2009年1月27日火曜日

熱海から熱海桜の開花頼り。春立ちぬ…

我が村の梅の枝が花を開いてくれるのは何時だろう。
早朝の道で薄闇の中のしろいひと群れから香ってくるとき
胸が熱くなる。
夜も香る梅花の気高さ。
どんな孤独の内に閉ざされてもこの香りは
訪れてくれそう、
道真伝説もさもあらんと思う。


 ひとりごち夜更けの梅の薫りたつ   蛙逝 
 2004年02月27日(金)作

★小川蛙逝 おがわあせい★

筆者の句作などの雅号。小川は文人小川芋銭から蛙逝は俳人長谷川素逝に因んでつけた。いずれも幼少期の終わりに縁があった。文芸への愛着の芽生えに出逢った古人である。

自分や周りの物事が動くとき…

「いろんなことが少しずつ動き出してきたよう」
という実感を、たびたび感じられる時間。

皆さんもそういう経験があ りますか。
ぼくも同様の感じをもった時機がありました。

これは、『人生の開花』の指標じゃないかなと思ったりします。


 道元という人の正法眼蔵という本に『有時』という章があって、

 時間と人生(存在・人間存在・有)を語っていますが、

「有時に經歴の功あり。

 いはゆる今日より明日に經歴す、
 今日より昨日に經歴す、
 昨日より今日に經歴す。

 今日より今日に經歴す、
 明日より明日に經歴す。

 經歴はそれ時の功なるがゆゑに。」

 と言っています。

 難しいですが、

 時は一方方向に流れているように見えるが、
 人生は過去現在未来に分裂した物ではない、
 そう思える間は本当の人生になっていない、
 自分が本当に時間の主体になった幸せなときは、
 自分の一歩一歩が時間とともに開かれてゆくのだ、
 というように語っているように思います。

 今の実感が、未来を開いていく自分自体の力の充実を、
 示しているように思えています。

 自分の力で未来へと自分を開いていく、
 それをこそ真実の『自由』と呼ぶのではないか。

 『自由』へと生成する時間を生きる自らに祝福を!
   

2009年1月24日土曜日

ブログを再開

長く休んでしまっていたこのブログを
再開しよう。
参加しているSNSも偶にしか
訪れられていないが、
努めてキーボードに向かうことにする。
これは自分への促しとして書いておこう。

昨年末から自宅のPCやルーターの調子が悪く、手こずっていた。

こまめなデータバックアップをしないナマクラがたたり
不調のPCの大掃除がやっかいであっちこっちと手作業で
まだ調子が戻らない。フリーズに近いほど長く画面が止まる。

ルーターに至っては古い物だから仕方がないが
熱を持つと動作が変になる。しかし一番の原因は
ACアダプターが断線すれすれの状態だった。
繋がらなくなるのは電源落ちだったわけで、
別の電源に変えたらとたんに様子は良くなった。
これに気づくまでほぼ半月ぐずぐずした不調に
うっとうしい気分だった。気づいても己の不覚に
腹が立ち年齢相応以下の老化かと嫌になった。

年あけてから中国語を諦めるか継続か
ずいぶん考えたが
諦めが付かないので継続を決心。
せめて数百語くらいは覚えることを目指そう。
本当は会話より
易しいテキストを読めるようになりたい。
でもそのためにも会話からだ。

幸い耳には違和感があった中国語の音声が
最近は耳に衝かないようになった。
これだけでも進歩と思おう。
先の長いことだけど。

この一年漢文の読解力は進歩したと思う。
しかし文法知識などにかなり偏りがあるはずで
漢語語法を一度概括的に見直し
出来てないこと知らないことを補いたいと思う。
続日本紀は佳境に入った。
現在、奈良麻呂の変に差し掛かっている。
古代国家とは何かが見えてくるか?
自分の理解力が問われてくるのだが
講義中はついて行くので精一杯だ。
帰りはどっと疲れるが気分は悪くない。
自分が不調でも力をもらって帰れる。

今年一年ブログも書き続けられるよう
願っている。