5月16日 自由報道協会主催
ほんま、このひと堅物を地でいくタイプだけど、それだけに貴重な一貫性がある。
2011年5月24日火曜日
2011年5月22日日曜日
蘆舎将崩壊乎?
漢詩の入力やウエブ閲覧に使い連絡のメールも大概はこの旧機を使っていた。
いきなりくるとやはり困る。
最近はドロップボックスなどを使うしメールもウェブメールだから損害は軽微で済んだ。
でも書きかけのメモなどは多分駄目だ。一度修理に出したものだし、あきらめ時なのだろう。
OSがXPでないと使えないアプリを使う習慣を維持するそのためだけに頑なに使い続けた。潮時だろう。
我が家全体が「蘆舎将崩壊乎?」と叫んでいる状況。
パソコンよ、お前もか。
幸いにもwindows7のXPモード(バーチャルマシン)で旧式ソフトを使用可能を確かめた矢先だった。乗り換えなさいって言われた気分になる。
旧機ではCPUが古いのでフルセグでTVもできなかった。
アナログ終了も近いし、新しい方のPCを座敷から運ぶとしよう。
こちらも同じソニー製VAIOの新しいといっても現行機種ではない。
型落ちを安く購入したVISTAマシンを「7」を購入しアップグレードしたもの。
だから付属のOffice2007などは使っていない。ピュアな「7」。
どうも2007が嫌で2003のOfficeを使っている。
ところがVISTAではよく「落ちた」。 「7」でもありうるから
XPモードにインストールしてXPでOffice2003を使っている。
機械は新しいのに人間もアプリも古いまま(笑殺)
余談。
ものが経年変化するのを一からげにエージングというそうだが
長寿もまたエージングだな。
工芸では態と古色を出させるために風雨に曝したり
日に当てることを枯らすという。
これもエージングだ。
しかし、枯らすには否定的なものは何もない。
アンチ(ティ)エージングなんて言葉があるように
エージングにはいい意味はあまりないのかも。
枯れ木に花咲くこともあるのが
人生の面白さなんだから
枯れ色のスイートも
美味しいのがあるのだから
アンティエージングは止め
素直に
「美しく」? 枯れましょう。
2011年5月16日月曜日
フォローしている人の短歌
たましひのはんぶんきみにあげたからかはりにぬれるしろきあじさひ
#jtanka @sunajopon
たましいの半分だって。
半分だけ?
それは冗談だけど、とても感覚的な歌だから、
老いぼれには見えないところがあって…
パンケーキみたいなたましいを半分にわけて
そっと手渡しにくれるひと。
ぼくにもそんなひとがいたな。
そしていまも、いる。
通りにはあじさいが咲いていて
その大きな花のしろさが
ブラウスのしろさとダブってにじんで見える
ほんとうははんぶんあげたのは
雨傘のこと
ならんで歩く半分のスペース
肩半分はぬれながら行く
それがなんだかうれしくて
そんな風に読んでしまう。
素人の見当違いなんだろうけれど。
うちの紫陽花は文字通りの紫青
まだ咲くそぶりもない。
為有 李商隠
為 有 雲 屏 無 限 嬌
鳳 城 寒 尽 怕 春 宵
無 端 嫁 得 金 龜 婿
辜 負 香 衾 事 早 朝
wèi yǒu yún bǐng wú xiàn jiāo
fēng chéng hán jǐn pà chūn xiāo
wú duān jià dé jīn guī xù
gū fù xiāng qīn shì zǎo cháo
雲屏(うんぺい) 雲母を散らしたあでやかな屏風。
実は美人をいう間接の表現。
嬌(きょう)
女性のコケットリー。愛嬌。鳳城(ほうじょう)
鳳凰の来る城(まち)=都、京城。 具体的には長安。九重ともいう。
寒尽きて
冬がおわっって。春宵を怕る
夜の短いことを怕(おそ)る。 困るなぁという気分。
閨怨詩の一種といえようか。
端なくも
思いがけなく。金亀
高官にのみ与えられた金の亀形の帯留め。香衾(こうきん)
香を焚き込めたいい匂いのする掛布団。辜負(こふ)
そむくこと。背にして。事(こと)とする もっぱらにすること。
雲屏に無限の嬌あるが為に
鳳城に寒尽きて、春宵を怕る。
端なくも金亀の婿に 嫁するを得たるも
香衾を辜負して、早朝を事とせんとは。
女の器量が十分に備わっているせいで
花の都に春が来たのに夜の短さを憂えねばならぬ。
思いもかけず金亀を帯びる身分の高官の妻となったが
なんということか、夫は香しいベッドを顧みず早朝に出仕してしまうなんて
閨怨詩の一種といえようか。
うら若い女性の孤独と哀怨の風情を詠う。
当て外れな状況として孤独な閨(ねや)を描写する。
道具立ては貴重な装身具の金亀や香衾。
季節は春情の季節、春の夜。宵は夕方でなく夜をいう字。
春宵の交歓と早朝の出仕の対比が趣向としてあるか。
鳳城は典故がある。杜甫の詩などにもでてくる。
春の長安の悩ましい夜の風情を詠っているのだが
李商隠は一筋縄ではいかない詩人で
この詩も政治的暗喩をもっているというひともあるらしい。
晩唐の詩は繊細華麗あるいは優艶。
退廃と散逸に近づいているようだ。
すこし難解な詩風。
本を並べて参照しながら作詞したことから李商隠は獺祭魚と綽名された。
獺(カワウソ)がとった魚を岩に並べ神祭りしてから食べるように見える習性を獺祭魚と言い、
書物に埋没する人士を獺祭の人というようになった。
最初の獺祭魚が李商隠である。
子規が獺祭書屋主人と号したところから9月19日の正岡子規の命日を獺祭忌という。
日本の獺祭魚詩人は正岡子規だ。
2011年5月15日日曜日
孫に飴を買ってやる詩
一銭 陸游
萬事紛紛不足論
滿庭枯草閉柴門
一錢留得終羞澀
持買餦餭引福孫
万事に紛々論ずるに足らず
庭に枯草満ち柴門を閉ざす
一銭留め得て終(つい)に羞渋(しゅうじゅう)
持(じ)して餦餭(あめ)を買って福孫を引(いざな)う
紛々というのは紛糾、紛争の紛だろう。紛乱だ。
些細なことが一杯。雑駁にある日々。
実態は貧乏なので忙しいのだ。
手入れも出来ない庭には
いつか雑草が茂り見苦しく枯れている。
こんな暮らしで訪ねて来る人のあてもない。
それを隠者風に柴門を閉ざすなんて言ってもみるが
実際は手元に今日残ったのは僅かな銭。
それでも、飴くらいは買えるぞと
孫を呼んで連れ立つとしよう。
こんな風に解釈できるように思うがどうか。
誘う(引う)をどう読むかだが、
飴を買ってきたので
「おいで、飴があるよ」と部屋へ孫を呼び入れるとも読める。
でもいっしょに買いにいこうと誘うほうが
いっそう楽しみはあるはずで
道連れの会話の楽しさは部屋でより多いと
陸游も感じただろうと勝手に決めて読んでみた。
2011年5月14日土曜日
現代にも顔回はいるのさ
やれやれGoogleのBloggerが回復。
131 子曰、 賢哉、回也、 一箪食、一瓢飲、在陋巷、 人不堪其憂、回也不改其樂。 賢哉、回也。
子曰く。
賢なるかな、 回や。
一箪(たん)の食(し)、一瓢(ぴょう)の飲、
陋巷に在り。
人はその憂いに耐えざるに、回やその楽しみを改めず。
賢なるかな、回や。
故高田渡(フォーク ミュージシャン)を何故か思い出す。
孔子の高弟というと
何だか後光が差してるような感じで
想像が先走るが、
実際は質素で温和で考え深い人。
それに下町に住んで(在陋巷)
一食は一椀の粗食と一瓢の(ワングラスの)ドリンク。
(瓢箪を半分に切った椀というのも質素そのもの、というか貧乏って事)
一生アパート暮らしで
歌と酒を愛し
人生を洞察しながら
こよなく愛した様子の
高田渡が顔回に重なって見えてしまう。
わたしにも街暮らしへの憧憬が
どこかに生まれているのかもしれない。
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131 子曰、 賢哉、回也、 一箪食、一瓢飲、在陋巷、 人不堪其憂、回也不改其樂。 賢哉、回也。
子曰く。
賢なるかな、 回や。
一箪(たん)の食(し)、一瓢(ぴょう)の飲、
陋巷に在り。
人はその憂いに耐えざるに、回やその楽しみを改めず。
賢なるかな、回や。
故高田渡(フォーク ミュージシャン)を何故か思い出す。
孔子の高弟というと
何だか後光が差してるような感じで
想像が先走るが、
実際は質素で温和で考え深い人。
それに下町に住んで(在陋巷)
一食は一椀の粗食と一瓢の(ワングラスの)ドリンク。
(瓢箪を半分に切った椀というのも質素そのもの、というか貧乏って事)
一生アパート暮らしで
歌と酒を愛し
人生を洞察しながら
こよなく愛した様子の
高田渡が顔回に重なって見えてしまう。
わたしにも街暮らしへの憧憬が
どこかに生まれているのかもしれない。
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使民以時
耽読舎:老學餘塵 更新
論語: 5 子曰、道千乘之國、敬事而信、節用而愛人、使民以時。
子曰く、
千乗の国を導くに、
事に敬して信あれ、用を節して人を愛せよ、民を使こうに時を以ってせよと。
孔子は「時節も弁えず人民を使役してはならん」と言っている。
風評被害の原因を作る政治をするものが安心だから買えというのも
見方によっては強制みたいなものか。
人民を振り回すのも使役の一種かと思うが。
論語: 5 子曰、道千乘之國、敬事而信、節用而愛人、使民以時。
子曰く、
千乗の国を導くに、
事に敬して信あれ、用を節して人を愛せよ、民を使こうに時を以ってせよと。
孔子は「時節も弁えず人民を使役してはならん」と言っている。
風評被害の原因を作る政治をするものが安心だから買えというのも
見方によっては強制みたいなものか。
人民を振り回すのも使役の一種かと思うが。
2011年5月13日金曜日
2011年5月11日水曜日
2011/05/10
曇天を漂う光 羽虫 蜘蛛 蝶
空鉄砲 竹の子竹林で 呵呵大笑
や
たんぽぽ たんぽぽ 破れ塀のしたで苦い顔
あま ひと
許す許す 雨足の遅さも 来た恋人も
五月雨をいまだけの恋をラッピンぐ
見上げる視線の先に光るものが見える。
晴れた日の空中は何かと賑わう。
羽虫だけでなく糸を伸ばして風に乗るちいさな蜘蛛や
蝶々や蜂、名前を知らない昆虫たち。
みんな陽に透けたり反射したり
輝きを曳いて飛んでいる。
まだ近所の竹林には竹の子が突き出している。
我が家のうちそとは塀を挟んで蒲公英のご乱行。
最後の2句は想像のあそび。
遣らずの雨ということを詠むでみようかと。
晴れた日の空中は何かと賑わう。
羽虫だけでなく糸を伸ばして風に乗るちいさな蜘蛛や
蝶々や蜂、名前を知らない昆虫たち。
みんな陽に透けたり反射したり
輝きを曳いて飛んでいる。
まだ近所の竹林には竹の子が突き出している。
我が家のうちそとは塀を挟んで蒲公英のご乱行。
最後の2句は想像のあそび。
遣らずの雨ということを詠むでみようかと。
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- #aoki_exh RT @rental_share: 近代絵画の天才「青木繁展」で貸切親子ナイトツアー開催!参加費無料 レンタル&シェアニュース http://www.rental-share.com/news_JYbQ5kXGU.html posted at 15:56:16
- #MoMAK 京都国立近代美術館、コレクション・ギャラリー、5月18日(水)・21日(土)は無料観覧日。 posted at 15:47:12
- #Klee2011 #MoMAK 京都国立近代美術館、パウル・クレー展、5月15日(日)まで。平成22年度第5回コレクション・ギャラリー展は5月22日(日)まで。 posted at 15:45:39
- #MoMAK RT @seibishou: 巡回のある各展覧会。「モホイ=ナジ/イン・モーション」 #MoholyNagy 「没後100年 青木繁展―よみがえる神話と芸術」 #Aoki_exh 「パウル・クレー展―おわらないアトリエ」 #Klee2011 posted at 15:42:07
- #Moholynagy ◎ RT @masaya_ngi: カタログ図版見たら、予想以上によさそうだった。<<モホイ=ナジ展 posted at 15:41:20
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2011年5月9日月曜日
離島暮らしに似てきた
忙しい季節が終わって気抜けして
また出不精という悪い癖がもっどって来たようだ。
講座の類も休んだりしている。
体調はまあいいのだが
さまざまな事件の印象が強くて
それがじわーっと効いてきている感じだ。
毎年今の季節は
春から夏へと動いていく季節の凄さに圧倒されて
取り残されたーという思いをする。
たけのこを蹴って折り倒し
道を下っていくだけでもう疲れていく感じがある。
物凄くでっかい「春」という漢字を背負っているようなものだ。
なんだか酷く重いのだ。
ここは連休あたりでやっと春たけなわだ。
空中にいっせいに羽虫や蜂や蝶が舞い始めた。
にぎやかなしかしうっとおしい空。
たしか今「孫文の義士団」とかいう映画が掛かっているはずなんだが…
カンフー活劇だが時代の描写が見てみたいなと思う。
漢詩読みの師匠のことが
ずっと気になっていて
それで鬱々としていることもあるかもしれない。
はやくいい知らせが来ると良いが。
もうひとつ。
古い古い友人が突然
ケイタイにかけてきた。東京からだ。
もう交際は途絶えたように思っていた。
お互いに随分遠いところで暮らしているので
気心も知れなくなっているし、
まあそんなものか、向こうもそんなところだろう…
勝手にそう思っていたが
電話がかかって驚いたが…
それは彼の妻の逝去の知らせだった。
絶句に近かった。
知らせておきたい対象に私が入っているというのは
小さな驚きだった。
これだから人間商売はわからんことだらけなのだよ。
京都へでも集まってまた会おうかい…と彼は言う。
いいよと応える私がいる。
電話番号の相互確認。
去年は河野裕子さんが死んで、ことしは直以さんか。
ふたりとも自分の寿命を生ききったんだろうな。
娘と二人で居るとのことだが
寂しくなっただろうな
1961年の夏の彼の姿が
急に目に蘇ってくる
ちっとも何も変わってはおらんよ。
声といい口調といい
あのころのまんまだ、よ。ふふふ。
またその時がくれば会えばいいさ。
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