らない。何で裁定したのだろう。住民の古老の記憶を尋ねたりはしなかったか。
また上司二人は藤原仲麻呂と巨勢奈弖麻呂だ。仲麻呂は将来反乱者となる運命にあるがこのときは少壮官人として颯爽と仕事に腕をふるっていたことだろう。
五月には聖武天皇が河南に行幸して猟を観覧している。
これは我が家に間近い場所についての記事だ。
川とは今の木津川。昔の泉川のこと。今も川岸から近くに泉川中学校があるのはその追憶からだ。
北岸の宮殿(まだ未完だった)から出て川を渉り
挍獵を観た。挍獵とは矢来様の囲いを仕掛けて、其処へ勢子が獲物の獣を追い込むやり方の猟である。
この短い記事から立ち上がってくる情景がある。
当時は新都造営の槌音高い日々。
川の南岸に街区を切るため切り開かれた広い空間が出来ていて
まだ建物は建っていない。
そこに杭を打ち細柱を立て囲いを作って猟場としたのだろう。
小高い丘か仮作りの台の上から天皇は観たのだ。
観には見下ろすという意味があるから、そう読んで良いだろう。
この記事の少し前に実は日本初の「生類憐れみ」の詔が出されている。馬牛を殺してはならないとし違反への罰則も厳しく定めた。
それなのにここでは猟がされ、天皇が出御してそれを観ているのは矛盾のようだが、家畜は人間のために働いているのに殺したり食べたりしてはならないというのであり、野生の鳥獣虫魚はそうではないとされていたらしい。
それと造都に関わる祭儀としての猟という面も考慮した方が良いのかもしれない。地主神への鎮めと祈願はどうであったのだろうか。
加茂町の田園風景の向こうにうっすら霞んで記事の情景が見えてきそうな気がする。それは根拠のない空想なんだけれど。
自分の立っているあたりを
佐保へ帰って行く家持も通っていったかと
思ってみたりする。
単調な実務的記事や記録の集まりの続日本紀が
読みようで活き活きと動き出す。
それを案内してくださる先生がいること。
ありがたい、本心からそう思う。
まだリタイア出来ない身の上だから
何時脱落するか分からない。仕事がどう動くかで決まるもの。
でもこれから長いつきあいの本に六国史が成りそうな予感がある。
ツレアイは笑って見ている。様子模様眺めらしい。
挫折を予見しているのかもしれない。
書いてみて何が楽しいのか自分でもよく分かってきた。
この楽しさを大事にしていこう。
2008年4月10日木曜日
甲乙丙丁
ふう~。やっと書けるようになった~。
読むほうもできるようになりましょう。
きのえ(甲)きのと(乙)… みずのえ(壬)みずのと(癸)
癸午(みずのと・うま)というように読めるなら合格。
60種類あるのだから丸暗記はちょっときつい(笑)。
子丑寅…は書けるはずだったが(><;)
最後の猪を失念…出てこない(><;) 亥だった。
やれやれ。
連日こんな具合でブログのマイページにくるまでに自滅。
疲れて寝る毎日。ロートルは奮戦しながら消えてゆくか?
でもネットを使いながらの自学自修はドキドキすることがあって
楽しいですね。
大伴家持の署名が残っているのを写真で見ることができるなんて
ネットの凄さを実感します。
奈良時代の「太政官符」は数通しか残っていないが、
そのうちの2通だったか3通だったかが大伴家持の署名のもの、
というのも面白い。
これは律令制が壊れていって式部省の文書などが神祇官の家だった
卜部(吉田)家に私有されたことが幸いして保存され残存できたわけだ。
が、その中でも式部省にいた家持の署名があるものが大事にされたのかもしれない。
万葉集の歌人としての名がそうさせたのかどうか。
上の写真の大伴宿祢という字は他の書記役の役人の手で
家持という署名がご本人の手です。
モニターに拡大で見ていると横からツレアイが
「クセのありそうな人やね。だれ?」って、おい家持じゃないかぁ。
「いや、どういう人がらかって意味よ」
ぼく「……」(そんなことわかるものか。俄か歴史マニアのぼくに <笑>)
でも真筆は感動だな、いつも。
前にもMIHO美術館で明恵上人の筆跡を見た時も心動いた。
字がへたくそな自分らしい憬れもあるのだけれど。
筆で書かれた文字はたくさんの物思いを喚起する。
そのうちに、そのうちに、つれあいに
「コレハネ、ソモソモ…」なんどと蘊蓄を垂れる日がくる
かどうかはワカランけれど、
日暮れて道猶遠しされどこの道を歩む遅々として進まざれども
楽しみは必ず至れり…と信じて進もう。
[余談]
このごろは教えるものも教えられるものもネット活用らしく
ゼミの後先を先生とブログで質疑応答しているのもある。
「人と環境」を歴史学に組み入れて研究していくという
ユニークな研究者北條勝貴さんの試み。
来るべき書物
学生の質問が面白くて全部読んじゃった(^^)
この頃の学生って先生に
占いの仕方まで聞くのかい?とか。面白いですよ。
ためにもなったです。
2008年3月17日月曜日
後期高齢者医療制度の中止・撤回求める
さすが日本共産党の議員だ。小池氏は肝心な点をついて質問を通じて後記高齢者医療制度の本当の狙いを浮き彫りにしている。
問題は医療費を節約するために75歳以上の人間を
差別医療へ囲い込むことだ。
これが4月から実施されるのに知らない人がいっぱいいる。
年金と言い国保と言い政府のやっていることは許しがたい。
あれこれ言うまでもない。
関心のある人はこの国会のビデオを見て考えてほしい。
「改革」路線が何であるかをこういう事例を通して国民が理解し
反撃に出る日は来るのだろうか?
来させ4なければならない。
使い捨てられてたまるか!
人間だもの。年取っても人間だもの。