2008年6月20日金曜日

三人で二上山へのぼった。再登は何年ぶりか…


歩きながら「風の王国」のシーンが影絵のように見えてきたひと時。



【画面をクリックするとPicasaのWebアルバム画面になり大きなサイズ画像でみられます】

 飛ぶ鳥のように雄岳から雌岳へ登って行く一群の者たちのシルエットを追うYohでありました。

2008年6月19日木曜日

飛行石が有ったら買いますか?

2006.11.15 09:38 これはあるSNSで書いていたもののバックアップです。

天空の城ラピュタに出てくる
舞台回しのあの素敵な石。飛行石。

飛行石がもし誰かの手にあったとする
あなたは買いますか
買って飛んでみます?

ふと、そう思いました。
---- 書きかけたらコメントがいっぱい。ありがとう。


うふふ、思った通りのコメント、みなさんありがとう。

もし「飛行石を売ってあげる」
と言われたら

「欲しい」

ですよね。


問題は、

お金で買った場合でも
飛行石はちゃんと飛んでくれるのだろうか?
という疑問を、みんなが持つかどうか。

だったんです、
ふと思ったという、その中味は。


昔話の『夕鶴』の主人公、与兵衛のように、
黄金の「買う力」を持ってしまった者には、
もう「つう」の純粋な心が見えない。

そのような変化が、
買った者と飛行石の間に
起こることはないのだろうか?

『天空の城ラピュタ』では、
そこまでは語られていないが。

洞窟の中のシーンで
それが暗示されていたように、ぼくは感じる。

だって、洞窟では
 『人に感応する石たち』のさざめきがあったから。

 
 交換という行為。
 『物を物として扱う』行為を通しても、

 石のもつ神秘な力は手に入ると、
 今時の人間、
 ぼくらは無反省に思ってしまうけれど。

 石に込められた力は、
 石をもつ者の人格的な質が鍵となって

 パワーを発現する、
 
 そういうものじゃないのかなぁ。


 だから、飛べるのかな?
 と、思うのだった。


 石が歌う、
 或いは石が突然輝く、
 まるで意思が有るように

 でもそれは
 そこに無媒介でヒトがいるから。

 いなければ石は寡黙なままだろう。

 人と人が惹かれ合うように、
 石とヒトも響き会う。

 人がもつ善なる要素に感じて
 石は浮上し
 石は歌うに違いないと…

 

-追記-
飛行石の写真を見つけました(笑)
 掲載されてる写真をクリックすると
 拡大で見られます。

 記事も読んであげて、
 ちょっと不思議ですから。


2008年6月14日土曜日

???D灰って何???













http://www.dgray-man.com/


とほっ D灰って何よ…

CURURUで最初のコメント入れてくれたのが㊥2の女の子。
中二だよ(孫がいたらこれくらいかも)

で、その子のブログ見に行ったら、
言語学的混乱に陥った(笑)

D灰がどうたらこうたら…(目がテンだ)

だいぶ考えあぐね時間が経ってから
諦めて試しにググッたら(Google)出てきた(!)

普通名詞じゃないかっーAhh。
結局は
D Gray man 
というアニメの略語なんだね。

D+灰(グレイ)な訳か。

でもYohのちょっと好きな世界じゃないか。
エクソシストがうようよいたりして…

好奇心を失わないのが老人力の源、と
D灰くらいにたじろがないたじろがない。

 ふ。

 

ぼくのYoutubeでのお気に入りの一つ


ぼくのYoutubeでのお気に入りの一つです。
日本語もできる英語もできるという彼女は
やわらかくて優しい気持ち
オープンマインドの持ち主。

見ているとYohにはためになることの多い
自作ビデオがあります。
彼女のページは
http://jp.youtube.com/user/mvoir33
です。



この動画は彼女が日本の手話を覚えて
手話で語っているわけです。
で、よその国の人にも日本の手話を覚えてもらえば
皆で話し合えるから教えたいんだって。

面白い発想です。

行き帰りに散策する興福寺で

若い時は
鹿などに興味はなかった。

それがどうだ。

気づくと佇んで観察している自分がいる。














若い雄鹿の美しい角に見とれる。
なかなかハンサムじゃないか。


足元には松笠がたくさん落ちている。












芝の上は
他にも落し物は多い。


勿論。











鹿の糞(フン)です(笑)


しとしと芝を濡らしていく通り雨も
奈良には似つかわしい落し物であるかも。

わたくしYohもたいてい何か落し物していきます。

長いあと引く溜息とか
びっくりマークとか
今日はたっぷり聴かせてもらった
ショクニホンギの第十五巻の数条から
生まれ落ちたため息やビックリさんたちである。

地下にある近鉄奈良駅に隣りするスターバックスで
安コーヒを飲みマッフィンを頬張って
帰る道すがら週に一度の短い幸福が
足取りを軽くしてくれる。

公園の鹿たちのまなざしも
澄んできれいに見える気がするのは
気の所為でしかないだろうが。

あとはどれかの店によって
カミサンの「おかき」を
購って帰るだけという安心感…

若い人たちには気付きにくい
ちいさな安らぎだ。

2008年5月28日水曜日

予告編見たが 良さそうだね

<いいもの観たい>

「西の魔女が死んだ」





「ぐるりのこと」


上映場所
http://www.gururinokoto.jp/theaters/


どちらも「トラウマ」や「こころの深層」のことが背景にあって生きるってことを真面目に切なく考えさせてくれるものだろうと予想している。

とくに「ぐるりのこと」は身につまされる予感がある。

美術を学んで、でも美術家ではない生き方を選んで…
夫婦に降りかかるありふれただが深刻な葛藤…
心の闇、それを見守るほかない夫…

自分の人生に重ねてみるだろうなと、思っている。少しためらったがやっぱり見に行こう。

同時に見れるのは上映日程から21日だけ。
もしだめなら「ぐるりのこと」を選ぼうかなとおもう。

 

これから読みたい2冊の本 自分用覚え



かはたれ―散在ガ池の河童猫 (福音館創作童話シリーズ) (単行本)

朽木 祥 (著), 山内 ふじ江 

価格: ¥ 1,575 (税込)
内容(「MARC」データベースより)
河童のこどもがやってきた。小さな猫に姿を変えて…。かはたれ、それは魔法の解ける時間。今まで見えなかったものが見えてくる。心の問題を抱える少女・麻と、河童のこども・八寸との、ユーモアと感動に満ちたファンタジー。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
朽木 祥
1957年、広島市に生まれる。被爆二世。上智大学大学院博士前期課程修了。
2002年より児童文学の創作を始める

山内 ふじ江
1946年、栃木県に生まれる。東京芸術大学油絵科卒業


ユウキ (福音館創作童話シリーズ) (単行本)
伊藤 遊 (著), 上出 慎也

価格: ¥ 1,365 (税込)

内容(「MARC」データベースより)
転校生の名前は、いつも「ユウキ」。祐基、悠樹、勇毅…、思い出と痛みを残して去っていった転校生たち。そして今、ケイタの目の前に、長い髪をしたひとりの女の子が現われた…。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
伊藤 遊
1959年生まれ。京都市出身。立命館大学文学部史学科卒業。96年、はじめての長編「なるかみ」が、児童文学ファンタジー大賞・佳作を受賞、97年には「鬼の橋」で同大賞を受賞。これまでの刊行作品に、『鬼の橋』(98年、福音館書店/産経児童出版文化賞・推薦)、『えんの松原』(2001年、同/産経児童出版文化賞および日本児童文学者協会新人賞)がある。札幌市在住

上出 慎也
1963年生まれ。石川県出身。金沢美術工芸大学美術学科卒業、同大学院美術工芸研究科修了。高校時代、8ミリ映画制作(クレイアニメ)に没頭。その後油絵を始め、画家・鴨居玲に傾倒する。大学院修了後、都市計画関連の会社で、都市景観やまちづくり業務に十二年間従事した。現在、フリーのイラストレーター、画家として、絵本・イラストレーション制作を中心に活動。石川県在住

2008年5月27日火曜日

大阪人もあまり知らないが河内は


『悪名』シリーズは今でもビデオで見られます…


 大阪人でもあまり知らないが
河内は古代日本の先進地域だった。

 五世紀の「河内政権」説はさておいて、
推古朝以降の時代からそれは著しいものがあった。

 今では「かわち」というだけで、映画『悪名』での
勝新太郎と田宮二郎の「悪口と喧嘩」のイメージが
後をひいてか、「がらのわるさ」が強調されている。
 
 実際、近世以降の河内は木綿栽培をバネにして
活発な商品化経済が起こった。
その土地の元気と活力が独特の土地柄、気風を生んだのも確か。
 
 その一面は「八尾の朝吉」という(実在のモデルもあった)
河内のやんちゃな男衆のイメージの基となった。
それは小説家今東光氏の筆の冴えがあったからだ。
だが、一面が誇張されたのも事実。

  どんよりと変化のない農村ではなく
目端の利く、利にさとく、機転の利く
商い感覚をもった農村人、
河内の男達はみな「頼もしい」「頭の切れが良い」
近代的なセンスを持った大阪人の源流のひとつなのだ。

 それはとおく万葉時代、それより古くからの
この土地の先進的気風につながっている。

 聖武天皇の時代には天皇が国政の難局を乗り切る方策として
東大寺造営をもって国家鎮護を祈るという一大プロジェクトが興された。

 仏教の裾野の広がり無しに、古代日本のこの時期を解釈できない。
大仏造営に協力した僧行基(渡来人の子孫で、菩薩といわれた)と
巨大な信者集団が果たした役割は大きかった。

 プロジェクトのリソースは河内からも出ている。
河内や和泉に広がる渡来人系、在地豪族系の仏教寺院や
その文化、生産力(技術者)の物心両面の協力なしには
大仏は完成しなかった。

 「悪名」がでたついでになるが、古代史の断片。
「悪僧」の代表は戦前は、(今もか)
弓削道鏡という人物。河内で現在の八尾市の人。

 称徳女帝を色仕掛けで籠絡し、国政を曲げ、帝位を窺った悪人-
ということになっている。
だが、称徳女帝の病を癒やした天分に充ちたヒーラーであった。
だから彼女は彼を熱愛する。そのために確かにもう少しで
古代国家の王権は僧侶が簒奪することになりかけただろう。

 これは「皇親による継承」という古代天皇制の逸脱となる。
それで、クーデター的に道鏡は失脚していくのだった。

 だが熱愛の二人が、河内の道鏡の郷で行宮(あんぐう)を
営んだころの段階でとどまって、我慢していれば、
どういう展開になったか。

 河内は1960年代までは見通し遙かに水田や畑の続く平野だった。

 だが遙か古代の河内は、寺院が建ち、
川には美しい大陸風の丹塗りの赤い橋が架けられ、
采女風の装束で豪族の娘たちが渡っていく風景がみられたのだ。

  しなてるや 片足羽(カタシハ)川の さ丹(ニ)塗りの
  大橋の上ゆ  紅(クレナヰ)の 赤裳(モ)裾引き
  山藍もち 摺れる衣(キヌ)着て ただひとり
  い渡らす児は 若草の 夫(ツマ)かあるらむ
   橿(カシ)の実のひとりか寝(ヌ)らむ 問はまくの 欲しき
  我妹(ワギモ)が 家の知らなく

              万葉集 巻9-1742 高橋虫麻呂歌

  反歌
  大橋の頭(つめ)に家あらばま悲しく独りゆく子に宿貸さましを
 
               同   巻9-1743 高橋虫麻呂歌
 
 纐纈(コウケチ)染めという古代染色技法があった。
 それは河内の在の渡来系の技術で、
 纐纈(こうけつ)姓の方がいまでもいるのは、
 一族の専門職をその姓としたからだ。

 いま高安の里の高みからながめると、大阪城を取り巻く高層ビル群が
近代的群像となって、霞んで見えている。

 古代の人々は逆に、難波津に船泊りするとき、
遠くに寺院の塔や大屋根が夕陽に輝いているのを見た。

 生駒山の下に広がる河内の風景に、古代都市的風貌を感じて、
もうすぐ都に入れると胸を躍らせたに違いない。

2006.11.18 記

米寿の祝いって…、実は本人主役の踊りの会



 25日は大阪市内のさる老舗の料亭で母の米寿祝い。

 何度目の復活劇なのか。
 「お産以外寝込んだことがない」という女の健康さの喩えを地で行く母だったが

 最初は大腸がんで手術。はじめは家から出かけなくなるほどの打撃だったようだ。
 が、気を取り直すと積極的に行動に出始め、以前通りの人づきあい、習い事。

 二度目は大腿部骨折で骨頭壊死で人工の関節に。
 が、またも目標を人に言わずにリハビリに邁進。
 一年後に踊りの会で復活を披露した。

 三度目は家族ももうだめかと覚悟したほどの病気。悪性リンパ腫。
 しかし、タイプが治療実績の上がりやすいタイプだったから薬などがよく効き、
 医師の手際の良いチームワークで「事務的」なくらいスムースに退院。

 以来ぼちぼちと稽古しているのは気付いてはいたが。
 「やる」というのを「やめとけ」とは言えないよね。
 転ばないでくれ、と祈るような気持ちだったが、
 畏るべし88歳というほかない。やってのけたよ。

 MICHIKOさん(86歳)といい母といい、年寄りが元気だ。

無心ということ

無心とは「心無き」こと

無心にあそぶ子どもたちという表現が、
無心の意味をよく表している。

心無い仕業ともいう。「酷い」仕打ちのことだろう。

『心』が無いとは、では一体どういうことか?

人としての資質を、世間知を、他者への思慮を、備えている。
「分け知り」顔というときの、「分別」をもつこと。
「情を通じ」というときの、「なさけ」「男女の機微」「人情」を知ること。
それが「有心(うしん)」心あり、だろう。

「こころありげな」風情とは靡いてくれそうな予感ということであろうか。

どれもこれも、実はあまり、ぼくには縁がない。

やはり、ぼくは心無いヤツ、{非情}なんだろうか。

無心は、けれど自由と言うことだ。
西行法師はよく「こころなき身」と歌っている。

法師、出家は脱世間だから、
世間知を捨て、恋情を捨て、父子の恩愛を捨てて、旅立つ者。

出世間こそ「こころなき身」、その心情は、こころでないこころ。
そこに自由な感情の生成という逆説的な情感があふれ出る。

「いのちなりけり」と日々を実感して生きる喜びの歌が生じる。

それは「仏心(ぶっしん)」ほとけごころの歌といってよいはずだ。

「いのちの喜び」の歌をさがして、旅し歩き続けた西行に「学ねび」て、
ぼくも歌心もって、生きてゆこう、あとすこしの道のりを…



ところで…
お金をちょうだい、と言うのを
「無心する」と言ったんじゃなかったか?
あれは何故、「無心」なんだ?
 
檀家に無心する、無心な僧侶?(笑)
 
                        2006.11.10 記