2006.11.11 記のバックアップ
MOさんのホームページ渡瀬遊水池の植物に面白いものが出ています。
ここから引用○
牧野富太郎博士が明治44年に創立した東京植物同好会に植物採集行進曲というものがあったので 面白いからご紹介しておきましょう。その時代を反映してはいますが今も昔も同じ心を持った人たちの集まりだと感じます
植物採集行進曲
東京植物同好会
1
根堀り片手に胴乱下げて
今日は楽しい採集よ
採った千種(ちぐさ)の優しい花も
やがて知識の実を結ぶ
2
国の為なら草木も採れよ
君は一本僕二本
つもりつもっておし葉の山が
末は御国を輝かす
3
異国に誇る草木の数よ
すべて知らねば国の恥
心一つに力を合わせ
調べ上げましょ我がフロラ
4
多き草木を原料(もとで)に使い
産業工業盛んに起こし
民の暮らしを一層善くし
国の富をも殖やしましょ
5
草木(くさき)可愛いの心をひろめ
愛し合いましょ吾等同士(どし)
思い遣(や)りさえこの世にあらば
世界(せか)や平和で万々歳
(関本平八 1941 『栃木県植物総覧』から引用)
○ ここまで引用
ね、面白いでしょう。
おじさんたちが会でそろって歌ってる姿想像できてしまうおもしろさ。
植物採集に行進曲があったことが、面白いのに加えて、
明治44年という殖産興業、富国強兵の時代の息吹が反映して勇ましい感じがあるし、
でも、最後に歌われているのは、
やっぱり『愛と平和』。
草木を愛する人々の平和な世界的連帯なんだという、おもしろさ。
そう思いませんか?
SNS的スピリットのルーツのひとつは
『人と事物への愛』(物欲じゃなく!)
と改めて感じます。
2008年6月27日金曜日
2008年6月20日金曜日
三人で二上山へのぼった。再登は何年ぶりか…
歩きながら「風の王国」のシーンが影絵のように見えてきたひと時。
【画面をクリックするとPicasaのWebアルバム画面になり大きなサイズ画像でみられます】
飛ぶ鳥のように雄岳から雌岳へ登って行く一群の者たちのシルエットを追うYohでありました。
2008年6月19日木曜日
飛行石が有ったら買いますか?
2006.11.15 09:38 これはあるSNSで書いていたもののバックアップです。
天空の城ラピュタに出てくる
舞台回しのあの素敵な石。飛行石。
飛行石がもし誰かの手にあったとする
あなたは買いますか
買って飛んでみます?
ふと、そう思いました。
---- 書きかけたらコメントがいっぱい。ありがとう。
うふふ、思った通りのコメント、みなさんありがとう。
もし「飛行石を売ってあげる」
と言われたら
「欲しい」
ですよね。
問題は、
お金で買った場合でも
飛行石はちゃんと飛んでくれるのだろうか?
という疑問を、みんなが持つかどうか。
だったんです、
ふと思ったという、その中味は。
昔話の『夕鶴』の主人公、与兵衛のように、
黄金の「買う力」を持ってしまった者には、
もう「つう」の純粋な心が見えない。
そのような変化が、
買った者と飛行石の間に
起こることはないのだろうか?
『天空の城ラピュタ』では、
そこまでは語られていないが。
洞窟の中のシーンで
それが暗示されていたように、ぼくは感じる。
だって、洞窟では
『人に感応する石たち』のさざめきがあったから。
交換という行為。
『物を物として扱う』行為を通しても、
石のもつ神秘な力は手に入ると、
今時の人間、
ぼくらは無反省に思ってしまうけれど。
石に込められた力は、
石をもつ者の人格的な質が鍵となって
パワーを発現する、
そういうものじゃないのかなぁ。
だから、飛べるのかな?
と、思うのだった。
石が歌う、
或いは石が突然輝く、
まるで意思が有るように
でもそれは
そこに無媒介でヒトがいるから。
いなければ石は寡黙なままだろう。
人と人が惹かれ合うように、
石とヒトも響き会う。
人がもつ善なる要素に感じて
石は浮上し
石は歌うに違いないと…
-追記-
飛行石の写真を見つけました(笑)
掲載されてる写真をクリックすると
拡大で見られます。
記事も読んであげて、
ちょっと不思議ですから。
天空の城ラピュタに出てくる
舞台回しのあの素敵な石。飛行石。
飛行石がもし誰かの手にあったとする
あなたは買いますか
買って飛んでみます?
ふと、そう思いました。
---- 書きかけたらコメントがいっぱい。ありがとう。
うふふ、思った通りのコメント、みなさんありがとう。
もし「飛行石を売ってあげる」
と言われたら
「欲しい」
ですよね。
問題は、
お金で買った場合でも
飛行石はちゃんと飛んでくれるのだろうか?
という疑問を、みんなが持つかどうか。
だったんです、
ふと思ったという、その中味は。
昔話の『夕鶴』の主人公、与兵衛のように、
黄金の「買う力」を持ってしまった者には、
もう「つう」の純粋な心が見えない。
そのような変化が、
買った者と飛行石の間に
起こることはないのだろうか?
『天空の城ラピュタ』では、
そこまでは語られていないが。
洞窟の中のシーンで
それが暗示されていたように、ぼくは感じる。
だって、洞窟では
『人に感応する石たち』のさざめきがあったから。
交換という行為。
『物を物として扱う』行為を通しても、
石のもつ神秘な力は手に入ると、
今時の人間、
ぼくらは無反省に思ってしまうけれど。
石に込められた力は、
石をもつ者の人格的な質が鍵となって
パワーを発現する、
そういうものじゃないのかなぁ。
だから、飛べるのかな?
と、思うのだった。
石が歌う、
或いは石が突然輝く、
まるで意思が有るように
でもそれは
そこに無媒介でヒトがいるから。
いなければ石は寡黙なままだろう。
人と人が惹かれ合うように、
石とヒトも響き会う。
人がもつ善なる要素に感じて
石は浮上し
石は歌うに違いないと…
-追記-
飛行石の写真を見つけました(笑)
掲載されてる写真をクリックすると
拡大で見られます。
記事も読んであげて、
ちょっと不思議ですから。
2008年6月14日土曜日
???D灰って何???
http://www.dgray-man.com/
とほっ D灰って何よ…
CURURUで最初のコメント入れてくれたのが㊥2の女の子。
中二だよ(孫がいたらこれくらいかも)
で、その子のブログ見に行ったら、
言語学的混乱に陥った(笑)
D灰がどうたらこうたら…(目がテンだ)
だいぶ考えあぐね時間が経ってから
諦めて試しにググッたら(Google)出てきた(!)
普通名詞じゃないかっーAhh。
結局は
D Gray man
というアニメの略語なんだね。
D+灰(グレイ)な訳か。
でもYohのちょっと好きな世界じゃないか。
エクソシストがうようよいたりして…
好奇心を失わないのが老人力の源、と
D灰くらいにたじろがないたじろがない。
ふ。
ぼくのYoutubeでのお気に入りの一つ
行き帰りに散策する興福寺で
若い時は
鹿などに興味はなかった。
それがどうだ。
気づくと佇んで観察している自分がいる。
若い雄鹿の美しい角に見とれる。
なかなかハンサムじゃないか。
足元には松笠がたくさん落ちている。
芝の上は
他にも落し物は多い。
勿論。
鹿の糞(フン)です(笑)
しとしと芝を濡らしていく通り雨も
奈良には似つかわしい落し物であるかも。
わたくしYohもたいてい何か落し物していきます。
長いあと引く溜息とか
びっくりマークとか
今日はたっぷり聴かせてもらった
ショクニホンギの第十五巻の数条から
生まれ落ちたため息やビックリさんたちである。
地下にある近鉄奈良駅に隣りするスターバックスで
安コーヒを飲みマッフィンを頬張って
帰る道すがら週に一度の短い幸福が
足取りを軽くしてくれる。
公園の鹿たちのまなざしも
澄んできれいに見える気がするのは
気の所為でしかないだろうが。
あとはどれかの店によって
カミサンの「おかき」を
購って帰るだけという安心感…
若い人たちには気付きにくい
ちいさな安らぎだ。
鹿などに興味はなかった。
それがどうだ。
気づくと佇んで観察している自分がいる。
若い雄鹿の美しい角に見とれる。
なかなかハンサムじゃないか。
足元には松笠がたくさん落ちている。
芝の上は
他にも落し物は多い。
勿論。
鹿の糞(フン)です(笑)
しとしと芝を濡らしていく通り雨も
奈良には似つかわしい落し物であるかも。
わたくしYohもたいてい何か落し物していきます。
長いあと引く溜息とか
びっくりマークとか
今日はたっぷり聴かせてもらった
ショクニホンギの第十五巻の数条から
生まれ落ちたため息やビックリさんたちである。
地下にある近鉄奈良駅に隣りするスターバックスで
安コーヒを飲みマッフィンを頬張って
帰る道すがら週に一度の短い幸福が
足取りを軽くしてくれる。
公園の鹿たちのまなざしも
澄んできれいに見える気がするのは
気の所為でしかないだろうが。
あとはどれかの店によって
カミサンの「おかき」を
購って帰るだけという安心感…
若い人たちには気付きにくい
ちいさな安らぎだ。
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