静かな穏やかな暖かい晩秋である。
爆竹とロケット花火で脅されたお猿さんたちも来ない。
静かにSNSの文献を調べ、ココプラに書き込み、お茶を飲み、
仕入れや販売や発送の報告を待つだけでよい、佳日である。
機械トラブルの報告が入った一昨日が遠く感じるほど、穏やかだった。
外に出てみると、空が蒼い。高くなって広々している。
どこかで見たような気持ちにさせるこの空の懐かしい色。
ぼくの好きな俳人の一人、
与謝野蕪村の句にこんな空を詠んだ句があったな。
烏賊のぼり 昨日の空の 在り処
「イカノボリ きのうのそらの ありどころ」
凧をイカとかイカノボリという在所がある。
凧揚げとは言わないのだ。
今見ている空は確かに今のこの場で見あげている空なのだ。
だが、空に高く上がっている凧を見ていると、
子どもの頃の凧が重なってくる。
あの頃の凧の周りに蒼く澄んでいた空とこの空とは同じ空…
そう心の底で思いたがる自分が居る。いや、じっと見れば、
こうして見ている自分はあの頃の自分とどこが違うのだ、
昨日のことも十年前のことももっと前も同じ空、同じわたし。
昨日の空の在り処、自分の胸の底、この蒼い空。遠い昔。
透き通って蒼いのはわたしが映る空の中、
ますます凧は小さく高く上がっている。
この郷愁をどうしよう。蕪村は昨日の空と指さすことで
己が郷愁のくるめきを、そっと虚空に投げ返す…
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