2007年12月6日木曜日

MIHO MUSEUMで 直筆の信長の書状をみました

信長の肖像とされるものを見てどんな感想を抱かれるでしょうか。

比叡山僧侶や加賀の一向宗徒を殲滅した残酷無比な戦国武将と見えるか。

どうもそういう風には見えないかなとわたしなどは思います。

でもまぎれもなくこれは彼の肖像らしいですから、意外な感じがあります。

ところが彼自身の書状を展示しているので、引き寄せられるように
見入りました。
なんともまるで女性のような水茎くっきりな繊細さもある筆なのです。


ただ大胆不敵な性格と戦略的思考に長けた知力だけで天下布武はできなかったのでしょう。
感じやすく鋭く物を見抜く感受性や吸い込むような魅力もあったのかもしれませんね。
少なくとも武将のイメージには遠い感じの筆遣いでした。
興味津々で覗き込んでいる人がいっぱいいました。


もうひとりの直筆にもであって感激。
大好きなタイプのひと。でも友人だったら
付き合い方がちょっと難しそうなひと。でも
やっぱり友達であることが嬉しいと思うひと。

明恵上人。
道元禅師や親鸞上人と同時代。

三人とも情熱的なのは鎌倉時代人だからでしょうか。

でも明恵さんは狂熱的な噴出もあるひとでした。

有名な明恵さんの夢日記。
『夢記』の断簡が展示にあったのです。

現代語の読みも添えられたありましたが
とつこうつ、どうにかだどり訓んでみました。
博物館での楽しみのひとつです。

でも
夢で仏に出会っているときの明恵さんの気持ちって
どんなんだったのでしょうかね。
実感して知りたくなりますね。

不思議なおかたです。

そういえば奈良女子大におられた?岡潔さんも
「夕べ夢枕に普賢菩薩がたたれ…」と数学の講義の最中に
話されたりしたそうで、天才肌のひと、(明恵さんもそうだと思います)にはそういうことはあるのかもしれません。

昔見た「樂毅論」での藤三娘(光明皇后)の雄渾な男勝りな、しかし優美さも感じた筆遣いからも想像はさまざまに羽ばたいたけれど、

歴史がこのように具体的に感性に訴えて迫ってくるのは
物という対象がそれにかかわった人間の行跡として見えてくるとき、
いきなり物はまったく違った光芒を放つものなんだと思います。

信長が本当はどんな人だったか。
明恵さんは何故来世より現世により良く生きることを
選んだのか、信仰はかれにとってどんな意味があったのか。

その晩はいつまでもいろいろ思って胸の中がざわざわしていました。
今という時機を生きる歴史の中の自分はどんな意味や無意味を背負っているのだろう。残り少ない旅路をそんなことを考えながら歩いていくのだなと思いながら…。


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<< 織田信長の直筆書状のひとつを、
初めて間近に見ることができた。
季節の挨拶の短い手紙。
ふわり、丸くやわらかな筆さばきで、
荒々しい武将の風を全く感じさせない。
むしろ貴族的とさえ思うような字だった。 >>

やっぱり、同じような印象なんだ…

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